平田渡し-淀川の渡し船--地域のお宝さがし-69
所在地:大阪市旭区-東淀川区
■平田渡し■
最近、東淀川区を自転車で巡る機会がありました。筆者は、大阪市城東区に居住していますので、自転車で北岸の東淀川区豊里へ行くには、南岸の旭区今市から豊里大橋(図1)を渡るのが便利です。
図1 豊里大橋
この橋の西側に「平田[へいた]渡し」がありましたが、昭和45年(1970)に廃止され、渡しの碑が設置されています(図2・3、注1)。
図2 南岸の碑
図3 北岸の碑
淀川には、「平田渡し」の上流に、一津屋([ひとつや]現摂津市⇔守口市)・仁和寺([にわじ]現寝屋川市⇔摂津市)・枚方(現枚方市⇔高槻市)・楠葉(現枚方市⇔島本町)、下流に毛馬(現都島区⇔北区)・源八(現都島区⇔北区)・川崎(現都島区⇔北区)など、多くの渡しがありました(注2)。
「平田渡し」は、延宝4年(1676)頃、個人営業の渡し船として発足しました(注3)。『摂陽群談』(注4)によると、「平田済(渡し)」は、「西成郡平田村より、河内国茨田郡十番村の堤に渉り、街道に出る。此処、世に平田番所の渡と云へり」、「今市済(渡し)」は、「西成郡三番村より、東生郡今市村の堤に渉る処なり」とあり、平田から今市へ行く場合には「平田の渡し」、今市から平田へ行く場合には「今市の渡し」と呼んだそうです(注5)。
注1)旭区の碑は「平太渡し」、東淀川区の碑は「平田渡し」と表記されて いるが、ここでは、「平田渡し」で統一。図3の側面に、「平田番所 の渡しともいった」との記述がある。
注2)『淀川両岸一覧』文久元年(1861)発行。『淀川両岸一覧宇治川両岸 一覧』(柳原書店、1978)所収。
注3)『旭区史』(1983年)p174
注4)元禄14年(1701)発行
注5)「平田(へいた)の渡し」(北淀・綿山)。「平田渡し」に関する記 述は、同紙と前掲注3)『旭区史』による。
●近代の平田渡し●
明治18年(1885)の淀川の大洪水により、周辺の村々が大きな被害をうけたことがきっかけとなり、明治30年から淀川の大改修が行われ、同43年に完成します。これにより川筋が変更され、「平田渡し」の位置も変更されます。また、改修後の淀川によって南北に二分された豊里村では、子供達が南岸から北岸の小学校へ渡し船での通学を余儀なくされたそうです。
渡しは、明治37年に村営、同40年に公営となります。明治43年の船賃は、大人2銭、子供1銭、牛馬4銭でした。ちなみに、明治42年の入浴料(大人)が2銭、明治41年の豆腐(1丁)が1銭、明治44年のそば(もり・かけ)が3.5銭でした(注6)。
さらに、大正8年(1919)の道路法施行により、渡しは認定道路(東淀川区386号)となり、船賃が無料となります。大正14年には、大阪市の第2次市域拡張により大阪市営となりますが、経営は請負制度で行われました。この時東淀川区が誕生し、北岸の豊里村は大阪市に編入されますが、その際、「東成郡古市村より豊里村に通ずる」架橋が条件に掲げられたといいます。当時の渡船の方法は、船頭が手漕ぎで上流に漕ぎ上り、距離と流れを見計らって対岸へ着けたといいますから、住民は、その不便さを痛感していたのでしょう。一方、南岸の豊里村は、昭和17年に旭区に編入されるまで、さらに不便を強いられたそうです。
昭和23年から市の直営となりますが、周辺部の市街化が進み、利用者が激増したため、片道20分もかかる手漕船(20人乗り)では、通勤時の積み残しや、風雨時の欠航が発生するようになります。そこで、昭和35年10月に発動機船(21人乗り)、同38年12月には新造船(36人乗り)を就航させ、1日に3,000人の乗客と670台の自転車を運んだといいます。
注6)『値段明治大正昭和の風俗史』(週刊朝日編、1986年)
■最後の日■
こうして、淀川に唯一残されていた「平田渡し」も、昭和45年3月3日、豊里大橋の開通とともに廃止されました(図4)。記事には、桟橋と渡し船の向こうに豊里大橋が見えます。大正末期、東淀川区の誕生に際し、住民が望んだ淀川の架橋が45年を経て実現されたのです。
図4 廃止を記す新聞記事
筆者は、昭和45年3月2日、つまり廃止の前日に「平田渡し」に乗船しました。この新聞記事で廃止を知ったのでしょう。記念乗船券がありました(図5・6)。
図5 乗船券表面
図6 乗船券裏面
当時、筆者は工業高校建築科の2年生でした。学年末の製図課題の提出に登校し、その帰りに今市から渡し船に乗りました。当時の渡船場の風景などは記憶に無いのですが、淀川を渡る水面の心地よさだけは覚えています。
「日本万国博覧会」の開催が3月15日ですから、豊里大橋は開催直前に完成したことになります。図7は、豊里大橋の工事中の記事です。万博開催をきっかけに、大阪は大きく変化しました。
図7 豊里大橋工事の新聞記事
次回は、自転車巡りをしたスポットを幾つか紹介します。
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