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シンギュラリティの憂鬱

【あらすじ】AIが世の中に浸透し『あたりまえ』となった時代のお話…


むかーしむかし…2020年くらいだったかな?
「AIの技術が進歩すると、ニンゲンのやるべき仕事の役半数がAIに奪われてしまう」とかっていう妄想が流行ってたらしいですね?

実際…ここ2、30年のうちにAIはすごい速さと勢いで普及したんだ。しかもとても良い経済効果をもたらした。それは認める。AIの技術を導入して、瀕死の企業が人件費削減に成功してV字回復したり、画期的なAIを向上に導入した会社が世界トップレベルの企業にのし上がったり、いろんなミラクルを間近で見てきた。

でも、ニンゲンの仕事を奪うなんていうのは大げさだよ。だって、AIが本格的に導入されるようになってからだいぶ経つのに、いまだにAIは僕の仕事を奪ってくれていないじゃないか。

銀行の口座開設、役所の書類発行、病院の診察受付、証券会社の取引、スーパーやコンビニのレジ業務、郵便物の受け渡しなど…つまり、ニンゲン同士でやり取りしていた仕事…これらの仕事は、いま当たり前にAIがやっている。決まりきった案内と手続きばかりだからだ。イレギュラーな時だけニンゲンが登場する。いわゆるクレーム対応でペコペコ頭をさげなきゃいけない時。でもその対応方法も基本的にはAIにお伺いを立てて、ベストなフローを即時に構築してくれる。謝罪方法・損害が生じたときの補填・裁判沙汰にならないための回避方法…すべてAIが導き出してくれる。余程のことがない限り丸く収まるんだ。

だからてっきり僕の仕事ももれなくAIが ”奪ってくれる” のだと思ってワクワクしていた。でも何年たっても、僕の席がAIにとられる気配がない。しかも会社にちゃんと出勤しろときている。電車に乗って会社に来てるんだ。リモートワークが当たり前の時代に!!我ながら信じられない!

なんの業務をやっているかって?

僕は「ニンゲンの相手をする業務」をやっている。
いわゆる【お客様対応】。じゃあAIに任せられるじゃない?って思うでしょ。でもね、うちの社長がAIをよしとしないんだ。僕の勤め先は、生命保険、損害保険…とりあえず保険と名がつくものをなんでも取り扱っている【保険会社】。うちの社長曰く「安寧な人生100年を送るために、保険商品を求めるお客様がいる。そのお客様に一人一人に寄り添うサービスを提供するためには心の交流が必要だ!」…だそうで…

僕は、自分の仕事を楽にしたかったから、やってる業務内容を徹底的に洗い出した。そして、こういうAIチャットボットを設計し処理すればイニシャルコストはかかるけれどすぐ回収できるよ!なによりも人件費が削減できるよ!という資料まで作って部長や課長と掛け合ったけどダメだった。お金の問題じゃない。心だって。病気で入院費の用意が不安なお客様や、家族がお亡くなりになって路頭に迷うお客様の相手を、機械的に対応するAIに任せるのはNG…心の機微を感じ取って受付業務をせよということなんだな。

たしかに昔のAIは性能が良くなかったよ。AIチャットボットに『お悔やみ文』の生成をお願いしたら『このたびはおきのどくでしたね』なんて、まるでRPGのメッセージみたいな文章を生成したし、『メンチカツ』のイラストを生成するようお願いしたら『メンチを切る勝新太郎』のイラストを生成したりとかさ…とてもニンゲンの代わりに仕事ができる雰囲気じゃなかった。

でも今はちゃんと改良が重ねられ、成功率の高くなるプロンプト…命令の仕方…があるんだ。だからお客様の相手をAIにさせられないっていうのは、古い考え方だよ。高性能なAIシステムを導入すればニンゲンの心に寄り添えるのに。お偉いさんは頭がカタイなぁ。いや過度の心配症というべきかな…

そんな僕のココロなどお構いなしに、今日も業務開始の時間がやってきた。始業チャイムがなる。

お客様対応は、実際に窓口にいらっしゃったお客様のお相手をする【窓口担当】、ビデオ通話チャットシステムを使ってお客様のお相手をする【チャット担当】、あとはメールでのお問い合わせに対応する【メールサポート担当】の3つに分かれている。僕は【窓口担当】です。窓口担当はニンゲンが相手なので、20年以上勤務していないと就けない、腕が試される業務なのである!!

