
【企画】答え合わせをしましょう
この記事は、かつて「私小説ではなく完全なるフィクション。本気にしてはいけないよ!」と前置きして展開した小説「或る妄想、闇に沈み眠れ」の(5)の答え合わせです。
記事単体では意味を成しませんので、もしここにたどり着いてしまった方は
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いずれかの対処をお願いいたします。
「或る妄想、闇に沈み眠れ」の文書を引用しながら
元ネタを貼っていきます。
小説の冒頭で
ここに具体的な名前を出すことは差しさわりがあるので、その小説家については、以下 K/W先生 と呼ぶことする。
と書いていましたが、K/W先生とは「渡辺浩弐 先生」のことです。
念のため、開示しておきます。
K/W先生 の『X』参入は「2009年8月」から。

それなりにプライベートな情報もあるので、このデータを取り込んで「なりすまし」している可能性はあるが…… K/W先生 の完全体になるためには広い範囲でデータをカバーしなければならないと推測され、それは容易なことではないはずだ。
……いったん K/W先生 の情報を整理して、考えてみる。
(拗らせファンの腕の見せ所)
1962年生まれの K/W先生 が、高校を出て福岡から上京したのが1981年。
上京してすぐは中野のアパートに住んでいた。
貸与奨学金で入学金と授業料を払い大学(早稲田大学)に入ったとの発言あり。
その後は生活費と学費のためいろいろな仕事を転々とし、上京してすぐの頃には肉体労働や、ゲームセンターで毎晩15時間働いていたとある。
高校を出て上京してきた時、3年間のアルバイトでためた全財産を身近な人間に奪われ。無一文で放り出された時です。 なんとかなりました。東京は良い街です。 https://t.co/1kThRH7RoE #Mond_kozysan
— 渡辺浩弐 (@kozysan) July 7, 2023
ピンボールスタイルのビンゴ、昔死ぬほどやりこみました。というかビンゴインでバイトしてた! https://t.co/zT85zfEDbC
— 渡辺浩弐 (@kozysan) March 17, 2024
上京してきてすぐの頃(1981年)はゲーセンで毎晩15時間働いてましたが、ずーっと『ロング・バケイション』かかっていて気が狂いそうになりました。
— 渡辺浩弐 (@kozysan) December 31, 2013
1981年、上京して最初に行ったライブが灰野敬二さんでした。アタマおかしくなりましたね。
— 渡辺浩弐 (@kozysan) July 31, 2019
高校の頃(1979年)に、「うまかっちゃん」が発売され、「なんだインスタントでも普通のラーメンの味を再現できるっちゃん」と思いました。
— 渡辺浩弐 (@kozysan) November 7, 2022
上京した時(1981年)にはまだ九州ラーメンのお店が少なくて、…
続きは相談箱へ#相談箱https://t.co/NaOmShbrzz
その一方で、物書きになりたいという強い気持ちから、都内の広告制作会社や編集プロダクションを調べ、片っ端から当たって手伝いとしてもぐりこみ、記事執筆の依頼があったら必死にこなしていたらしい。
1981年、信藤三雄さん(32歳)と、渡辺浩弐(18歳)。「渡辺君、若いんだから髪を切りなさい」と、よく言われていました(笑)。 #信藤三雄 pic.twitter.com/2MdFVQ2YZA
— 渡辺浩弐 (@kozysan) February 12, 2023
一方で20代の初めにアメリカに行ってLAを拠点に1年ほど暮らしたこともあるそう。10代、20代という若さもあったのだろうが、常人にはなかなか真似できないパワープレイのような気がする。尊敬する。
また、福岡時代ライブハウスに通う少年だった影響もあってか、1980年代前半は某バンドのマネージャーをしていた時期があった。
新宿JAMさんありがとうございました。さようなら!
