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川のような時間、池のような空間

何を書いてもいい。それがMybrary的執筆である。フリーライティングは思い浮かんだことを置くように書いていく場所のことである。そこには流れがある。どんどん先に行く。Mybraryはそのまま漂っている。この言語感覚はむしろデバイスでないと実現できない。そうか、おれは新しい文章の形式をつくったのかもしれない。小説、詩、メモ、ノート、アウトライナー。どちらかと言えば前二者より後三者の方だ。内容の形式でなく、物としての言葉の形式。何が書かれるかでなく、どのように書かれるかの形。WhatよりHowの様相。
この形式は、どのようなことに向いているだろう?
思いが浮かび続け、思いが過去になってきたら消失に向かうようなインターフェース。消えるからこそ、今Mybraryのスペースに浮かんでいるのは「今」の思いだ。「今」とは一週間に設定してある。これは現在社会においてもっとも広く採用されている生活のリズムの一単位である。その週の中にいると「今の私」と感じやすい。なぜなら、「今週」という言葉には「今」が含まれているから。英語ではthis weekであり、「先週」になるとlast weekである。もう「この」ではなくなってしまう。
ゆえにMybraryの今は一週間のリズムとする。一日でも一カ月でもないのは、このインターフェースの使用感による。具体的な経験と、一般的な時間感覚の落とし所がここなのだ。
では、「今の言葉」が浮かんでいる場で向いていることはどのようなことか。それは今から未来に進んでいく運動を楽しむことのように思われる。音楽に似ている。演奏されているその瞬間、奏でる側も聴く側も、過去からの流れをふまえて今の音を聴き、次の未来へ引き寄せられていくのである。Mybraryはセルに寿命があるからこそ、この運動性が顕著になり、音楽のように止まらない流れを生み出す。川、流れるものとしてはそうだ。一方、「今」の内部を覗くとたくさんの音=セルが併存している。溜まっている。その点では池と言って差し支えない。
Mybraryは、時間としては川であり、空間としては池なのだ。その両面を併せ持つ。いずれの要素も他媒体に比べて極端に表現されている。
川として流れ、池として貯まる。そのような文章ツール。未来への連動を生むが、同時にいくつもの音が和音として鳴り、それぞれのセルがポリフォニックに生きている。思念の同時併行運動。
例えば原稿用統は単一ラインのみである。その制約が、真っ直ぐなメロディをつくり出してくれる。
Mybraryは、オーケストラが鳴っている。一聴してバラバラの、しかし不思議な統一感もあるような音たち。
何に向いているか、それは本稿で言及し切れないが、傾向としては、自分の書いた言葉から着想を得て、次の思念をポツポツと断続的に書いていくような使い方ではないかと考えている。

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