…というと聞こえがいいけど実際はあんまりやりたがる人がいない!僕は最初メールサポート専任だったのに、なぜか窓口担当にまわされて、そこから配置換えなし。今勤めている会社は、便宜上給料の良さで選んだけど、この時代、ニンゲンと長時間相手するのは精神的につかれるし、窓口担当は割に合わない気がしている。よその会社でAIのお守りをすればもっとよいお給料がもらえるところも出てきた。だからもし、うちの会社にAIが導入された暁には、AIの管理担当に異動を希望するか、それが無理なら転職しようかなって思ってるんだけど…この会社は僕の仕事を長年評価してくれているんだよね。だから、なんとなーく現状維持…

始業して数十分経過すると、受付番号1番、2番、3番…と僕の手元のディスプレイに受付番号が表示される。入り口でお客様が受付カードを発券すると受付番号が増えていく仕組みだ。今日は来社するお客様が多いな。僕はマイクのスイッチをオンにして、お客様を呼び込む。

「1番のお客様、窓口へどうぞ」

1番のカードを持ったお客様が席に着く。50代のご婦人。ちょっと不安そうな表情をしている。

「よろしくお願いいたします」
「本日は、どのようなご相談でしょうか」
「はい。実は、主人が肺がんを患ってしまいまして…手術をしたいと思うのですが、片肺を摘出するだけでなく、機械の肺を取り付ける手術をしたいという状況なんです…それでおたくの保険がどの範囲まで適応できるか…それを知りたくて…」
「そうですか。ではご契約を確認します。弊社の【ニコニコホケンカード】はお持ちですか?病院の診断書などもお持ちであれば拝見させてください」
「はい。こちらです」

ご婦人は【ニコニコホケンカード】と病院の診断書をカウンターのうえに出した。

【ニコニコホケンカード】とは、うちの会社が発行しているお客様の契約内容や被保険者などの情報が登録されているICカードだ。現在は、紙の保険証書などは完全撤廃されており、ICカードのような物理的な記録媒体か、指紋認証、虹彩認証でやり取りしていることが多い。うちの会社で採用しているICカードも今となってはかなり時代遅れの管理方法なのだけれど…社長のこだわりで採用している…

【ニコニコホケンカード】をスキャンする。情報が出た。ご夫婦二人暮らし。すでに独立した息子が一人。うちの商品をたくさん契約してくれている…保険契約は通常の医療保険…あ、がん保険にも入っている。入院特約はついているものの、そんなに金額でないな…入院のベット代にもならないかもしれない…機械の身体にする手術には…残念ながら適応しない契約っぽい…

「お客様、ご契約内容を確認させていただきましたが…ちょっと今の医療保険ですと、通常の手術の範囲までなら適応ができますが、機械導入の手術には適応しないものでして…いかがいたしましょうか…」

僕は申し訳ない気持ちでいっぱいとなる。だが、仕方ない。誠心誠意ご説明させていただいた。

「そう…残念ね…やっぱり機械の肺はあきらめてもらうしかないわね…」

ご婦人は、とっても悲しそうにうつむいてしまった。ハンカチをとりだし目頭を押さえている。きっと藁をもすがる思いで今日、窓口にこられたのだろう。チャットではなくわざわざ窓口を訪ねてこられた…思いが伝わってくる。

僕は、何とかできないかと思って、お客様のご契約データを改めて確認した。たくさん契約されている商品の中で何か使えるものは…

「あ…!」

僕は一つの保険に目が留まった。

「お客様、ご主人様は弊社の特別保険【生命維持保険】にご加入されていて、現在もご加入の継続されております…あと一度ご利用されてますよね」
「え?」
「すでに【生命維持管理装置】や【生体維持システム】を一部ご利用されていますか?」
「ああ…数年前に【血液透析装置】を入れる手術をしています」
「【生命維持保険】については、システム・装置導入にかかる費用、メンテナンスにかかる費用の3分の1を賄う保険となりまして…おひとりにつき3つの装置導入まで保険が適応されますから、まだ適応可能ですね。これならいけるんじゃないでしょうか。医療保障や入院保障と併用して、こちらの保険の給付申請をすれば、かなりご負担は減りますよ」
「それが可能なんですか?」
「ええ!わたくし、この保険を実際利用したことがあるんですよ。実は…こんなロボットみたいな見た目をしていますけども、わたくしのこの中身…臓器などはニンゲンのままでして…」
「え!?」

ご婦人は驚いて僕の顔をじっと見た。

「わたし、あなたはAIロボットさんなのかと思ってました…違うんですね?どおりで優しい対応なわけだわ。失礼しました」
「いえいえお構いなく。わたくし、学生時代…バイク事故で派手に大怪我をしましてね…生きるか死ぬかの瀬戸際だったんです。弊社の医療保険に複数加入しておりましたので適応しようとしたところ、今回のご相談ケースと同じく適応外でした。でもたまたま【生命維持保険】にも入っていたんです。その給付を申請して今の身体を手に入れたんです!」
「そうだったの…大変なご苦労だったでしょうねぇ」
「ですから、ご主人様にも適応できるはずですよ。念のため、適応できる確認しますね。あと保険金のお支払金額についてシミュレーションをしてみますのでお待ちください」

