都島工業学校の生徒作品②-地域のお宝さがし-34

所在地:〒534-0015 大阪市都島区善源寺町1-5-64

■卒業設計■
●市民会館(作者川島宙次、図集頁1~2、33回目表1参照)●
『図集』に掲載されている作品のうち「市民会館」は、都島工業の『卒業設計図集』(昭和6年度)に、平面図(図1)・立面図・鳥瞰図(図3)が収録されています。各生徒は10枚程度の図面を作成したので、取捨選択されたことが分かります。

図1

図1

図2

図2

図1と『図集』の図面(図2)を比較してみると、
①先ず、題目が変更されています。『卒業設計図集』に添付された「設計要旨」によると、本作品の主題目は「スラムの中心建築」で、「市民会館」は副題です。それは、図3の右隅の記入からも分かります。
②室名などの文字は、書き換えられています。
そして、③作者がレタリングしたタイトルなどが削除されています。
ユニークな字体で面白いと思われますが、『図集』に収録するために、図面の体裁が整えられたようです。

「設計要旨」によりながら、「市民会館」を見てみましょう。

計画地は西成区甲岸町(現在の萩之茶屋1丁目付近)で、当該地区の居住環境を改善するための提案です。

施設は、地上4階、地下1階の規模です。北側中央部の主入口の左に公衆食堂、右に職業紹介所・銀行(北棟とする)、東側の公衆浴場(浴場棟)、南西側の宿泊所(宿泊棟)で敷地が囲繞され、各棟は独立し、それぞれに出入口が設けられています。

北棟の地階には、公衆食堂の厨房など、2階には、商業、建築土木など、分野別の職業紹介所、3階には、教室や実習室などが備えられた青少年職業指導所が設けられています。4階は「設計要旨」の記載がありません。宿泊棟は、地階に300人分の更衣室、地上の各階に26人室(8室)、25人・10人室(3室)と娯楽室が設けられ、約1250人が居住できます。宿泊棟と浴場棟は渡り廊下で連絡されています。

中心施設の市民会館の北側にはプール、南側にはテニスコートが設けられています。その地階は日用雑貨や食料品を扱うマーケット、1階は、新聞・雑誌貸出室、ピンポン室などが設けられた娯楽室兼展覧会場、2~4階は公会堂(1300席)、そして4階には託児所(遊戯室、屋上にサンルーム)、幼稚園(屋上に遊戯室)などが設けられています。

敷地全体をみると、北側の職業紹介所・公衆食堂、東側の公衆浴場、南西側の宿泊所、中央部の市民会館と明確にゾーニングされ、動線計画による機能的な平面が創案されています(図3)。

図3

図3

また諸施設を見ると、衣食住、すなわちここで生活が行える立体的な「まち」が提案されています。

立体的な「まち」といえば、建築家ル・コルビュジェが設計した、ユニテ・ダビタシオンが想起されます。マルセイユのユニテは1952年、ベルリンのユニテ(図4)は1957年に実現されていますので、作者はこれらの作品を参考にすることはできませんが、その基本構想となった「輝く都市」は、1930年(昭和5)に発表されています。

図4

図4

本作品は、ユニテと比較すると小規模ですが、その概念は類似しています。当時、「輝く都市」の日本語訳が出ているとは思われませんが、建築雑誌などで情報を得ていた可能性は否定できないでしょう。この作品において、「輝く都市」の理念を援用したとすれば、円形や矩形を多用した平面形態も、コルビュジェの影響と見ることできます。

圧巻は外観です(図5)。これが、昭和初期の工業学校生の作品かと驚きます。

図5

図5

「設計要旨」の「構造様式」には、「外観は総て実用と簡素を旨とす」とあり、大きな横長の連続する開口部、大きなガラス面などで構成された立面から、バウハウス(1925~26)(図6)の影響も感じられるとともに、それを自分のものとして消化していることよく分かります。バウハウスやコルビュジェの思潮の波は、工業学校生にも確実に届いていたようです。

図6

図6

今回は、「設計要旨」が残されている「市民会館」を少し詳しく紹介しました。次回は、他の卒業設計作品(平面図・立面図など)と、似ている作品などを考えてみます。

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