大阪都心の社寺めぐり-地域のお宝さがし-02少彦名神社周辺(堺筋・三越・旧小西家)
■堺筋の拡幅と旧小西家■
少彦名神社の東側、堺筋に面してアロンアルファで知られるコニシ株式会社の旧小西家住宅(明治36年=1903)があります。当家は、平成8年(1996)登録文化財、平成13年重要文化財、平成15年に景観形成物に指定された、近代大阪を代表する町家といえます。堺筋の拡幅に際し、明治44年に堺筋に面する敷地約300m2を提供し、さらに主屋の西側も軒切りされました。大正13年(1924)の地図をみると、御堂筋はまだ拡幅されていません(図1)。
図1
■堺筋の景観形成■
淀屋橋を南へ渡った市電は、左折して北浜2丁目から堺筋を南下します。この交差点の南東部に大阪株式取引所(現大阪証券取引所の初代、明治31年)、その南部に三越(図2、大正6~昭和8年=1933)が見えます。
図2『近代建築画譜』
三越の南が旧小西家、堺筋を挟んだ西側、図1の「高麗橋」の表示の左あたりが少彦名神社でしょう。三越は、『近代建築画譜』では、「三越大阪支店 設計横河工務所 様式近世ルネッサンス式 構造鉄骨鉄筋コンクリート造」などと紹介されています。横河工務所の創設者横河民輔は、わが国における鉄骨構造の先駆者です。様式は、「近世ルネッサンス式」とありますが、重厚な様式建築というよりも、むしろ軽快な感じがします。まだ、高麗橋野村ビル(図3、昭和2年、安井建築事務所)も三井住友銀行大阪中央支店(図4、昭和11年、曾禰中條建築事務所)も建築されていませんが、堺筋は確実に大阪のメインストリートであったのです。
図3
図4
大阪株式取引所は昭和10年に建て替わり、三越は阪神淡路大震災(平成7年)に被災し、平成17年に閉店し、今では見ることができません。三越と旧小西家の位置関係は図5で分かります。
図5
この写真は、三越の外壁に掲げられた「大阪城博覧会」の案内から、昭和58年10月頃のものと判断されます。高麗橋野村ビルや三井住友銀行については、色々なところで紹介されていますので、後者についての、「日本人建築家による古典様式銀行建築の最終的模範解答のような作品。」(『近代建築ガイドブック[関西編]』)との評価のみを紹介しておきます。外観全体から細部に至るまで、じっくり見たい建築です。
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