ここからは審査部門の担当となる。手元のタブレットから必要な情報を入力して送信すると確認のうえ、結果が返ってくる仕組みだ。

「お客様、結果が出ました。特に問題なくお支払いができそうです!」
「まぁ…よかったわぁ」
「つきましては、入院日・退院予定日・手術日が決定次第お手続きに進むことができますので、ご主人様や主治医とご相談してまたいらしてください」
「わかりました」
「もしご来社が難しければチャットでも大丈夫です。わたくしが最後まで責任をもって担当させていただきます」
「ありがとう…相談してよかったわ…」
「手前味噌ですけど、弊社の【生命維持保険】とってもいい保険なんですよ!」
「うちの主人もね…おたくの保険は信用できるし、これからの時代長く生きていくには、新しい医療技術に頼るのも必要だからって【生命維持保険】に入ったんですのよ。実は…ほかの保険会社の契約もあったの。だけど、適応できそうな条件が揃わなくて…しかもよそは画面ごしの相談でしょ」
「ああ、ほかの会社はほとんどAIチャットボット対応ですから…」
「そうなのよ、だから機械的に判断するだけ!対面でじっくり相談できるところがなくて…今日もダメでもともとやってきたの。でもアナタのようなひとが窓口にいて本当にうれしい!だからおたくの会社好きなのよ」
「ありがとうございます。こちらもお役に立ててうれしいです」
「では、また来るわね。次回もよろしくお願いします」
「はい!お待ちしております。ありがとうございました」

僕は深々と頭を下げて、お客様を見送った。

そこから何組かお客様の対応をした…キックボードで物損事故を起こしたのだが契約している保険は使えるかとか、得体のしれないサイトで買い物をしたら物が届かないのでショッピング損害保険を適応したいとか、バラエティに富んだ相談が来る来る。珍しい流れ。気が付くともうすぐ12時。昼が近づいていた。

ちょっとへとへとになってきたので次のお客様の対応が終わったら昼休みに入ろう。そう思いつつマイクのスイッチをオンにして、お客様を呼び込んだ。

「次の方…22番のお客様、窓口へどうぞ」

現れたのは、70代くらいの男性。

「金親といいます。よろしく」

僕を一瞥すると、カウンター上に【ニコニコホケンカード】をぶっきらぼうに出す。第一印象は昔の頑固おやじ。一筋縄ではいかなそうな雰囲気がすでに漂っていた。なにせ僕に心を開こうとしていないのが態度で分かる。たぶんロボットやAIの類が苦手…というより嫌いなのだと感じた…ただ、頭ごなしに決めつけては対応に影響がでる…あくまでフラットに…平常心…平常心…

「カネチカ様、いつも弊社をご利用くださりありがとうございます。本日はどのようなご用件でしょうか?」
「契約しているペット保険について聞きたい」
「ペット保険ですね。承知しました。まずご契約状況を確認させていただきますのでお待ちください」

【ニコニコホケンカード】をスキャンする。情報が出た。お父様とお嬢様の二人暮らし。この方もうちの商品をたくさん契約してくれているなぁ…医療保険はもちろんだけど、がん保険、生命維持保険も入っている。 自動車保険 に火災保険、傷害保険、葬儀保険、スノボ保険、ゴルフ保険…掛け金合計額がすごいな…お金持ちなのかな…それともとっても心配性なのか…

あ!このお客様、【宇宙人誘拐保険】に家族で加入してる!昔、自分の知り合いに冗談で加入を勧めたら、面白がって入ってくれたことがあったっけ。この保険、入ってるお客様5人くらいじゃなかったかな~。宇宙人に誘拐されて地球に戻ってきた時に心身被害があったら、保険金が支払われるって商品なんだけど…申請者が宇宙人に誘拐されたことを証明しなければいけないんだよね。テクノロジーが発展してもなかなか証明するのは難しくない?こんなギャグみたいな保険はいってる人いるんだ…

おっと、横道にそれた。【ペット保険】ね。えーっと、うちの会社の【ペット保険】は…犬・猫・鳥・爬虫類・両生類・その他動物園で取り扱えるような動物などにも適応。ペットロボット・AIペット・ホログラムペットにも適応可能。結構対応範囲が幅広い。ただし、昆虫は対象外…と。保険の内容としては、ペットの治療・修理などが補償対象で、治療費用の70%をお支払い。24時間365日いつでも相談料無料で、電話相談ができる加入者限定の付帯サービス付き。ふむふむ。保険料は…今もお支払いただいている。

