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「終わりの時」に気付くこと。
「気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。それは、ちょうど、家を後に旅に出る人が、僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているようにと、言いつけておくようなものだ。だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分からないからである。主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」
新約聖書 マルコによる福音書 13章33-37節 (新共同訳)
こんにちは、くどちんです。キリスト教学校で聖書科教員をしている、牧師です。
今年最後の日曜日となりました。私の仕事納めはもう少し先なのですが、やはりクリスマスの日を終えたこの時期になると、「今年も終わるなぁ」というしみじみした気持ちになりますね。
2年続いたパンデミックの影響でなかなか人と会いにくい状況になってしまいましたが、それでも年末は何かと「ねぇ、今のうちに会っておきたいね」なんて話になる季節。
年末のお休みで会うための時間が取りやすいからでしょうか? いやいや、何だかんだ言って年末って結構慌ただしいですよね。その上「この人とも会っておきたい、あの人ともご挨拶を」なんて思い始めると、いつも以上に忙しくなることもしばしばあります。少々無理をしてでも予定を詰め込んで、大晦日にはぐったり疲れて胃腸風邪でダウン……ということを何度も経験しているクドウです。学習しないで同じ失敗を繰り返すタイプ。
「ちょっとくらい無理してでも、あの人にも会っておきたい」と思うこの気持ちは、やっぱり「年末」という季節が影響しています。「終わり」ということを意識する時期だからです。
会えるものなら、会いたいのなら、いつ会ったっていいはずです。春のGWでも、夏のお休みのシーズンでも、何なら秋冬のド平日でも構わない。もちろんそういう時に約束を取り付けることもありますが、何となくそれらの時期には「今は忙しいから、また今度」と「後回しにしてしまえる」ことが多いのです。「まだこの先チャンスはあるだろう、何も『今』じゃなくていいか」と、「残り時間」に甘えて先送りにしてしまいがちなのです。
年末だって、「まあ来年でもいいや」と先送りにできないことは無いのですが、そこは何となく「今年会えないまま終わるのは寂しいな」と、一区切りを意識してしまう。それで年末には人と会う予定を詰め込んでしまいがちになるのが私の例年のパターンなのです。
終わりを意識すると、いつも以上に「えいっ」とものごとに踏み出す力が湧いてくる。そういう経験をお持ちの方は、きっと多いのではないでしょうか。
今年度私は高校3年生を担任しています。高校3年生は、まさに「終わりの学年」。文化祭などでも「これが最後だから!」というのが合言葉のようになって、それまで以上に張り切って臨む生徒が多くなるように感じます。また2学期も終わりに近付いてくると、「もうこのクラスで、この学校で、みんなで一緒に勉強することはなくなるんだな」という意識が高まるのか、プチイベントが行われることもしばしば。たとえば「〇〇日はみんなで黒い服を着て来よう!」とドレスコードを決めたり(私の勤務校は私服なので)。「今日でこの授業は最後だから、先生、みんなで集合写真を撮りましょう!」と、撮影会が始まったり。
去年も今年も、同じ一年。昨日も今日も、同じ24時間。確かにそうなのですが、やはり「この時が、終わる」という感覚は、私たちに「全てのものは永遠ではない」「何もかも、いつまでも先送りできるわけではない」という真理を思い起こさせるのでしょう。
「ものごとには終わりがある」という考えを、キリスト教神学の世界では「終末論」と呼んだりします。この終末論的な考え、意識がひたひたと高まるのが年末なんだろうな、と感じています。
私たちのいのちや関係性の「本当の終わり」は、いつやって来るか分かりません。冒頭の聖句では、それを「主人の留守を守る門番」にたとえています。気を抜いてサボっていたらちょうどそこへご主人の帰還と出くわして、「お前、何やってたんだ!」なんて叱られるかもしれない。「その時がいつなのか、あなたがたには分からない」のです。だから「いつも目を覚ましていなさい」。つまり、いつ「その時」が来てもいいように、いつも「その時」を意識して備えていなさい、というのです。
この一年で、悲しい別れを経験された方もいるでしょう。私もその一人です。特にこのパンデミックで、「またいつか会える」と先送りにしてきたその「いつか」が、「もう二度と来ない」ということもあるのだと痛感させられました。
「いつも目を覚ましていなさい」。いつ「その日」が来てもいいように、いつか「その日」が来るのだということを忘れずに、「今」に感謝しつつ、今会っておきたい人には会って、今伝えておきたいことは伝えておく。……もちろん物理的に難しいこともある現状ですが、せめてそういう心の姿勢を「終わり」でない平時にも時折思い出して大切にしたいな、と改めて思う年の瀬でした。
「後回し」にしたくなることもしばしばあったものの、一年間、基本的には週一回、このnoteの更新を続けることができました。こんな私の徒然語りを読んでくださる方、スキを押してくださる方、ありがとうございました。来年がお互いにとって一層良い年になりますように。切にお祈りしています。
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