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ヨーロッパの近代建築⑦ウィーンⅡ-地域のお宝さがし-128

 前回は、美術アカデミー教授就任後のワグナー(50歳後半)の作品をみましたが、今回はその後(60歳後半)の作品を紹介します。

■郵便貯金局■
 郵便貯金局の建築年は、1906(明治39)年(注1)と1906~1912年の2説があります(注2)。ワグナーの年齢は、前者では65歳、後者では71歳です。ワグナーが美術アカデミーを停年となるのが1912年、1914年まで客員教授を勤めているので、1912年の可能性もあります。

 『近代建築史図集』(前掲注1)などでは、室内写真のみの掲載ですので、建築規模の大きさに驚きました(図1)。外観はシンプルですが、屋上には人物像が設けられています(図2)。ワグナーは、ドイツで新古典主義を学んでいますので、その雰囲気が感じられるデザインですが、背面の合同庁舎(旧陸軍省、図3)や、その左右の「歴史主義建築」を考慮すると、無装飾を実現するには多くの困難があったと思われます。

図1 郵便貯金局外観
図2 屋上の人物像
図3 合同庁舎(旧陸軍省)

 貯金局の入口上部には、金属製の円柱と片持ち梁で支えられた、ガラスの庇が設けられ、重厚な壁面や太い角柱と軽妙な対比をみせています(図4)。

図4 入口上部のガラスの庇

 室内は博物館になっていますが、営業もしています。奥行きの深い平面の中央部は階高が高く、金属製の角柱と桁がガラスパネルの半円形ヴォールトを支え、柱はさらに延長して半円アーチにつながり、全体に垂直線が強調されています(図5)。正面のヴォールト部は、壁面を3分割し、隔壁面はさらに細い方立で竪長窓が形成され、左右は一段低く、細部にはリベットが打たれ、装飾はみられません(図6)。

図5 屋内正面
図6 リベット打ちされた角柱

 床は、入口から正面に向かって縦横に配された梁の間にガラスブロックがはめ込まれ(図7)、室内全体が明るく、軽快な空間になっています。

図7 床のガラスブロック

 こうして見ると、奥行きの深い平面は、中央が身廊(ネイブ)、左右が側廊(アイル)、正面は祭壇(アプス)のようにみえ、まるでバシリカ形式の教会のように感じられる反面、ガラスパネルの開口部、リベット打ち、床面のガラスブロックなど、まさに現代建築という感じがしました。

注1)『近代建築史図集』(彰国社、2012年)。『新訂建築学大系6近代建              築史』(彰国社、1970年)。
注2)ウィキペディア「オットー・ワーグナー」。また、ウィキペディア              「オーストリア郵便貯蓄銀行」では、1910~12年にかけて「増築」と             されている。

■アム・シュタインホフ教会■
 シュタインホフ教会の建築年は、1907年(前掲注2)、ワグナーは66歳です。見学にはバスで行き、所定の停留所の一つ手前から歩いたので、高台にある美しいドームが見えたときには、「ホッ」としました(図8)。白い壁面に半円アーチの窓、上部は左右に尖塔、その奥に金色のドームが架けられ、左右の壁面が凹んだ位置にあることから、集中式の教会と思いました。

図8 シュタインホフ教会外観

 開館は午後3時とのことで、結構な人が待っていました(図9)。入口前の4本の柱は、庇を突き抜けて延長され、その頂部の4体の人物(天使か?)が礼拝しています(図10)。ドームをはじめ、軒裏や壁面上部の十字架や円形のメダリオン、天使の羽、入口周辺など、金色の装飾が多く施されています。

図9 入口
図10 正面上部の人物像

 入口を入ると、半円のヴォールトの側面に天窓が開けられた明るい空間で、列柱までが前室(図11)、その奥(図11では手前)に礼拝の席が設けられています。

図11 奥の入口から列柱までが前室

 正面が祭壇(図12)、左右の突出部にはステンドグラスがはめられ(図13)、中央上部にドームが架けられています(図14)。

図12 祭壇
図13 突出部のステンドグラス
図14 中央部のドーム

 元来、精神病院の礼拝堂とのことで、礼拝に訪れる患者に配慮して、角には丸みが付けられ、患者の迅速な搬送のために側壁に非常口が組込まれるなど、現代でいうユニバーサル・デザインが行われています(注3)。
 小規模な教会ですが、白色系の壁面に金色の幾何学紋様、鮮やかな彩色のステンドグラス、明るい内部はとても落ち着きがある空間でした。

注3)ウィキペディア「シュタインホフ教会」。

■閑話休題■
 郵便貯金局の場所は分かりにくかったようで、戦前に渡欧し、16ミリ映写機で様々な建築を「乱射乱撃」した建築家村野藤吾は、場所を探せず、見ることができず、残念な思いをされたようです(注4)。

●高射砲塔●
 今回は、主にワグナーの作品を紹介しましたが、それ以外にも様々な建築が現存していますが、中でも、「アウガルテン高射砲塔」の巨大さと重厚に驚きました(図15・16)。高射砲塔は、第二次世界大戦中にドイツ空軍が建築した都市防空設備で(注5)、高さが30mを越え、壁の厚さは数メートルにおよぶ、鉄筋コンクリート造の建築です。

図15 アウガルテン高射砲塔外観
図16 外観見上げ

 高射砲塔は、高射砲が設置されたG塔と、数百m離れた位置に設置された、レーダーなどを備えたL塔で構成されています。デザインによって、3世代に分かれるようですが、図15は、第3世代のG塔で、L塔は第2世代のデザイン、つまりG塔とは外観が異なるようですが、筆者は見ていません。

 ウィーンには、6基(G・L塔3組)の高射砲塔が現存し、屋内は水族館や倉庫、外壁はフリークライミングなどに利用されているものがありますが、「アウガルテン高射砲塔」は、両塔とも活用されていません。

注4)佐々木宏編『近代建築の目撃者』(新建築社、1977年)。
注5)ウィキペディア「高射砲塔」。高射砲塔に関する記述は、断らない場             合は同記事による。

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