人と心を擦り合わせて価値あるものを作り出すー「癒し」っていうのはたぶんそういうことだ

自分を分析するのが大好きな人たちがいる。「自分自身と向き合っている」と言うと聞こえはいいけれど、周りはあんまり恩恵を受けないような気がする。

神さまが「そのままのあなたでいい」って言っているのに、「あなたの弱さや足りなさは、キリストの十字架の血潮によってすべてあがなわれたのだから、あなたはそのあがないによって、もう私の前に完全な人間となったのだから、外へ出て行って、私の手となって働きなさい」って、神さまは言っているのに。

「外」っていうのは「自分の外」という意味よ。自分の心の外へ出て行って人と関わらなければ、何も生まれない。心は、他の人の心と摺り合って、ぶつかり合って、共鳴し合って、強く、柔らかく、大きくなっていく。それこそ「治療」だと、私は思う。自分の内面ばっかり見ていても、少しも治療にならないと。もちろんそういうことが必要な時もある。でも、一生それだけをやっていたって意味が無い。

「君たちの手で価値あるものを作り出しなさい。」

中学校の卒業式で受け取った校長先生の言葉、ずっと握りしめている。価値あるものは、「人」との関わりの中で生まれる。一人で作ったって、自己満足に終わるだけ。だから、自分の作品に向けられる厳しい言葉が、私は好きだ。厳しい言葉は真摯に「関わって」くれている人の言葉だから。うわべだけの誉め言葉より、ずっと感動する。

だってべつに、私を否定されたわけじゃない。私=私の作品だとはぜんぜん思っていない。作品に投げかけられた的確な指摘は、その作品を生かす。どんな技も作品も、削られ、磨かれて、初めて輝く。その輝きの中にこそ、私の精神は映し出される。芸術による治療って、こういうことなのだと思う。

だから、セラピー用の音楽なんて本当は存在しなくて、演奏家も音楽の初心者も、経験を積んだデザイナーも絵を習い始めたばかりの人も、視線の先にあるものは同じでなければならないと思う。それが、「美」というものなのだと。

そして「美」こそ「治癒」であり「神の手の業」なのだと、私は思っている。

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