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『OMORI』が期待を遥かに上回る「問題作」だった【ネタバレなし感想】

2024年3月2日に、「OMORI」というゲームの3周年記念コンサートがyoutubeで配信された。

2020年12月の発売から3周年。2021年の日本語版リリースと同時に購入した自分にとって、つまりは「このゲームを積んで2年以上経った」ということを意味する。

このゲームの存在はかなり前から知っていて、もう10年近く前になると思う。当時自分は『ゆめにっき』フォロワーのゲームを漁っていて、開発中として話題になっていたこのゲームを知った。『OMORI』は6年半もの開発期間を経たゲームとして、発売前から長期間にわたり話題の作品だった。以下の動画は、今から10年前にアップされたtrailer動画だ。

今見てもめちゃくちゃワクワクするTrailerである。当時こそ「このゲームむちゃくちゃ面白そう…!早くプレイしたい!!」と思っていたし、ついに発売されるというニュースを見たときは胸躍った。実際、日本語版が出てすぐに購入した。

しかし、その頃はなかなかどうして腰が上がらなかった。『UNDERTALE』がゲーム界にもたらした衝撃が少し落ち着き始め、正直に言うと『OMORI』に対して「この手のゲーム」というレッテルを貼ってしまっていたことは否めない。なんとなく、このゲームをプレイすることで味わえる感動や体験が想像できる気になっていたのだ。つまり、革新的な面白さは無いだろうと。『MOTHER』や『ゆめにっき』に影響された、『UNDERTALE』みたいなゲームなのだろうと決めつけていた。

しかし、「やるゲームも無くなったし積みゲーでも消化するか」という軽い気持ちでプレイした自分は、あまりの内容に言葉を失った。およそ体験したことのない感情にさせられ、クリアした日の夜は全く寝付けなかったほどだ。
このゲームはわかりやすい感動を得られるゲームではなかった。とても攻めているテーマを描いた革新的な「問題作」だったのだ。

結果的に2周プレイし、全てのエンディングを見終えて考察などもあらかた読み漁ったので、満を持して感想を記録しておきたい。


OMORIの概要(簡単に)

『OMORI』を起動した際、こんな画面が出現する。

OMORIの注意喚起画面

このゲームにはうつ病・不安神経症・自殺の描写、
及び、映像が激しく点滅する演出が含まれます。
苦手な方・光過敏性発作の恐れがある方はプレイをお控え下さい。

先程『OMORI』は「MOTHERとゆめにっきに影響を受けたUNDERTALEみたいなゲームだろうと決めつけていた」と書いたが、実際のところ雰囲気としては間違っていない。
OMORIはそこからさらに「鬱」や「死」といったテーマを扱った作品であるらしい……ということは自分もプレイ前から知っていた。とはいえ『ゆめにっき』にもそういう描写は多く見られるので、ホラー演出のひとつだろう、くらいに考えていた。

実際のゲーム画面はこんな感じ。

ゲーム冒頭のやりとり
OMORIの戦闘画面
イラストがとにかくかわいい

パステルカラーのポップなグラフィック、落書き風の戦闘画面、可愛いイラスト……こんなファンシーな世界を旅するRPGだ。

主人公のオモリと、仲良しの友達であるオーブリー、ケル、ヒロの4人パーティ。みんなの親友であるバジルの行方を探しに、オモリのお姉ちゃん・マリにサポートしてもらいながら大冒険をするというストーリー。

しかし、(これは重大なネタバレでは無いが)これらはすべて夢の世界。
夢から覚めると、主人公「サニー」はどうやらあと数日で引っ越しをするらしく、その準備の真っ最中。
このゲームは「サニー」が引っ越すまでの残り数日のあいだ、夢と現実を行き来しながら物語を進めていくという内容になっている。

RPGとしての感想

個人的には面白かった戦闘システム

steamのストアページからの引用

OMORIはシンボルエンカウントのターン制バトルという、オーソドックスな戦闘システムのRPGだ。
落書きのようなグラフィックの戦闘画面は可愛い反面、テンポの悪さが割と不評な印象だが、個人的にはそんなに気にならなかったし、特にボス戦はとても楽しかった。

よくある素早さ基準のターン制バトルでありながら、戦闘がAボタン連打にならず、しっかり行動を考えながら戦う必要があるゲームバランスが楽しい(逆に言えばそれがテンポの悪さにつながっているのだが)。

バトルを奥深くしているのが「感情システム」と「やる気システム」だ。詳細な説明は省略するが、「にっこり」「いらいら」「しょんぼり」の3すくみの感情を使い分けるのが非常に重要になるのと、ダメージを受けるごとに蓄積される「やる気」を使用して出すキャラごとの「畳み掛け」をいかに使うかも悩みどころで、意外と頭を使う。キャラごとのスキル(技)もポケモンのように4つまでしかセットできず、どれをセットするか考えるのも面白い。