「カネチカ様ご契約の【ペット保険】は現在も有効でございます!」
「では、実際に保険を利用できるか相談したい」
「現在ご申請が必要な状況ということでしょうか?」

そう訊ねると、カネチカ様はカウンターの上にペットキャリーをドン!と置きキャリーのドアを開けた。どうやら実際ペットを連れてきたらしい。

「この子を”修理”したいんだ」

キャリーからひょこっと顔を出したのは【ばうわう】というAIのペットロボットだった。

1999年から2000年代初頭にペットロボットのブームがあったんだけど、それ以降も何回かペットロボットのブームがあった。【ばうわう】は2030年発売で、高性能の知能を搭載し、愛くるしい顔としぐさが話題を呼んで爆発的に流行したAIドッグロボット。今でもバージョンアップしつつ販売されている。

カネチカ様の【ばうわう】は、立派な赤い牛革の首輪をしていた。しっかり手入れされているご様子。顔つきをみるとおそらく旧モデルのものだろうなぁ。可愛い!懐かしい!思わず声のトーンが上がる。

「かわいいワンちゃんですね~。これ、僕も昔一緒に住んでましたよ!どこかお加減が悪いんですか」
「実は…恥ずかしい話だが…先日わたしが、足にまとわりついてきたこいつを巻き込んで、一緒に階段から転げ落ちてしまってね…」
「ああ…」
「私は軽いけがで済んだんだが…こいつはその時にどこかの制御機能が壊れたらしく…ふとした瞬間に電源が落ちたり、動けなくなったり、鳴かないようになった」
「そうですか…ワンちゃんの型番や製造年はわかりますか?」
「いや、細かいことはわからん。娘の持ち物なんだ」
「ではちょっと、確認のために触らせてもらいますね」

僕はワンちゃんに手を伸ばす。知らない場所に連れてこられてちょっとおびえている様子で、なかなかキャリーから出てこない。AIロボットとはいえども知能がある。人見知りのAIというのも普通に存在するのである。

「こわくないよ。おいで」

僕の声に反応して耳をぴくぴくさせている。ちょっと手のひらの匂いなどをかがせてみると、僕の顔を見た。すると安心したのか尻尾を振ってひょこひょことでてきた。いまは多少動けるらしい。僕は【ばうわう】の頭や背中をなでつつ、ひょいと軽く持ち上げて、お腹に小さく書かれている型番・製造番号・製造年を確認した。

「えーっと IMKA-111 2035年型ですね。お腹見せてくれてありがとね」

僕は【ばうわう】をそっとカウンターの上におろす。【ばうわう】はその場で伏せをしておとなしくしていた。

「ご契約のペット保険は、もちろんペットロボットにも適応できます。ですが…機種や製造年によっては対象外となる場合がございまして…お調べいたします」

僕はタブレットで情報を確認した。

ああ…だめだ…うちのペット保険で適応できるロボットは【2040年以降】のものだった。【ばうわう】は第4次AIペットブーム以前の商品だから、適応外…それにこの条件ならば本来時期が来た時に加入を継続するか確認しなければいけないが…未確認のようだ…
  
「カネチカ様、誠に申し上げにくいのですが…このワンちゃんの製造年は、ペット保険の適用外でございます…」
「そうか」

静かな返事。怖い。クレームになるかも。こういう時は初動が大切。
”こちらが悪かった点について正直に認めて謝ること" これに尽きる。

「本来、適応条件から外れた場合、現状の確認や、掛けかえのご提案などのお声がけをさせていただくのが弊社のシステムなのですが…弊社のサービスが行き届かずご加入を継続しお支払いしていただいていたようです…大変申し訳ございません!!」
「わかった。大丈夫だ…」

頑固おやじ風のカネチカ様…怒り出すのじゃなかろうか…と思ったが案外冷静な雰囲気で結果を受け止めた。

「実はメーカーのサポートセンターに掛け合ったところ、修理受付はすでに終了しているといわれた。また、民間のAIロボットセンターにも相談したが、修理を施すには、新たな制御部品が必要らしくてね。フルオーダーメイドで結構な費用が掛かるといわれたんだ」
「そうでしたか…」
「娘の大切なモノだから、直すつもりではいるのだが…すぐには金が用意できない。そんなときにおたくの保険を思い出してね…だが適応外なら仕方ない…ペット保険に頼らず、修理費用を工面してみるよ」

頑固おやじのカネチカ様がふうっと大きく息を吐く。そして、しおしおと背中を丸めてぼそぼそと話し始めた。

「私が悪いんだ。私がロボットが嫌いだなんだといわなけりゃすべてうまくいったのに。自業自得だ。なにもかも。すぐ直してやると言って家を出てきたけれど…娘にあわせる顔がない…」

