『邪神捜査 -警視庁信仰問題管理室-』第3話「別人事件」②
事件の発端は普通に通報だった。
110番に「家の中に勝手に入り込んで来たやつらを殺してしまった」という殺人を犯した人物から通報が入ったので、近くをパトロールしていた機捜のパトカーが直行した。
向かった先はかなり大きなお屋敷で、都心部にあるものとしては贅沢すぎるものだった。
通報したのは屋敷の主人で、坪井巳一郎。
屋敷の一画に事務所を構え、行政書士の仕事をしている四十代の男だった。
行政書士としての仕事はそれほど繁盛しているとはいえないが、亡くなった親が資産家だったということもあって、広い屋敷もあり、生活は裕福なようだった。
投機のようなこともしているので、財産も相当溜まっているのだろう。
第一印象では、家に勝手に入ってきたからといって他人を殺してしまうようなタイプではなかった。
しかも、二人もである。
「こっちだ」
坪井は機捜の刑事を屋敷へと案内した。
高そうなソファーやらテーブルやらが置いてある広い居間に、二人の男女が倒れていた。
どちらもひと目で死んでいるとわかった。
頭を鈍器でかち割られていて脳髄のようなものも見えていたのだから。
凶器は壁に立てかけられているゴルフクラブだろう。
坪井の私物である。
「お知合いですか?」
刑事は慎重に訊ねた。
この人物は自首してきたとはいえ、二人を手に掛けたことは明白だ。
なぜなら、両手は殺された男女の返り血で真っ赤であり、服もべったりと汚れているからである。
後の鑑識の調査によると、実際に殺したものでないと付着しない汚れ方だったそうだ。
しかも、坪井の眼は殺人を犯したもの特有の濁りを浮かべている。
だから、刑事たちも彼が犯人に間違いないと確信していた。
「いや。知らないやつらだ。よくわからないことを言って、鍵を開けて家の中に入ってきた。止めようとしたが、また訳のわからないことを言い続けるのでかっとなってしまった。殺す気はなかったんだ。ただ、殴っているうちにどうにも怖くてなって止められなくなった。気が付いたら、二人とも死んでた」
「……どういう内容のことを言っていましたか? 強盗だ、金を出せとかならば、あなたはうまくいけば正当防衛―――過剰防衛になるでしょうが―――で減刑もされますよ。だから、慎重に答えてください」
坪井は首を振り、
「おれのことを兄貴と呼んでいた」
「ご兄弟はおられるのですか?」
「いる。弟と妹だ」
「死んでいる二人はご兄弟でしょうか?」
「知らん奴らだ。顔も見たことない。というか、最近、こいつらのように見たことのない連中が弟だとか、妹だとか名乗って近づいてくるので気が狂いそうだったんだ。そのせいかもしれない……」
「なるほど。失礼ですが、ご兄弟の写真などはお持ちですか」
すると、坪井は居間の隅にある暖炉を模したインテリアから写真立てを持ってきた。
家族の集合写真だった。
「おれの左隣にいるのが弟たちだ。隣にいるのは妻だよ」
「どれ、拝見」
見た瞬間、刑事は驚いた。
坪井の言う通りに隣に映っているのは、まぎれもなく床で死んでいる男女だったからだ。
この男は自分の弟と妹を殺したのに平然としているのか。
それとも、殺したということに気が付いていない気狂いなのか。
さらに慎重になるしかなかった。
「……こちらの写真がご兄弟なのは確かで」
「ああ、そうだ」
「あちらの死体には見覚えがないと」
「初めて見る連中だよ」
機捜の刑事は少し時間を使って、彼らが現場を確保した後にやってくる強行班にどう報告するかを考えなければならなかった。
◇◆◇
「―――て訳で、坪井巳一郎が犯人なのは間違いないと思う」
「そうか」
藤山さんと佐原先輩と一緒に僕が現場に入ったのは、それから十分後だ。
機捜の刑事からあらましを聞いて、ついでに事件についての私見も聞いた。
ほとんど同意見だった。
ただ、問題なのは……
「やっこさん、気が狂っているのか、なんなのかわかんねえところがあるからその辺に気をつけろ」
「わかった。例えば?」
「東京都行政書士会の役員だそうだから、そっちから弁護士が派遣されるかもしれねえのと、俺の見立てではまあ正常っぽいのに言っていることはキ印だから裁判になったら覆されるかもしれねえということだな」
「なるほど」
つまり、頭がおかしいということになればそれで無罪もしくは減刑されることになるかもしれないということだ。
事件の種類によっては最初から不起訴という選択もある。
ただし、それは検察官の専権なので僕らの知ったことではないけど。
「担当検事はヤバ姫さまだ。そっちは彼女が考えてくれるだろうさ」
藤山さんは冷静だった。
犯人がほぼ特定しているとなると、すぐに捜査は終了して、あとは検察官に任せることになるからだ。