感情の3すくみ図

また、ボスがかなり手強いのも楽しい。ほとんどのボスが「これは負けイベかな?」と一瞬疑うレベルで強い。上述のシステムを上手く駆使して考えながら戦わないといけない。
その上、このゲームはやたら隠しボス的な存在(倒さなくてもストーリーに支障がないボス)が多い。1周目クリア後はひたすら隠しボスと戦うやり込みを楽しむことができた。

通常の戦闘が面倒といってもダッシュを使えばその辺の雑魚敵は簡単に避けれるので、個人的にはバトルに不満は全く無かった。

ゲームとしての「冗長さ」が難点

OMORIをプレイした人の多くが恐らく感じるであろう欠点として、「冗長である」ことは無視できないと思う。このゲームは正直、RPGとしてはダルい展開が多いのだ。

そもそもこのゲームは一周クリアするまでのプレイ時間は約20時間となかなかのボリュームがある。それほどしっかりと作りこまれた作品であるとも言えるが、正直なところ不必要に長ったるいシーンが多いかなと感じた。

物語の本筋として重要なパートはむしろ丁寧に描いてくれているんだなと感じられたものの、特に重要じゃないイベントでも毎回ハイカロリーなやり取りが発生するのは疲れた。
ダンジョン攻略の仕掛けでもいちいちミニゲーム的なものが発生したりと面倒に思えるものが多かったように思う。

夢の中だからこその茶番と言えるが、いちいち長い……

しかも、それだけのボリュームにも関わらずこのゲームは周回プレイ要素が強い。選択肢によって大きくルートやエンディングが異なり、ファイルを分けてセーブできるとはいえどこでルートが変わるかわからないと取り返しがつかないので、20時間かかるボリュームを2周するハメになる。
実際自分は2周プレイをしたが、必要以上に長いと感じるイベントをもう一度見るのは正直しんどかった。

この点を楽しめる人もいるかもしれないが、みんなの感想を調べていても多くの人が中だるみや、周回プレイの不親切さを感じているように見受けられたので、割とわかりやすく欠点といえる要素かなと思う。

OMORIの革新性

ではこのゲームの何が革新的なのか?というと、それは「ストーリーテリング」に他ならない。

もちろんBGMを含め演出面もとても素晴らしい。それこそ『MOTHER』や『ゆめにっき』へのリスペクトを感じるユニークな演出が多く、一つ一つのアイデアも魅力的である。

しかしそれ以上に、このゲームで描かれている「ストーリー」は、これまで体験したことがないほどショッキングなものだった。

真相を丁寧に隠し続ける、重厚なストーリーテリング

このゲームは「主人公が何らかのトラウマを抱えていて、それから逃げるために夢の中に引きこもっている」ということは少しゲームを進めればわかるのだけど、真相がなかなかはっきりと語られず、プレイヤーは「こんなことがあったのかな?」となんとなく予想しながら進めていくことになる。

しかし、最終的に真相が明らかになったときは意識外から突然ナイフで刺されたような衝撃がある。ゲームに突然裏切られたような、突き放されたような感覚だった。

真相が衝撃的な物語というのはこれまで何度も味わってきたし、ヘヴィな内容の作品もたくさん経験してきた。「鬱ゲー」とか、小説だと「イヤミス」とか、そういうものだ。
しかし、OMORIでの体験はそれらとは全く異なるものだった。

これまで体験したヘヴィな作品は大体「後味が悪い」とか「救いがない」とか、辛い、悲しいという感情がわかりやすかった。
しかし、OMORIのストーリーを体験して感じたのは「この物語に対して自分はどういう感情を抱いてよいのかわからない」という動揺だった。クリアして、ここまで感情の整理がつかないゲームは間違いなく初めてだ。ゲームに限らず、映画や小説でも覚えがない感覚だった。

このゲームの制作者・OMOCATも「多くのゲームが扱わない題材を採用している」と語っているらしい。「死」や「うつ病」自体を扱ったゲームはまだあると思うが、ここまで考えさせられるほどの内容に迫った作品は、少なくともゲームでは他に無いのではないか、と確かに感じさせる。

わかりやすい感動の物語ではなく、「ここまでやるか」というほどに攻めた問題性を孕んだ、革新的なストーリーであると思う。

OMORIのシナリオに対する感想

OMORIは「想像力」と「治癒」の物語

初めてクリアしたときは感情をぐちゃぐちゃにさせられ考えすぎて眠れなくなるほどだったが、今になって少しOMORIのストーリーをしっかり咀嚼して飲み込むことができたので、改めてこの作品に対する自分の感想を最後に書いておきたい。

