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分かり合えない苦しみや悲しみが、私を幸せへと導いてくれた…そう、私は、幸せになるためにうまれてきたんだ…。

世の中には
分かり合えない相手もいる
分かり合えない時もある
それでいいんだ…
最近になってようやく
そう思えるようになりました。

そして
そうと分かっていても
分かり合うことを
どうしても諦め切れない相手がいて…
それはそれで
素晴らしいことなんだと。


3カ月ほど前から
住宅型老人ホームで
少しだけ働かせていただいています。

空いた時間を利用して
週に2回、4時間ほど。

生まれて初めての仕事、
初めての現場で、
新しい人間関係がスタートしました。

介護士さん
看護師さん
事務員さん
清掃員さん
そして
私のような
介護士補助の仕事の人たち。

色々な人がいます。
気が合う人も合わない人も。
好きな人も苦手な人も。

仕事をする上で
問題がなければ
それで良いのですが…。

はじめの頃
どうしても
会いたくない人がいたんですね。

その人のことを考えただけで
はぁとため息が出てしまうような
そんな人が。

ある日のこと。

その人が
私の目の前で
衝撃的な言葉を放ったのです。

その言葉は
私に対して向けられたものでは
なかったのですが、
あまりに愛の無い
ひどい言葉だったものですから
私の心は一瞬にして凍り付いてしまって。

やがて、大きな悲しみと怒りに
包まれたのでした。

間もなく退勤時間となり
私はその気持ちを抱えたまま
帰路に着きました。

車の中で私は叫んでいました。

「○%☆▢※△#○%☆▢※△*!」


人には言えない言葉を。

それでも
気持ちがおさまらず
帰ってすぐに
さっきの出来事を家族に話しました。

「それはひどいね。
 でも、そういう人、案外
 世の中にいっぱいいると思うよ」
息子が言いました。

「たしかにね…いるかもね…」

そのうちに、
「俺もさあ、こんなことがあって…」
と主人も心にしまっていた出来事を
ぽつりぽつりと話し出しました。

「そんな時はさあ
 誰もいないところで
 ○%☆▢※△#○%☆▢※△*!って
 
叫んじゃっていいと思う!」
いつの間にか立場が逆転。
気付けば私が主人を励ましていました。

そうこうしているうちに
悲しみや怒りは
おさまっていったのでした。

それでもやっぱり
しばらくの間は
その人のことを考えただけで
憂鬱な気持ちになりました。

さて、
そんなある日のこと。

仕事に向かう途中で
突然

フラットに

そんな言葉が降りて来ました。

あぁそうか…
そうだなぁと思いました。

相手を責めず
自分も責めず
相手の問題と
自分の問題とを分け
相手の問題は引き受けない。

その日は、
常に心をフラットに保つように
心掛けました。

フラットに。フラットに。

心が触れ動きそうになったら
アフォメ―ションのように
小声で唱えました。

こんな時
マスクってとても便利ですね。

この方法は
私にとって
とても良い方法でした。

様々な人に出会い
色んな言動を見聞きし、
その時の
自分の心の揺れと向き合い
対話をして
自分の気付きや学びとしていく…

時間が経つにつれ、
視野を広げ
俯瞰して見られるようになるにつれ、
私は物事の一面しか
見ていなかったことに
気付いていきました。

私はあの人ことを
何も知らない…。
全くと言っていいほどに。

そんな私に
一体何が言えるというのだろう…。

今の私に必要なことは
彼女を信頼すること。
そして
どんなに揺れても元に戻ること。

それぞれが
それぞれのペースで
学びを続けている以上
その学びのタイミングが
「カチッ」と一致することは
そうそうなくて。

だからこそ、
分かり合うなどということも
簡単に出来るものでは
ないのでしょうね。

その時に、
自分の出来る最善のことをしたら
あとは相手に委ねる…

もしかしたら
いつか分かり合える日が
くるかもしれないし
あるいは
分り合えないまま
なのかもしれませんけれど…

分かり合えないということも
決して悪いことではなくて。

分かり合えないことを通して
気付くことも
きっとたくさんあるのだろうなと。


問題はいつだって
複雑に絡み合っていて
そのもつれた糸を
ひとつひとつ
ほどいていく中で
自分の見通せてなかったものに
気付いていく…。

自分のことさえそうなのですから
相手のことを
本気で理解しようと思ったら
それはもう相当に
エネルギーと時間のいることで…

人間理解はそれだけ難しい。

ただ
そうと分かっていても
どうしても
分かり合うことを
諦め切れない相手もいるのですよね。

そう…家族。

他人だったら
もっとうまくやれそうな気がするのに…

何度そう思ったことでしょう。

いつまでも
いつまでも
自分の人生に付きまとってきて
離れない人たち。

愛されたい…
分かち合いたい…
許したい…

幸せになりたい…

どうしても
諦め切れない思い。

でも、その思いが
私をここまで
連れてきてくれた…

簡単には断ち切れない
その絆のおかげで
ここまで辿り着くことが出来た…

家族ってすごいなぁ…
なんて有難い存在だろう…

もしかしたら
絵にかいたような
幸せな家族なんて
どこにもないのかもしれませんね。

欠けている部分
満たされない部分を補いたくて
どこかにあるに違いない幸せを
必死で追い求めていく中で
あぁ幸せはずっと
ずっと私と共にあったんだ
と気付く…

全ての出来事が
この幸せに気付くために
起きたことで…

あの苦しみも悲しみも
私には必要なことだった…

悲しみや苦しみ。
喜びや幸せ。
どちらか一方だけ
ということはきっとなくて。
それらはいつも共にあるのですね。

そんな風に考えていくと
どんなことが起こっても
きっと大丈夫…
そう思えてきて
深い安心感に包まれるのです。


先日、家族で
ある音楽番組を観ました。

それは、
今年40周年を迎えた玉置浩二さんの
河口湖ステラシアターでの
オーケストラコンサートの模様を
放映したもの。

デビューして40年。
きっと色んなことが
あったに違いありません。

歌っていて初めて
幸せだなと思った…。

その言葉が心に沁みました。

安全地帯は自分のふるさと。
命尽きるまで歌いたい…。

あれから
玉置浩二さんの曲を
仕事の行き帰りの車の中で
聴いています。

私の大好きな曲
「しあわせのランプ」

私たちは幸せになるために
うまれてきたんだ…

改めてそう感じました。


幸せになるために
生まれてきたんだから
好きな人と 一緒にいなさい

大切なことなんか
わかってくるんだから
好きなことを やっていきなさい

それでも どうしても
やりきれなくなった時は

この空を見上げて
やさしかった頃のことを思って
なつかしくなったら
しあわせだって言って 笑っていなさい

もしも君のランプがなけりゃ
闇に迷う人がいるよ
友達がいるように
家族や仲間がいるように
僕には君がいなけりゃダメさ

この星を見つめて
めぐりあった頃のことを思って
逢いたくて たまんなかったら
さみしいよって言って
もどってきなさい

幸せになるために
生まれてきたんだから
好きな人と 一緒にいなさい

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