犯人を特定し、逮捕し、取り調べ、調書を作り、検察に送るまでが僕らの仕事であり、場合によってはあとで裏付けのために動くという流れになる。
今回の場合、僕らのすることは殺人現場をよく調べて、一点の疑義もないような調書を作ればいいのであった。
確かに坪井が犯人なのは間違いなさそうだったしね。
「とりあえず俺たちの仕事は坪井が、弟と妹を殺っちまった経緯をはっきりとさせることだ。あいつが狂ってようと狂った振りをしていようと、俺たちとしては大して変わらん。まあ、キ印の真似をしているという証拠があればヤバ姫さまが喜ぶだろうよ」
さすがベテランだった。
指示がはっきりとしている。
今回は捜査本部も立てられそうにないし、僕たちとしてはあまりやることはないしね。
しばらくしてから、僕たちは家宅捜索をした結果を報告し合った。
現行犯逮捕なので令状なしの緊急捜索ができるのだ。
「それにしても、この二人って本当に坪井の弟と妹なんですか?」
「そうだ。羊二郎と美鳥―――生まれ年の十二支の名前が付けられているようだな」
「ああ、巳年生まれだから巳一郎ですか。なるほど、わかりやすい」
「ちなみにこの写真だけでなくアルバムも確認した。確かに本人だ。さらに知人にも確認をとることになるだろうが、変な工作はないだろう」
「兄弟を殺したというのに、随分とさっぱりとしていますね」
「坪井曰く、見知らぬ他人だからな」
そのとき、居間に二人の女性が入ってきた。
一人はよく知っている検察官。
ヤバ姫さまこと、長谷川アリ慧である。
もう一人はさっきまでの捜索で何度も写真を見た若い女性―――坪井の妻だった。
「藤山刑事、裁判所から捜索令状もらってきたから渡しておくわ」
「助かります。やっぱ令状があった方が怖がらんで済む」
警察は、裁判になった場合、弁護士から刑事訴訟法違反で追及されることを極端に恐れる。
滅多に覆されないとはいっても、それで負けたら責任を取らされるおそれがあるから、できる限り警職法や刑訴法は遵守するようにしなくてはならない。
ヤバ姫さまはそのあたりをよくわかっていて、現場では有能だと評されている。
ただ、その性格のキツさが並ではないから「ヤバい姫さま」とヤクザ言葉で呼ばれているのであった。
僕らの報告を聞いて、
「起訴はできそうね。自分の兄弟を間違って殺しておいて、他人だと思ったなんて言い草が通用すると思ってんのかしら」
「でも、精神鑑定はした方がいいと思いますよ」
「当然します。したうえで、ムショにぶち込んでやります。場合によっては吊ってあげます」
「吊るとか言わないでください。聞かれるとまずいですよ」
「あなたが言わなければいいのよ、久遠くん。昔から、あなたは口が重いのだけが取り柄だったじゃない。あと、鼻づまり」
「鼻づまりは取り柄じゃないですよ、アリ慧ちゃん」
「ちゃんづけしないで。ただの同級生の癖に」
「一応、実家も傍だから幼馴染でもあるんだけど……」
そう。
僕とこのヤバ姫さまは実はわりと近所の出身で同い年なのだ。
うだつの上がらない地方公務員の警察官と、国立大学を出て司法試験を突破したエリートでは立場がだいぶ違うけど、昔は集団登校・下校をした仲だ。
とはいえ、今では付き合いがないので実際は友達ですらないけど。
女子と付き合うのが苦手な僕と、昔から神童で気が強くて美人の彼女では絡みようがないのだから仕方ない。
まあ、ちゃんづけできる程度の距離感ではあるんだけど。
「ふん、幼馴染とかいって特別感をだそうとするなんて、いつもながら俗物ね。スタンガン当てるわよ」
「昔、ファンネルとかいってジョウロをぶつけられたころから変わんないね」
「だまらっしゃい」
「ところで検事」
佐原先輩だった。
僕がいじめられているのを察したのか、親切な先輩が割って入ってくれたのだ。
見えないようにウインクしているのが、とてもイケメンだ。
「彼女は坪井の奥さんですか?」
男女の遺体が運び出されても、鑑識班がうろちょろしている居間の端で所在無げに突っ立っている女性のことだ。
大人しい印象だが、楚々とした美人だ。
派手目の主張のキツイ美人の長谷川検事とはまるでタイプが異なる。
自分の夫が身内を殺したということにショックを受けているのだろう。
倒れないだけマシというところか。
「ええ、ここに玄関に立っていたから連れてきたの。落ち着いたら、彼女からも事情聴取しておいて」
「了解です、検事。なにか特に聞くべきことはありますか?」
「あとで私の方でもやりますから、所轄ではざっとで言いわ。坪井の取り調べ状況次第だけど、明後日辺りには起訴状書きたいので他の捜査もよろしくね」
犯人がわかっているのだから、この事件はもう終結だ。
あとは裁判で争う段階である。
と、この時は思っていたのであった……