カネチカ様は、ごつごつした手のひらでご自身の顔を覆う。

「あの…大丈夫ですか…」

立場上、お客様のプライベートな話に介入しすぎるのは良くない。ただ、先ほどの頑固おやじ風な態度からは想像もつかない弱弱しい雰囲気にただならぬものを感じて、寄り添ってあげたくなった。

喉からぐっと声を絞り出すように、カネチカ様はつづけた。

「うちの娘はね、歩けなくなったんだ。私のせいで」

重たい話になりそうだ…僕は身構える。

「今から17年前…娘が23歳の頃…娘に恋人がいた。その相手と、同棲して、結婚まで考えていた…けれど私が猛反対しましてね、無理やり引き離して別れさせたんだ…」
「反対ですか…それはまた…なぜ…なにか問題でもあったんですか?」
「相手が、ロボットだった」
「ロボット…」
「…子孫を残せないロボットとの結婚など、私は許すことができなかった」

ドキッとした。

2045年以降は、多様性が認められ、同性婚はもちろんできる。ロボットやアニメキャラ、ホログラムキャラなんかとも結婚することもできるようになっている。だから、僕のような見た目がロボットで中身はニンゲン…という状態となっても特に結婚に支障はない。ただし、「遺伝子を後世に残す」という点においては、カネチカ様のように批判的な人もまだまだ多いのが現状だ。僕も似たような経験がある。僕も自分の遺伝子を未来につなぐことができない身体だからだ。恋人同士、どんなに相思相愛になったとしても、相手の未来のことを考えれば、ロボットとニンゲンとの結婚が前途多難なのは言うまでもない。

「ロボットの恋人と結婚したいと願う娘を、私は一蹴したんだ。この金親家をつぶすつもりか!?と怒鳴りつけた…娘は恋人と会うのをやめた。だが、その1週間後、マンションの窓から飛び降りてしまった」

僕はその瞬間を想像して、思わず目をぎゅっとつむる。

「幸いにも一命は取り留めたが…娘は、歩けなくなってしまった。外出もあまりしなくなり、ほぼ寝たきりになってしまった。それ以来、娘とは…生活に必要な会話しかしなくなって…」

カネチカ様は、【ばうわう】の背中をなでた。

「こいつは、あの子の”ロボットの恋人”に買ってもらったものらしい…」

【ばうわう】は元気のないカネチカ様の顔をみつめ、くぅん、と鳴いた。

「こいつにだけは心を通わせていていた。娘の遊び相手として、時には心のよりどころとして、ずっとそばにいて…娘はまるで自分のこどものように接していた。こいつがいなくなったら娘はもう立ち直れないかもしれない。だから、こいつを何としても直したいんだ…」
「そうだったんですか」

カネチカ様は、ふと我に返って僕のほうを見るや、バツが悪そうな顔をした。

「すまない。君の前でロボットが嫌いだのなんだのと…こういうデリカシーのないところがますますダメなのだな。私は。考え方がアップデートできていない…お詫びする」
「あ、いえ…僕は…大丈夫ですから…」

自律的な人工知能は自己フィードバックすることによってニンゲンの知能を超えることができるとされているけれど、そこに「情」は計算されない。だから、よその会社によくあるAIチャットボットを使った窓口ならばカネチカ様のようなお客様は早々に対応を切りあげてしまうだろう。今回のご相談はサポート範囲外であり、なおかつ娘さんの話はあくまでお客様のプライベートなことで商品へのクレームではないからだ。

でも!弊社は違います!!

AIロボットではない僕の本領を発揮できるのはこういう時なんだ。話を聴いて、何かできないかと思った。

「カネチカ様!お気を落とさないでください!!わたくし、何か代わりにご提案できることがないか確認してみます!このままちょっとお待ちいただけますか」

長年培った知識・経験をフル回転する…

僕は再び【ニコニコホケンカード】に記録された契約内容を確認。金親様ご本人名義でご契約されている保険には特に適応できそうなものはなさそうだった…では、娘さんの方はどうだろう?娘さんの名義でもいくつかご契約いただいているものがありそうなんだ…けど…

娘さんのご名義…
カネチカ エリカ…


エリカ…!?


僕は、その名を観て、驚いた。

「すみません、ちょっと失礼します!!」

そして、【ばうわう】がしている赤い首輪を外して裏側に刻印されている文字を見た。

2035.6 GON  
PAPA→KAZUYA 
MAMA→ERIKA

この【ばうわう】は……

僕が恋人に贈ったものじゃないか!!


では、カネチカ様が結婚を反対した恋人のロボット…って…僕のこと?

