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彷徨える夕暮れ【怪談】

「良い子にしないと夕暮れがやって来るよ。夕暮れはお前の影を飲み込んで、終いにはお前も飲み込んで、綺麗さっぱり消し去っちまうんだ。そうなるともう誰にも会えない、誰にもだよ。ママにもパパにもばあばにも会えないんだ。だから良い子にしてなきゃいけないよ」
というのが、幼き私を叱る時の祖母の決まり文句でした。何で怒られてしまったのかははっきりと思い出せませんが、初めて聞かされたのが確か年長組だったので言っている意味が理解出来ず、兎に角祖母の腕の中でワンワン泣き叫び、その「夕暮れ」に対して謝った様な記憶があります。
勿論、ずっとその「夕暮れ」を信じていたわけではありません。小学校4年に上がる頃にはサンタの正体を知るのと同じく、夕暮れの正体も分かっていました。
何か悪い事を仕出かしたその日は家に帰りたくないものです。バレるかな、叱られるかな、そう思うと中々に歩みは遅くなるでしょう。きっと段々と日が落ちて建物から伸びる影は長くなって、自分の影と混じり溶かしていくのを見て淋しさと心細さが心を塗り潰していくはずです。自分の輪郭が消えて、心の輪郭も消えて、自分がどこにいるのか分からなくなってしまうのかもしれません。そうした気持ちにならないように、公正明大に生きていきましょうね。
そういう教訓的なもの。大人が子供を言い聞かせるための作り話・・・・・・・・・・・・そう思っていました。

6年の夏休みの事です。
学校では「命の大切さを知りましょう」という名目でウサギと鶏を二羽ずつ飼っていました。各学年が何週か毎に順繰り順繰り世話をし、夏休みは私達6年生の番でした。学級委員としての飼育係はいましたが、夏休み中世話をするわけではなく、これも数日交代でクラスメイトが世話をする事になっていました。品種がなんだったのかは覚えていませんが、白い毛で耳がピンと立っていたのは覚えています。

「ねえ明日皆んなでキャンプに行かない?」
そう誘って来たのは奏(かなで)ちゃんです。奏ちゃんとは家がすぐ隣だった事もあり保育園の頃から仲良しで、帰る時はいつも一緒でした。
小学校最後の夏休みの思い出作りにと、他の子達とも一緒に2泊3日のお泊まり会。本当に最高の夏休みになったと思いました。1日目は小川が流れる場所で水遊びにバーベキュー、花火。2日目は近所のショッピングモールで買い物して、奏ちゃんの家でパジャマパーティー。3日目はお菓子を食べながらゲーム三昧とこれまでに無いほど楽しく、夏休みが明けても中学校に上がってもこんな風に毎日過ごせるはずだったんです。
帰り際にふと、奏ちゃんが言いました。
「そういえば私明日飼育係だーめんどくさーい」
私は一気に血の気が引きました。
まさにこのお泊まり会の3日間が、私のウサギ当番の日程だったからです。
別れの挨拶もそこそこに、着替えが入ったバッグを抱えて学校に向かって全速力で駆け出しました。
前の当番の人が与えたであろう餌がまだ残っているはずだ、日陰にある小屋は涼しく、今も元気に跳ね回っているはずだ。そんな甘い考えがまだ私の頭にありました。

学校に到着し校門の裏側に荷物をかなぐり捨てて、校庭で遊ぶ上級生の輪を突っ切り、ウサギ小屋まで急ぎました。
金網で作られた扉を開け、小屋の中に入りました。入ってすぐは掃除道具などが置かれた廊下で、その廊下を右に行くと鶏が、左に行くとウサギが。

ぺたりと地面にへたる長い耳。
だらしなく開いた口。
敷かれた石にもたれる細い首と赤いトサカ。

更に激しさを増して鳴る鼓動が、聞こえてくるはずの遊び声が、世界の何もかもが消えた様な気がしました。


気が付けば学校を出て家に帰る途中の坂道を下っていました。どうやってここまで来たのか、持っていたはずのカバンはどうしたのか覚えていません。
ふと、遠くからチャイムが聞こえ我に返りました。
一体なんて事をしてしまったんだ……。
今までに感じた事のない程の罪悪感と後悔、自分への失望、仕出かした事の重大さへの焦りが私を襲いました。
両親に怒られるだけではなく、友達も失うかもしれない。いずれ今日逃げ出した事もバレて、余計に責められるに違いない。

……家になんか帰れない。家出するしかない。

そう思い、家と違う方向へ路地を曲がったまさにその時でした。
「……何……あれ」
路地の真ん中に何かが立っていました。
上手く輪郭が捉えられず焦点を合わそうにも半透明で、背景の民家がそれを通して薄らと見えています。
━━影が立っている。
言い表すならこうでしょうか。
半透明の黒い棒状の影が、数メートルか10メートルか先にポツンと立っているのです。逃げ出したいのに足が竦んで動けず、ただそれと向き合っているだけ。
それが動いた気がしました。いえ、動いたと錯覚しただけで元から目の前にいたのかもしれませんし、本当にこちらへと動いたのかもしれません。
ですが私はそれが動いたと思いました。影は氷の上を滑るようにするするとこちらに向かって動き出し、それに伴ってゆっくりと輪郭を確かに、より不透明になっていくんです。それが背景を塗り潰したその瞬間
『代わってあげようか』
透き通った子供の声がしました。悪意の無い、甘美で魅惑的な声。こんなに抗い難い衝動は生まれて初めてで、私は思わず頷きかけました。怒られずに済む、などと安易なものではなく、存在そのものが赦された様な多幸感がありました。
しかし、あるものが目に入り、私の動きを止めたのです。
それはこの影の「影」の部分で、影に影があるなんておかしな話かもしれませんが、とにかくその「影」が何なのか理解した途端、私は家に向かって一目散に走り出しました。
背後から
『代わってあげようか?』
と、甘い囁きが聞こえてきます。振り返ってはいけない、関わってはいけないと思い込むだけでは恐らく誘惑に負けていたでしょう。
……光ある所に暗い影あり。
物に着いて回るはずの影の部分が、ちょうど子供1人分、ぽっかりと切り取られていたのです。



その日は慌ただしく、怒鳴り声と泣き声と謝罪が入り交じった1日になりました。
幸い、ウサギ1匹は病院での治療によって元気を取り戻しましたが、もう1匹と鶏2羽は点滴をする間もなく死んでしまいました。先生達は「これを教訓にして……」と慰めてくれたのですが、その言葉が私に届く事はありませんでした。

夏休みが明け、私がウサギと鶏を殺したとの噂は既にクラスメイト中に広まっており、始業式の終わりを待たず家に逃げ込みました。
帰り道に「夕暮れ」がいたかは分かりません振り返らない様に周りを見ないように下を向いていたので……もしチラとでも目に入っていたら、きっと代わって貰っていたでしょう。

私は家に閉じこもり、1ヶ月の後、隣町の小学校に転校する事になりました。出来るだけ目立たず、友達を作らず、誰とも関係を築かない様に心掛けました。高校を中退してから父の紹介で職に就き、そこの社員と結婚、2人の子供が産まれました。
2人目が産まれる前に祖母が他界し、夏休みのあの日に夕暮れに会った事を伝えると、祖母は私に言いました。
「誰しも逃げたい事はあるんだ。分かる、分かるよ……でもどんなに遠回りでも最後には向き合わなきゃダメだ。ばぁばは……それをお前のママにきちんと教えられなかったんだ……許してくれ」



祖母の葬式以来、実家にもこの町にも帰ってきていません。

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