【企画】答え合わせをしましょう
「或る妄想、闇に沈み眠れ」の文書を引用しながら
元ネタを貼っていきます。
小説の冒頭で
と書いていましたが、K/W先生とは「渡辺浩弐 先生」のことです。
念のため、開示しておきます。
K/W先生 の『X』参入は「2009年8月」から。
それなりにプライベートな情報もあるので、このデータを取り込んで「なりすまし」している可能性はあるが…… K/W先生 の完全体になるためには広い範囲でデータをカバーしなければならないと推測され、それは容易なことではないはずだ。
……いったん K/W先生 の情報を整理して、考えてみる。
(拗らせファンの腕の見せ所)
1962年生まれの K/W先生 が、高校を出て福岡から上京したのが1981年。
上京してすぐは中野のアパートに住んでいた。
貸与奨学金で入学金と授業料を払い大学(早稲田大学)に入ったとの発言あり。
その後は生活費と学費のためいろいろな仕事を転々とし、上京してすぐの頃には肉体労働や、ゲームセンターで毎晩15時間働いていたとある。
その一方で、物書きになりたいという強い気持ちから、都内の広告制作会社や編集プロダクションを調べ、片っ端から当たって手伝いとしてもぐりこみ、記事執筆の依頼があったら必死にこなしていたらしい。
一方で20代の初めにアメリカに行ってLAを拠点に1年ほど暮らしたこともあるそう。10代、20代という若さもあったのだろうが、常人にはなかなか真似できないパワープレイのような気がする。尊敬する。
また、福岡時代ライブハウスに通う少年だった影響もあってか、1980年代前半は某バンドのマネージャーをしていた時期があった。
そんな中、これからの時代はゲームが来る!と掴んだようで、ゲームコラムのライティングをあちこちでするようになった。
当時はゲームについて分析しつつ記事として成立させるライターがあまりいなかったせいなのか、 K/W先生 のもとにゲーム関係の依頼が絶え間なく入るようになった模様。ありとあらゆるゲーム雑誌にてコラムを書いたため、当時出ていたすべてのゲーム雑誌を制覇したらしい。
そのうち、雑誌でゲームを紹介だけでなく、テレビを通じて最新のゲーム情報を伝えられないかと思い、企画書をもってテレビ局を奔走するようになるが、まだファミコンがブームになる前……テレビ業界はゲームを舐めていたため、なかなか実現には至らなかった。
一方で、ゲームの開発画面やプレイ画面をまとめたビデオマガジンなるものを作り始め、ゲームの魅力をよりユーザーに的確に伝える仕事に身を投じることになる……先見の明があったといえよう。
やがてファミコンがブームになり、テレビゲームが生活に密着するようになると、テレビ局も手のひらを反すようにゲーム番組を作り始めたのである。また K/W先生 の活動をみていたゲームメーカーがテレビ番組で自社のゲームハードを広めたいので手伝ってほしいと声をかけた。
そこから K/W先生 はゲーム番組の構成を任せられることに。
そして運命のいたずらなのか、裏方であったはずのご本人も番組に出ることになる……
知的なゲーム解説・天然な受け答え・捨て身のパフォーマンス・メガネを取ったら案外イケメンという複雑な要素が絡み合って一躍話題の人となり、今の地位を築かれた。
それと並行して、1991年ころから読み物を発表するようになり、小説家としても着々とチカラをつけておられた。わたしが冒頭で言った「雑誌のショートショート」もその一つである。
今の未来を予言するような珠玉の作品。今読んでも色あせない。
その後は、長編などもお書きになり、ドラマ化・映画化などメディアミックス作品も生まれた。
現在は中野ブロードウェイに在住して、
小説を執筆しながらカフェもやっている。
たまにYouTube配信などもされており……
……とまあ長々とまとめてみたけれど、ここに書いた情報は全て、わたしがストーカー的にインターネット上から集めて拾って来たものである。
真偽の程はわからないが、大半は、K/W先生 本人が発言していたもの。
インターネット上だけでこれだけの詳細な情報があり、かなりの情報量なのだから、これらの情報をつかって顔を出さずになりすませば、ビギナーファンなら簡単に騙せるんじゃないだろうか。
(引用終わり)
……こんなに情報をさらしてしまって、先生、大丈夫なんだろうかと思う時がある。でもこれが「有名人」というか「中名人」の運命なのかもしれない。