僕は激しく動揺していた。



僕が彼女…エリカと知り合ったのは、大学の時だった。

サークルの後輩だったエリカ。僕は一目で恋に落ちた。エリカは、僕のロボットのような姿を特別視せず、一人の男として受け入れてくれたんだ。

エリカがいいとこのお嬢様だということはなんとなく知っていた…だから、僕は誠意をもって向き合おうと思い、結婚を前提に清いお付き合いを申し込んだ。そしてエリカの親が心配しないような男になるぞと心に決め、安定した収入・安定した仕事を得るために必死に就職活動をしたんだ。

ただ、当時、就職活動は難航した。ニンゲンとは言えない、また完全なロボットとも言えない…どんなに福祉がよくなっても、勤労面では僕のような半端なものは社会不適合とみなされた。そんな中、優しく受け入れてくれたのは今勤めている保険会社だった…というわけなのである。

なんと採用面接のとき、社長が直々に話をしてくれた。僕は、まず感謝を伝えた。事故でニンゲンの姿を失ったが、この会社の保険で立ち直ったこと、そしてこれまでの就職活動の話をしていろんな扱いを受けたこと…愛する人がいて結婚を考えていることも伝えた。社長は、僕の身の上話をひととおり聴いたうえで仰られた。「心の痛みが分かるひとは貴重だ」と。そして、僕は即採用だった。

社長の恩に報いたい。早く一人前になって、エリカと結婚したい。そう思っていた。新人の頃は修行をかねて営業部門に配属される。それを半年こなすことで、新たな部署に行ける。僕は、営業ノルマを達成するために奔走した。エリカもそんな僕を助けたいと思ったのだろう、いくつか保険に加入してくれた。

やがて、仕事が忙しくなった。できるだけ長い時間一緒にいたいと同棲を始めた。だが、エリカと過ごす時間はみるみる減った。だから僕は【ばうわう】をエリカにプレゼントした。エリカが寂しくないように。そして、ぼくたちのこどもの代わりに…

でも、エリカは突然、僕に別れを告げた。そして部屋を出て行って…連絡も取れなくなってしまったんだ。四方八方手を尽くしたが、エリカとは完全にコンタクト不能となった。

エリカは仕事が忙しいぼくに愛想をつかしたのだと思った。大好きだったエリカと結婚できなかったのは、僕のチカラ不足だ。そう思っていたのだが…

優しかったエリカ。きっとあの時たくさん保険を入ってくれたのは、お父さんに交渉してくれたからだったんだろう。お父さんのことが大好きだったエリカ。お父さんに反対されていた話など、僕は一切知らなかった。そして、お父さんに結婚を反対された”決定的な理由”を聴かされたとき、理由が理由だけに僕には言えなかったんだろう…優しいエリカのことだから、二人の間に挟まれて、ひとりで抱え込んでしまったんだ。かわいそうなエリカ…

…そういえば

…エリカが僕の営業ノルマを達成するために入ってくれたたくさんの保険…あの中になにか使えるものがないか…?

僕は感傷に浸るのをいったん打ち切り、仕事モードに戻った。


なにかあったはず…
なにか…
そうだ…
あれだ!!!!

「カネチカ様!お待たせしました!」

僕は、うなだれているカネチカ様に声をかけた。

「カネチカ様の、ご家族様…お嬢様のエリカ様の保険契約一覧を確認しましたところ、【デジタルデバイス保険】に入っていらっしゃいました!これが利用できそうです!」
「【デジタルデバイス保険】?それはどういうものかね…」
「スマートフォン・パソコン・タブレットなど、インターネット接続するデジタル製品に対応する保険でして、保険金のお支払い対象となっている製品が破損・故障した際などに、補償を受けることができる保険なんです!」
「この…犬は…デバイスに該当するのかね?」

カネチカ様が不思議そうな顔をする。ついでに【ばうわう】も首をかしげて僕のほうを見ていた。

「【ばうわう】は、AIペットですが、実は高機能なデジタルデバイスでもありまして…インターネットに接続して、家電と連動させておけばリモコンになり遠隔操作が可能となるんです。音楽プレイヤーとして使えば、常に最新の曲をダウンロードしてくれますし、一緒に音楽に合わせて踊ったりもできます。あと、心拍センサーを持っているので、【ばうわう】のおててを握って飼い主さんの脈拍を調べて健康管理アプリに記録するなんてこともできるんですよ!利用時には犬の鑑札のようにインターネット契約が必須となっていますから、【デジタルデバイス保険】が適応できると思います!」
「そうなのか!」
「念のため問題なく適応できるか確認しますね。あと保険金のお支払金額についてシミュレーションをしてみますのでお待ちください」

手元のタブレットから審査部門の担当へ情報を送信した。審査待ちの間、
僕は妙に興奮し饒舌になる。

「うちの【デジタルデバイス保険】は掛け金が高いのですが、よその保険会社では考えられない手厚いものになっていまして、機器の購入時期や製造年にかかわらず、購入金額の60%から70%が補償できる保険となっております。全額とはいきませんが…カネチカ様のご負担が少しでも減れば…!」