— 渡辺浩弐 (@kozysan) December 31, 2017
渡辺浩弐@新宿JAM@1981年 pic.twitter.com/DtYtpXC0fl
渡辺浩弐氏がマダムエドワルダのスタッフだったのは以前本人から聞いて知っていたが、ジュネさんから「ワッツ」と呼ばれているのを見てお茶噴いた。
— とみさわ昭仁 (@hitoqui_ponko) March 30, 2012
※Madame Edwarda(マダム・エドワルダ)は、日本のロック・パンク・ロックバンド。1981年10月結成。渡辺さんはこのバンドのスタッフをしていた
宝島編集部時代、いとうあきらさんという、当時原マスミか葛生千夏のマネジャーの方がよく来られてて。のちの松沢呉一さん。とんねるずの番組にも関わってた。渡辺浩弐さんがそこの同僚で、パンクバンド(たぶんマダム・エドワルダ)のマネジャーやってたことも、若世代の人は知らないのではないか。
— Yuji TANAKA (@ugtk) May 28, 2021
そんな中、これからの時代はゲームが来る!と掴んだようで、ゲームコラムのライティングをあちこちでするようになった。
と書いている渡辺浩弐さんも僕と同じ大学で学生時代からいろいろ活躍してました。1984年に会った頃、彼は結構売れてたバンドのマネージャー(かな?)だったけど、ロック雑誌「宝島」に入る僕に「これからはゲームですよ!」と言ってて、そのとおりになりました。 https://t.co/m1G7udq5k9
— 町山智浩 (@TomoMachi) June 26, 2021
『宝島』で連載させてもらっていたときの担当編集者は町山さん→柳下さん→田中さんだった>RT
— 渡辺浩弐 (@kozysan) July 26, 2021
当時はゲームについて分析しつつ記事として成立させるライターがあまりいなかったせいなのか、 K/W先生 のもとにゲーム関係の依頼が絶え間なく入るようになった模様。ありとあらゆるゲーム雑誌にてコラムを書いたため、当時出ていたすべてのゲーム雑誌を制覇したらしい。
イベントは三部構成!第一部は高橋信之さんと渡辺浩弐さん、黎明期のファミコン周辺文化を支えた重要人物2名に当時の裏話など聞きます!高橋さんは攻略本やちょっとアレなゲームの話を、渡辺さんはPCランドや高橋名人毛利名人映画の話、1号で廃刊になったヤバいゲーム雑誌の話なども! pic.twitter.com/r9gJ1wslCe
— 中埜 (@pisiinu) July 17, 2023
ヤバい話はこの辺の動画をみたら聴けるかもしれない。
すっかり宵っぱりになってしまった…
— 工藤友美(メルダー/12月22日色々楽しいことあります) (@Meldor_tomomi) August 5, 2024
昨日届いた1993年の雑誌 より#渡辺浩弐 さんの『M ヴァーチャルワールド戦記』を読む…
この作品も朗読すると楽しそう。完結してないから途中までになっちゃうけど…(^◇^;) pic.twitter.com/urezA8itPH
オークションの戦利品がポストにささっていたので、出がけに持ってきたのでした。
— 工藤友美/メルダー (@Meldor_tomomi) December 18, 2024
『ヒッポンスーパー!』を買った理由は、ほら、まあ、いつもの… pic.twitter.com/D2ZLrL8Nqg
1991年、当時テレビ東京で放送中だった『大竹まことのただいま!PCランド』に出演していた渡辺浩弐氏がゲーム雑誌HIPPON SUPER!に連載をしていました。私は仕事終わりに書店に寄り、偶然この雑誌を見つけ連載している事に気付き即買いしました。『モニター上の冒険』⑨が初めて読んだ作品です。😎 pic.twitter.com/NZ30dxMP4I
— たくちゃん (@crdcol4nrFhhN4T) December 25, 2023
『編集部対抗座談会』
— 工藤友美/メルダー (@Meldor_tomomi) December 14, 2024
参加メンバーは、木村初・松本常男・渡辺浩弐・桑原修・平林久和・浜村弘一(敬称略)
1989年3月1日に実施
渡辺さんはGTVの編集長として出席
おわかりだろうか
時期的にPCランド放送開始直前
つまり皆の記憶に残る
"渡辺"になっちゃう前の渡辺さん
フツーにイケメンである pic.twitter.com/7KAnyWshPY
そのうち、雑誌でゲームを紹介だけでなく、テレビを通じて最新のゲーム情報を伝えられないかと思い、企画書をもってテレビ局を奔走するようになるが、まだファミコンがブームになる前……テレビ業界はゲームを舐めていたため、なかなか実現には至らなかった。
家庭用ゲーム機を全部「ファミコン」と呼んでしまう人は昔けっこういました。「NECのファミコン」とか「セガのファミコン」とか。違うよって言うと
— 渡辺浩弐 (@kozysan) November 12, 2023
「パーソナルなコンピュータが"パソコン"で
ファミリーなコンピュータは"ファミコン"でしょ💢」
と、切れられました。そういう認識だったんです。 https://t.co/nJ3Qa7zBMb
一方で、ゲームの開発画面やプレイ画面をまとめたビデオマガジンなるものを作り始め、ゲームの魅力をよりユーザーに的確に伝える仕事に身を投じることになる……先見の明があったといえよう。
ゲーム史の解説動画です。「GTV1988年6月」(14分34秒)。アドベンチャーゲームのカンブリア紀を振り返ります。https://t.co/9KoyvzDVc1
— 渡辺浩弐 (@kozysan) July 6, 2021
正規で販売していた『GTV』とは別に、渡辺が万置きしてまわっていた『裏GTV』の話→https://t.co/wE85IdXqSV pic.twitter.com/o7UmeXj5lO
— 渡辺浩弐 (@kozysan) November 8, 2021
やがてファミコンがブームになり、テレビゲームが生活に密着するようになると、テレビ局も手のひらを反すようにゲーム番組を作り始めたのである。また K/W先生 の活動をみていたゲームメーカーがテレビ番組で自社のゲームハードを広めたいので手伝ってほしいと声をかけた。
そこから K/W先生 はゲーム番組の構成を任せられることに。
そして運命のいたずらなのか、裏方であったはずのご本人も番組に出ることになる……
#4月4日は何の日?
