あなたが一生懸命生きる姿は、今日を生きる誰かの力になっている…
随分前の話になりますが、
息子が小学校3年生の時
初めて運動会で
リレーの選手に選ばれました。
同じ学年には
息子より足の速い子は
たくさんいて
おそらく息子は
上から数えて
10番目にも入らないくらいの
足の速さだったと思います。
3年生のクラス替えで
速い子はみんな
他のクラスになり
あろうことか
息子はクラスの代表
2人のうちの1人に
選ばれたのでした。
リレーの選手になったと
息子から聞かされた時は
それはそれは驚きました。
「すごいね」と喜びつつも
内心はハラハラドキドキで。
そして迎えた運動会。
息子の出場するリレーは
午前の部最後の種目。
1~3年生による低学年リレー。
いちについて。
ようい。
バン!
1年生がスタートしました。
1年生から2年生へと
バントが引き継がれ
いよいよ次は息子の出番。
息子は
2年生からバトンを受け取り
落ち着いた走りで
そのままの順位を維持したまま
アンカーへと
バントをつなぎました。
はぁ。
無事に役目を果たした
息子の姿を見て
家族全員
ほっと肩を撫で下ろしました。
この年の
お昼のお弁当の
おいしかったことといったら…。
さて
3、4年生とクラスは持ち上がり
結局4年生でも
息子はリレーの選手に選ばれました。
4年生になると
いよいよ高学年リレーの
仲間入り。
高学年リレーは
運動会の最後を飾る種目です。
そんな華々しい場面で
よりによって
息子は第1走者に選ばれました。
それを聞いた時は
さすがに
大丈夫かな…と
心配になりました。
さて、
初めてのリレー練習の日。
息子は目をキラキラ輝かせて
ご機嫌で帰ってきました。
満足のいく走りが出来たのかな
と思ったら
どうやら理由は違ったようで。
息子のチームのアンカーは
近所に住む6年生のS君。
S君は学校一の駿足。
息子のチームは
息子が3位か4位でスタート。
その後3位と4位をいったりきたり。
バトンはアンカーのS君に。
ところがその後
S君が驚きの走りを見せたのだと言います。
先を行く選手を次々に追い抜き
なんと1位でゴールしたのだと。
「お母さん
S君すごくかっこよかった!」
自分は精一杯頑張ったけれど3位。
(もしかしたらビリだったかもしれなくて)
それが最終的に
S君の走りによって1位に。
そのことが
第1走者の息子にとって
大きな心の支えになったようです。
息子の嬉しそうな顔を見て
私は少し安心しました。
そして
心配だった運動会が
楽しみになりました。
一方その頃
主人は多忙な毎日を過ごしていました。
その年の春には
一度体調を崩していて。
その後は
何とか持ち直したものの
相変わらず忙しい日々は続き
運動会も、
とうとう
休みを取ることが出来ませんでした。
それでも
せめてリレーだけはと
何とかその時間だけは
休みをもらうことが出来ました。
(この3年後
主人は心の風邪を発症しました)
毎年、運動会は
朝から主人や祖父母
家族みんなで応援していましたが
その年は
別の学校に通う甥っ子の運動会と重なり
祖父母は
午前中は甥っ子の応援に行き
お昼過ぎに
息子の運動会に駆け付けることに
なっていました。
この年
私は初めて一人で応援しました。
お昼頃に
祖父母も合流し、
運動会の最後の紅白リレーの直前に
主人も駆け付けました。
いよいよ
その時がきました。
祖父母と主人と4人で
息子のスタートを
祈るような気持ちで見守りました。
バトンを落としませんように…
転ばずに走り切れますように…
位置について
ようい
バン!
スタートしました。
お団子のような集団から
真っ先に飛び出したのは…
えっ?!
信じられませんでした。
それは、
それは、息子でした。
練習では1位なんて
一度もなかったのに…
そんなことはまるで
嘘のような力強い走りでした。
S君が勇気をくれたのでしょうか。
みんなの思いが
願いが届いたのでしょうか。
涙が溢れました。
「◯◯、すごいな…」
主人も泣いてました。
それは
今にも倒れてしまいそうな主人への
贈り物のようにも
思えました。
その後
息子のチームは
2位、3位と順位を落とし
2位と大きく差が開いたまま
アンカーのS君に
バトンが渡りました。
S 君、お願い!
S君はみんなの期待を一身に背負い
あれほどあった2位との差を
ぐんぐんと縮めていきました。
あっ、追い抜く…
しかし
あと一歩のところでゴール。
結果は3位。
S君が泣いていました。
息子も泣いていました。
私たちは
胸が一杯になりました。
先輩として
素晴らしい姿を見せてくれたS君。
私たちに
力強く生きる姿を見せてくれた息子。
もちろんS君も、息子は
悔しかったに違いありません。
でも
息子、そしてS君の姿は、
その力強い走りは、
間違いなく私たちを勇気づけてくれた…
その事実は
勝敗よりもはるかに
素晴らしい贈り物でした。
私たちは
誰かの一生懸命な姿に
生きる力をもらうことがあります。
つまりそれは…
私の一生懸命も
今日を生きる誰かの力になる
ということ。
今日という日を
ただただ一生懸命に生きる
それだけで
生きている意味があるということ。
今でも
あの日のことを思い出すと
胸がいっぱいになります。
そして思います。
息子やS君にもらった生きる力を
私も誰かに…と。