説明している間に結果が返ってきた。

【適応可能】

「カネチカ様、保険、適応できます!大丈夫です」
「おお!ありがとう…ありがとう!!」

カネチカ様は、僕の手をぎゅっと握りしめた。
僕の手がギシッっと音を立てそうなくらいのチカラだった。

「つきましては、お手数ではございますが、実際の【ばうわう】の修理にかかるお見積りを修理センターに発行してもらうようお手配をお願いします。それとこちらのお申込み書類を、ご契約者様であるカネチカ エリカ様に記載いただくようお願いしてください」
「わかりました。これは紙で提出したほうがいいのかな」
「あ、いえ…もしご来社が難しければチャットでも受付できますし…電子署名書類をメールで送付していただいても問題ございません。わたくしが最後まで責任をもって担当させていただきます。そして、保険の見直しなども併せてご提案させていただきます!」
「君の名刺をもらってもよいかな」
「はい!」

僕は名刺を差し出す。
デジタル名刺が主流の世の中だが、こういう時のために一応、紙の名刺を持っている。

「申し遅れました。
わたくし、このたびのお手続き担当
ジョウガサキ カズヤ でございます!」

◇     ◇     ◇

数日後…昼休み、休憩室でぼーっとしていると、社員用スマートフォンが鳴った。インフォメーション担当からだった。

「はい、ジョウガサキです」
「あのお、カネチカ様が窓口にいらしてまして…先日の書類を持ってきたとのことです。ジョウガサキさん、いま対応できますか」
「はい!すぐ参ります!!」

僕は慌てて緩めていたネクタイを締めなおし、窓口に向かった。

だが、窓口に待っていたのは頑固おやじのカネチカ様ではなかった。


電動車椅子に乗った、エリカだった。


黒くきれいな長い髪。歳を重ねて、ちょっと雰囲気は変わった。しかし、昔と変わらない美しさ…そしてきれいな瞳をしていた。膝の上には【ばうわう】を入れたペットゲージを載せている。

エリカは僕の姿をちらりと見て、会釈した。

「お世話になっております。先日お世話になりましたカネチカの娘でございます」

可愛い声が、脳をくすぐる。
17年ぶりに聴くエリカの声…胸にぐっと迫るものがあった。

「先日は、父のご相談に乗ってくださり、ありがとうございました。おかげさまで、ゴンちゃん…あ、いえ…【ばうわう】を治してあげることができそうです。本日は、書類を窓口に届けるように父から言われまして…」

もし…お父さんに渡した名刺を見て、会社名・名前を確認したならば、僕が誰だかわかっているはず…そう思ったが、エリカは僕のほうを見ようとしない。久しぶりの外出なんだろうか。ひどく緊張しているように見えた。

そもそも、僕はエリカと別れてから、メンテナンスのため2度ほど身体をモデルチェンジをしてるんだった。エリカと交際していたあの頃とは全く違う顔をしている。おそらく僕の顔をみてもピンとこないだろう。

なにより、このタイミングで「僕だよ」と言い出せる勇気も、なかった。

「遠いところ、ご足労ありがとうございます。さっそく、書類の内容を確認いたします」

僕は、平常心を保ち、席について受け取った書類をスキャナーにかけた。データを審査担当に転送する。今日は審査がこみあっているようだった。

「誠に申し訳ございませんが、申請・審査にお時間がかかるかもしれません。カネチカ様、お時間は大丈夫ですか」
「はい。ご心配なく。お待ちいたしますわ」

いつもなら、保険の最終審査待ちの時間は何かおしゃべりをしたり、商品のご案内をしたり…お客様とコミュニケーションをとるのだが…今回ばかりはそんな気にならない…エリカの顔を見るたび、いろんな思いがめぐる…どういう顔をして座っていていいのか、わからない…

僕の不安な状況を察してか、エリカの膝の上に置かれたペットケージの【ばうわう】が、扉の隙間から、こちらをじっと見ている。そして、突然「わんっ」と吠えたので、エリカは驚いた。

「びっくりした…どうしたの?出たいの?」

エリカが、ケージのドアを開けたところ、ぴょいっと中から【ばうわう】が出てきて、カウンターの上に乗った。そして、僕の顔をじっと見ると、「わんわんっ」と吠えて、尻尾を振った。

