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受動的なものと能動的ものを同じ「趣味」と呼ぶのはナンセンスだと思う話
僕はもう20年以上音楽をしている。
今現在バンドなどリアルに活動しているものはないけど、それでも日々作曲をしていて、ネット上にはなるけども、今なお絶賛活動中だ。
ラジオのテーマソングコンテストの上位に食い込んだり、インディーズアーティストの編曲も携わったこともあり、島村楽器の録れコンにも最終選考まで残った実績はある。
プロのサポートをさせていただいたこともある。
さらにブログでは、アマチュアがハマりがちなミキシングについて、初心者向けの教材を販売していて好評だ。
それなのに。
未だに僕のやっていることを趣味と呼ぶ人がいる。
そう言われるたびに、僕の心はとにかくモヤっとするのだ。
今日はこの気持ちについて掘り下げてみたい。
音楽鑑賞と作曲は同じ「趣味」か
そもそも、多くの人が「趣味」としているのは。
映画鑑賞、音楽鑑賞、旅、野球観戦、ゲーム、アニメ、神社巡り。。
多くの場合、受動的なものをさすことが多い。
外部からのインプットばかりして何も生み出していない。
では、例えば僕がやっている作曲。
これは確実に上に書いたものとは決定的に違う。
作曲は確実に手を動かしてアウトプットしなければならない。
自分がとにかく嫌いになることだって日常だし、悩まなければならない、苦痛ばかりだ。
作曲だけではない。ギターを弾くことや、巷の楽曲を分析することだって、それはそれはもうとにかくシンドイこと。
音楽をするのは、とっても苦しいことで。
そう、やらなくてよいのならばやりたくないのだ。
じゃあ、なんで音楽をしているのか?
と聞かれたならばそれは「感動したいから」の一点に尽きる。
以前、「世界一やさしいやりたいことの見つけ方」という本で、僕の本当にやりたいことは
「感動し、感動してもらうことで人生を輝かせていくこと」
という結論となった。
つまり、作曲やギターは僕の人生を輝かせるために、絶対的に必要な作業なのだ。
今作っているのはボカロ曲だけども、2週間で一曲できるたびに僕は自身の成長を感じたり、自身の成果物に大いに感動している。
何を自画自賛を。。と思われるかもしれないけど、
自分が感動できないもので人の心を動かせるものか。
そもそも趣味とはいったい何か
そもそも趣味っていったいなんだろうか。
wikipediaによると以下のような記載があった。
人間が自由時間に、好んで習慣的に繰り返しおこなう行為、事柄やその対象のこと。
そういった意味では、僕がやっていることは全然趣味じゃない。
やらなくて幸せになれるなら、やりたくないんだから。
とはいえ、同サイトには以下のような記載もある。
職業(プロフェッショナル)として成立している範囲の事柄を趣味(ホビー)でおこなう人は、アマチュアと呼ばれる。
そういう意味だと、僕はアマチュアミュージシャンということになる。
なんだけども、ここでも「趣味」という言葉を見ると非常にモヤっとするんだよな。
だって、ギャラとかもらったことだってあるんだし。
事務所に楽曲編曲の請求書書いたことだってあるし。
また、このwikipediaに書いている「趣味」と、世の中一般的な人がいう「趣味」という言葉にもはや大きな差が発生しているという気もしてくる。
では仕事とはいったい何か
じゃあ、対して「仕事」とはいったいなんだろうか。
最近は、副業なんかも解禁したり、デュアル、トリプルワークなんて普通の社会になった。
それは、一部上々企業の社員だって同じだ。
ココナラやSKIMAで、自分のスキルを販売することだって簡単だし、実際僕はノウハウ記事で稼いだりもしている。
仕える事として仕事なわけだけども。
その対価が、「お金」という発想ももう古いと思う。
そもそも、「お金」はやったことに対する「ありがとう」だ。
そういった意味では、僕の曲はインスタグラム上では多くの10代達の心を震わせているし、僕自身聞いてもらうという対価をいただけている。
僕がやっていることはもう「仕事」でいいと思う
とにかく不満があるのは、こんなに苦しい思いをしてやっていることを軽んじて、「趣味」と言われることだ。
だからこれまで、僕は自分がやっていることをライフワークと呼んでいた。
なんだけど、昨今の世間の仕事への視点変化からして、自分のやっていることを仕事と呼んでいいのではないかと最近思っている。
多くの世の中の人が認識している趣味は受動的なものなんだから。
ならば、僕も趣味は映画鑑賞、読書、アニメとでもしておけばいい。
「能動的な趣味」=「仕事」
自分の文章が稚拙で、まとまりのない文章になって、テーマからもそれてしまった。
テーマは、「受動的」なものと「能動的」なものを同じ「趣味」と呼ぶのはナンセンスだという話だった。
世の中一般的に趣味というのはもう前者を示していると思う。
で、大概そういう風に認識しているのは、中身からっぽのやつだ。
そういう人達は受動的な人生を過ごしてきたから、身に付けたスキルなんて何もなくて、ココナラやSKIMAで売れるものも生み出すことができない。
日常を日々を垂れ流していってくれ。
しかし、これまで趣味と言われてもめげずに日々アウトプットし続けた君。
おかえり主人公。
これからは、
「能動的な趣味」=「仕事」だ。
僕は今日から音楽を「仕事」と呼ぶことにする。