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あの日本当にタイムカプセルを埋めたのか?【5】

【これまでのあらすじ】
小説家の佐倉真人さくらまことは、小学6年(1993年)の時に学校の中庭にうめたタイムカプセルのことをふと思い出した。しかし具体的な内容が思い出せない。かつてのクラスメイトにタイムカプセルのことを訊ねていくうちに、真人は自分の記憶がところどころ欠如していることに気が付く…

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続…2021年―オレ、40歳。

恵くんの執念が実を結び、ついに【タイムカプセル】が見つかった。

いや、正確に言えば
【タイムカプセル】の中身が見つかった
と言うほうが正しいだろう。

図書館の司書室に眠っていた膨大な資料を整理したところ、あの式典に参加していた生徒たちのメッセージが参加者リストとともに見つかったのだ。

【タイムカプセル】は地中に埋めておらず、メッセージは劣化防止のためどこかに保管してある、というオレや隆夫の予想が当たっていたということになる。

恵くんは、余程嬉しかったらしく、タイムカプセルイベントに参加した生徒にメッセージを引き取りに来てもらうイベントをすぐさま計画し、発表した。

卒業生へ向けたお知らせを大々的に実施するのはもちろんのこと、新聞や市報の記者にお願いして、今回の「大捜索のエピソード」を掲載してもらったらしい。

『開校100年記念の時に埋めたタイムカプセルの中身が見つかりました!未来の自分に向けたメッセージを受け取りに来ませんか!』
詳細のお問い合わせは、タイムカプセル捜索委員 金橋まで

北海道XX新聞に載った記事

もちろん、オレのもとにも個別にメッセージ引き取りの連絡が来た。この時点でオレは相変わらず【タイムカプセル】を埋めた時期のこと、それに入れた【メッセージ】のこと、そして…【さくら先生】のこと、何一つ思い出せないでいた。

そのメッセージを観れば、何か思い出せることがあるのかもしれないと気にはなったが、その頃小説の書籍化が決まり、2~3か月はこまかい仕事が立て込んでいた。それらの仕事を片付けない限り札幌に行けそうになかった。

恵くんには、『メッセージを郵送してくれればいい』と、伝えたのだが……恵くんは、頑なに『手渡ししたい』と言ってきかないのだ。何か事情があるのだろうか。オレは疑問に思いつつも、現在のオレのスケジュールを説明して、恵くんに納得してもらい、メッセージについては保管をお願いした。

◇  ◇  ◇

小説の書籍化に関する確認や、もろもろの作業に追われて、オレは事務所と出版社とを行き来する日々が1か月くらい続いた。

そんなある日のことである。オレがいつものように出版社の編集ルームから帰ろうとすると、担当編集者が後ろから声をかけてきた。

「そうだ、桜先生。先生あてのファンレターやら郵便物がいろいろ届いていまして、お渡しするの忘れていました……すみません。これ、持って帰りますか?それとも、事務所にまとめてお送りします?」

担当編集者の手元には中くらいの紙袋が一つ。

「あ、もらっていきます。いつもありがとうございます」

オレはその紙袋を受け取り、出版社のビルの前でタクシーを拾う。
タクシーに乗り込み、行き先を告げた後、編集者からもらった紙袋の中身をざっと確認した。

ファンレターと思わしき色鮮やかな封筒に紛れて、茶封筒がのぞいていた。そしてその封筒には、「シマエナガ」のかわいい切手が貼られ、札幌の消印が押されている。オレは、その封筒を手に取って差出人を確認した。

それは「ヒデキ」からの手紙だった。消印の日付は2週間前。恵くんが【タイムカプセル】を見つけたといって連絡してきたころだ。

LINEで連絡できるはずなのに…改まって手紙で送ってくるなんて……開封し中を確認してみる。

同封されていたのは、新聞記事のコピー2枚と手紙だった。

コピー1枚目は、2004年の新聞…オレが大学を卒業した年

54歳男性が行方不明 X月X日

警察によりますと、行方が分からなくなっているのは札幌市に住む54歳の男性で、友人は連絡を取り続けましたが、男性の携帯電話につながらず、警察に通報したということです。

X日午後、〇〇岳の付近で男性の黒のワンボックスカーが見つかりました。警察は男性が入山したとみて事件・事故両方の面で捜索を続けていましたが、車内からは遺書のようなものが見つかっており…

コピー2枚目は、1994年の新聞…オレが小学校を卒業した次の年

20代女性が行方不明 X月X日
北海道警察では、札幌市豊平区に住む女性の行方を捜しており、捜索を開始してからXX日が経過しましたがいまだに発見に至っておりません。

なお、女性は職場を退職してから行方が分からなくなっており
警察は事件・事故両面の捜査を進めています……

残りはヒデキからの手紙。

そこには、オレの知らないことが綴られていた。

佐倉真人様

突然の手紙すみません。ヒデキです。
電話するか、LINEするかいろいろ悩んだのですが、気持ちを整理しながら伝えたいため、手紙をかきました。

実は、オレはめくるさんに頼んで、一緒にタイムカプセルの資料を探す手伝いをしていました。今回のメッセージカードも、めくるさんとオレが見つけたんです。大方の予想通り、図書室の司書室(倉庫)にメッセージカードは保管されていました。

実は、今回手伝いを申し出たのは、タイムカプセルを探したかったのではありません。

さくら先生の行方を知りたかったからです。

オレは、さくら先生が好きでした。
初恋でした。

真人さんは図書委員会の頃から、さくら先生と仲良しで、”ライバル”みたいなものだったから、今までこのことなんとなく言い出せないままでした(すっかり大人になってるのに気持ち悪い発言すみません)。

さくら先生は、タイムカプセルの実行委員の一人だったし、いなくなる前までの様子を知る手かがりがないか、探したかったんです。

ヒデキが【さくら先生】を好きだった……初めて知った。そして先生の足取りを追っていたなんて思わなかった。便箋は5枚ほど……荒々しいヒデキの字体に心の乱れを感じる。オレは、意を決して手紙の続きを読む。

オレ、さくら先生が辞めた後、しばらく文通していたんですが、消息がつかめなくなってしまい……小学5年生の時…1994年に手紙にかかれた住所を訪ねてもみたんですが、その時にはそこはもぬけの殻でした。

諦められなくて、大人になってからもできる範囲で色々調べていたんです。

そしたら、今回同封した新聞記事を見つけたのです。オレは嫌な予感がしました。捜索願や当時の新聞、当時の状況を知っている人の話を聴いたり、調べられるだけ調べました。

1994年の失踪の事件、
この女性は さくら先生でした。

オレは手紙を読んでいくうちに、頭痛が激しくなっていった。寒気がする。

”向き合わなければいけない真実”だと、本能的に感じているかのようだった。

(つづく)


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駆動トモミ/工藤友美
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