どうやら、虹彩認証が反応したらしい。一時期一緒に住んでいたので、データが少し残っていたのだろう。過去にインプットされた僕の情報がロードされたようだった。

その様子を見てエリカは目を丸くした。

「めずらしい。よそのひとに尻尾なんか振らないはずなのに…」

言い終わって、エリカははっとした。そして僕の顔をまじまじ見つめた。

僕もエリカをみつめかえした。


きれいな瞳だ。
あの時と変わっていないね。

僕だよ。

いまでもきみを愛しているんだ。


そう言いたいが…まるで口元がロックされたように言葉が出ない。
保険の説明ならすらすらとできるのに…いざとなるとダメなんだ、僕は。

2人の間に沈黙が流れる。

「あの…」

エリカがさきに、口を開いた。

「今日は、【ばうわう】の手続きももちろんなんですが…保険の見直しの相談をしてこいと、父に言われまして」
「あ…保険の見直しですか?」
「若いころに契約した保険が、たくさんあるのですけれど…今後必要なさそうなものがあれば解約してこい…と…」

僕が昔すすめた保険を解約したい…ということか。ちょっとだけ寂しい気分になる。エリカの話はまだ続いた。

「あと…これからの未来に必要な保険があるならば、教えてもらい加入してきなさいとのことでした」
「これからの未来…」

エリカはひと呼吸おき、はっきりとこういった。

「カズヤくんのお勧めする保険に入りたいのですが、いい保険ありますか?」

エリカが、僕の名前を…

僕の名前を言ってくれた!

咄嗟のことで、僕は息が止まりそうだった。

「名前を見て…声を聴いて…もしかして…と思ったけど…目を見るまで確証がもてなかったの…すぐ気づけなくて…ごめんなさい。そして…ちゃんと話さずに、急にいなくなってしまったこと…あやまります…」
「いや!いいんだ。昔のことは…もう」
「もしよかったら…昔みたいに…保険をおすすめしてくれませんか?」

長年、胸につかえていた苦しい思い。僕を縛り付けていた重たい鎖が切れて、解き放たれるような、そんな感覚だった。僕は一気におしゃべりになる。

「では…ゴルフやスノーボードなど時代遅れの保険をいったん解約しましょうか!今はバーチャル世界でバンバンエキサイトする時代ですから、もしこれからスポーツを楽しむご予定がおありなら【バーチャルスポーツ保険】に変えましょう!あと、医療保険関連は今後も手厚くした方がいいです!未知のウィルスに備えて【ウイルス撲滅保険】もつけましょうね!あ、そうそう、損害保険はいま安くてよい保障のものがたくさんあるので、かけかえてしまいましょうか。自然災害はどんな時代になっても怖いですから!地震・雷・火事・オヤジ…この辺をカバーする保険を…っとオヤジは関係なかった!オヤジに適応する保険はありません!あはは…」

エリカがそれを聴いてクスクス笑う。

「カズヤくんの保険の勧誘、面白い。昔と変わらない…いや?もしかしたらパワーアップしてるかも?」
「美しいひとの前ではついついサービス過剰になってしまいまして。申し訳ありません」
「他には?まだ、なにかありませんか?」

エリカがきらきらとした瞳で、僕を見つめている。

「では…【ハッピーエンゲージメント保険】はどうでしょう」
「それは、どういう保険なんです?」
「これから新生活を歩むお二人が、この先50年、100年、200年と不安なく幸せに過すための積立保険です。ただの積立ではなくて、長生きすれば、定期的にお祝い金がもらえるんです。あと、5年ごとに花束が贈られてくる!」
「まぁ、素敵ね…!」

僕は、エリカに提案した。

「もしよかったら…僕と一緒に加入しませんか?」

エリカは驚いた顔で僕を見た。

「わたしで、いいの?」
「はい!僕は、エリカと結婚するなら、この保険には絶対加入しようって決めていました…あの日からずっと!君こそ、僕が相手でもいいですか?」

僕の言葉に、エリカはこくっと笑顔で頷く。大きな瞳から涙がこぼれた。
【ばうわう】は僕とエリカの顔を交互にみて尻尾を振っている。
エリカが目の前にいる…夢を観ているような気分!
顔の仕様上、ほっぺをつねられないのが残念だ!

「この保険に申し込みするには、まず役所への婚姻届けが必要なんです」
「そうなんですね」
「届け出はいつ行いましょうか?」
「そっちの手続きは、まだ、ちょっと待ってほしいです」
「え?!」
「まずはカズヤくんと会っていなかった時間を埋めたいの。いいでしょ?」

僕は答えた。

「もちろんです!」

僕とエリカはじっと見つめあって、笑った。

「おっと、いけない。もう一つ大事なことを伝えないと」
「大事なこと?」
「【宇宙人誘拐保険】は解約しましょうね!今となっては無駄に掛け金が高いだけです。いい保険とはいえません。なにより…あの保険は未来には不要です!」
「なぜ?」
「これからは、僕という終身保険が、一生涯、ありとあらゆる脅威からエリカを守り続けるからです!」



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作者覚書
【シンギュラリティの憂鬱】

2024年5月21日執筆スタート
2024年6月7日公開

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駆動トモミ/工藤友美
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