— ルンピニーลุมพินี (@ab2g2N2GQ13auMh) April 3, 2024
「大竹まことのただいま!PCランド」放送開始日。
PCエンジンの情報番組だが、バラエティに近い内容🤔
動いているゲーム画面を見られる希少な機会で、情報源として重宝した。
本来はゲーム紹介担当の渡辺浩弐氏がなぜか若手芸人並みに体を張っている所が最大の見どころ?😁 pic.twitter.com/jYKyRqnThE
知的なゲーム解説・天然な受け答え・捨て身のパフォーマンス・メガネを取ったら案外イケメンという複雑な要素が絡み合って一躍話題の人となり、今の地位を築かれた。
それと並行して、1991年ころから読み物を発表するようになり、小説家としても着々とチカラをつけておられた。わたしが冒頭で言った「雑誌のショートショート」もその一つである。
ゲーム・キッズ30周年! ありがとう。一人で一杯飲みますね。
— 渡辺浩弐 (@kozysan) January 29, 2023
↓ゲーム・キッズ第1話です。『ファミ通』というゲーム雑誌の1ページで、こんな話で始まりました。https://t.co/UPY2dxwKUl
今の未来を予言するような珠玉の作品。今読んでも色あせない。
その後は、長編などもお書きになり、ドラマ化・映画化などメディアミックス作品も生まれた。
しかし、このコーヒー割引券、割引受けたら回収されるシステムだったのかな?
— 工藤友美/メルダー (@Meldor_tomomi) August 22, 2024
2008年KOBOCAFEに行ける身だったたとして、わたしこの割引券使わずにとっておく派だったと思うな…
裏にオーナー(渡辺浩弐さん)のコメントあるし… https://t.co/cddCSITXoE pic.twitter.com/NKjODorCD1
現在は中野ブロードウェイに在住して、
小説を執筆しながらカフェもやっている。
2024年12月16日以降は営業の告知は出ていない
いちおうおさらい#渡辺浩弐 さんのカフェ
— 工藤友美/メルダー (@Meldor_tomomi) December 8, 2024
中野ブロードウェイ4階#Kカフェ
20時開店・23時閉店
ほそーい廊下の突き当たりのドアのところ!
Kカフェ詳細https://t.co/AMLZr3QFBL
最近、お酒頼むひとが多い印象(笑)
渡辺さんの淹れるコーヒー、おいしいから注文してみてね
ナカペイ使えます pic.twitter.com/xsU4O5dajV
たまにYouTube配信などもされており……
……とまあ長々とまとめてみたけれど、ここに書いた情報は全て、わたしがストーカー的にインターネット上から集めて拾って来たものである。
真偽の程はわからないが、大半は、K/W先生 本人が発言していたもの。
インターネット上だけでこれだけの詳細な情報があり、かなりの情報量なのだから、これらの情報をつかって顔を出さずになりすませば、ビギナーファンなら簡単に騙せるんじゃないだろうか。
(引用終わり)
……こんなに情報をさらしてしまって、先生、大丈夫なんだろうかと思う時がある。でもこれが「有名人」というか「中名人」の運命なのかもしれない。
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