その前に少し話が逸れるけれど、自分は最近、河合隼雄の対談本を二冊読んでいた。一つは小川洋子との対談、一つは村上春樹との対談だ。

どちらも臨床心理士と作家の対談ということで、「物語」というものに焦点が当たった内容になっている。

実際にこんなことも対談の中で語られている。
病んだ人の中には、「殺す」という行為(自死を含む)でしか救われない人間というのが確実に存在する。しかし、箱庭療法のような「ものを作る」という行為によって、「殺す」という根本的な解決の手段を避けて生きることができる、と。

また、少し前にいとうせいこうの『想像ラジオ』という小説を読んだ。

東日本大震災を受けていとうせいこうが久しぶりにフィクションの話を書いたという作品で、「被災を経験していない人が被災者や死者を想像することは都合の良いことではないのか」という問題に対して、それを否定し、むしろ「想像する」という行為を肯定する物語となっている。名著中の名著である。

河合隼雄の対談で語られていた「物語による治癒の力」、『想像ラジオ』で描かれた「想像力の肯定」。これらはまさに『OMORI』で描かれているテーマそのものではないか、と感じた。

トラウマを隠す世界が、乗り越えるための世界にもなっている

主人公・サニーは、とんでもないブラックボックスをトラウマとして抱えていて、それを奥に押しやるために夢の世界と「オモリ」という別人格を作って現実から逃げ続けている。
サニーの現実からの逃避は、真相を知るほどにとても身勝手なものと感じられる。『OMORI』という作品で描かれる夢の世界は、徹頭徹尾サニーにとって都合の良い物語になっている。

しかし、サニーの身勝手さに一番気づいている人間もまたサニー自身である。殺したいほど憎い人間が自分自身になってしまったサニーにとって、どんなに都合の良い想像の世界であっても、それによってトラウマを乗り越えて生きていけるのであれば、これ以上の物語は無いのではないか。

……という感想を抱けるようになるまで、とても時間がかかった。クリアしてからしばらくは、どういう気持でこの物語と向き合えば良いのかがずっとわからなかったからだ。クリアしてからも、2周目をプレイしながら毎日考えて悩んで、やっと自分なりの感想を出せた気持ちでいる。

万人には勧められない「問題作」

何度も言うが、このゲームはわかりやすい感動を得られる作品ではない。ただ悪趣味な作品だと一蹴してしまう人がいても不思議ではない。
RPGとしての未熟さも含めて、このゲームを人に勧めるのはどんなに趣味が合う人でも躊躇ってしまう。

しかし、プレイした人全員におそらく何らかの傷跡を残すであろうこの作品に対して、どういう感想を抱いたか、どう向き合ったか、人の感想がこれほど気になるゲームもなかなかない。

おそらくプレイした誰もが、OMORIをクリアした頃には登場人物全員が実在する人物であるかのように、キャラクターの未来と幸福を案じることだろう。それもまた、プレイヤーが彼らの痛みを想像できるからであるし、世界への移入のしやすさという点で「ゲーム」という媒体でこそ到達できる表現だったと思う。
(実際この作品はもともとウェブコミックから始まり、どうしてもゲーム作品で表現したいという制作者の希望でクラウドファンディングが始まっている。開発が上手くいかず長い期間を要した中で、完成まで持っていきリリースしてくれたことには感謝しかない……)

自分もまた、サニーを初めこの物語の登場人物たち全員に明るい未来が待っていることを切に祈っている。

さいごに余談(若干ネタバレあり)

自分が最初に見たエンディングは「バッドエンディング」だった。グッドエンディングにたどり着く手前の選択肢を誤ると見られるエンディングなのだが、自分は別にバッドエンドを回収しようと思ったわけではなくこれこそ正解だと信じて選択した。

しかしこのバッドエンドを見た人なら誰もが「ある意味でハッピーエンドなのではないか」と一瞬は考えたはずだ。普通に考えればそんなことはないとわかるのだが、プレイヤーもグッドエンドを放棄したくなるほどに目を背けたくなる真相がある。
実際、「グッドエンディングは本当にグッドなのか」という感想は多く散見される。

しかも、OMORIの主題歌的楽曲である『My Time』がバッドエンディングでしか流れないという演出がまたニクい。まるでバッドエンディングこそが正規エンディングであると錯覚してもおかしくないほど派手な演出が用意されている。
バッドエンドのあとにグッドエンドを見たときは、そのあまりに地味なスタッフロールに驚いてしまった。

しかし、この演出こそが『OMORI』における正解であるし、グッドエンディングこそがこの物語における「グッド」であるということを、自分は信じて疑わない。


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