アルバムを捨てる決断でなぜか思う「お葬式」
実家の建て替えのため、母が色々物を処分しています。
7人家族(両親・3人兄弟・祖父母)で住んでいた家を、両親二人で住む為の家に建て替えです。
まあ、それはどうぞご自由にしてくださいという感じなのですが、ちょこちょこ電話がかかってきます。
実家に置いたままの「過去の遺物」をどうするか。
今日は生まれてから実家を出るまでのアルバムと卒業証書をどうするか、でした。
いらん!って思うですよね。直感だと。
けど、なぜか「いらないよ~。捨てといて」って笑って電話を切った後に、胸がざわざわざわざわします。
なぜかその時に思ったのが、お葬式の時にアルバムが無いと困る!
という謎発想。
(祖父母や伯母のお葬式なんかで子供の頃からのアルバム披露されてたせいw)
そのあとに出てきたのが、「このたくさんの写真(衣装ケース1個分)を撮った両親の気持ちを無駄にしてしまうのでは」という発想。
葬式は自分死んでるしw
アルバムを捨てる!として両親が何か思ったとしても、それは両親のもの。
「わたし」のいない場所でのこと、他の誰かのことを考えて、胸がざわざわざわざわ。
こどもの頃の写真があったら、娘たちの写真と見比べられていいかな!とかまで妄想してみる。
どれだけ、本当はいらないアルバムを、手元に置きたいんだろう。
気持ちが収まるのは、アルバム引き取るから送って!と母に言うことだろう(衣装ケース1個分だけど)
けど、いらない。家に置く場所なんてない。
思い出を楽しみ、過去を慈しむ時間をとりたいとも思えない。
だから、妄想上の両親が悲しもうと、現実の母がちょっぴりがっかりしたとしても、衣装ケース1個分のアルバムを捨てる(正確には捨ててもらうw)
もう45だから、お葬式のことを思う(未来を思う)
もう45なのに、両親を悲しませるのではと思う(未だおこちゃま)
どちらもキーワードは「悲しい」。
妄想の「悲しみ」に囚われず、現実の出来ることを1個ずつ。
主催者にもえぐいなぁ。Neo.Universe。