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通販での「失敗」が案外そのシーズンの「四番打者」になることもある。

家を建てる者の退けた石が
隅の親石となった。
これは主の御業
わたしたちの目には驚くべきこと。

旧約聖書 詩編 118章22-23節 (新共同訳)

こんにちは、くどちんです。キリスト教学校の聖書科教員をしています。

生来の不精と仕事の多忙さとこのたびの外出自粛と……様々なことが重なって、服の購入はもっぱらネット通販に頼っています。

「服をネットで買う」と言うと、「サイズとか試せないのに、不安じゃないの?」とよく聞かれます。ええ、そりゃもうたくさん失敗もしました(笑) 思っていたより小さかった大きかった、長かった短かった、サイトで見たのとは色の印象が違った、素材の質感が予想以上に薄かった厚かった……。いろんな「思い違い」を重ねてきて、でもそのうちに「この組成表示からいくと、きっとこんな質感やな」とか「レビューから推測するに、これはいつもより小さめサイズで注文した方が良さそうだ」などと、勘が働くようにはなってきます。

それでもやっぱり、「計算違い」はあるもので、「くっ……、外したか」という買い物もちらほら。ところがそんな「失敗」の中で、たまに思いがけず大活躍するアイテムなんかが出てきたりします。

今年の春先に買ったあるパンツは、「えっ、こんなてろてろの素材やったんかー。うう……思ってたんと違う……」となった代物。これはたぶん着られないなー、返品期間も過ぎちゃったし、どうしようかなー。そんな風に思いながらしばらく日が経って、「まあ一回くらいは……」と着てみたら、「ん? 思っていたより悪くないぞ?」。

届いてすぐに家で試着してみた時より季節が進んでいたせいだったのか、その「あかんわー」と思っていた「薄さ」がぎゃくんい涼し気で良い感じ。「これは……着心地が良い……」と一気に評価が逆転して、初夏以降は週に複数回出動する頼もしい存在となりました。まさにタンス界のクリーンナップ。いや、四番打者。

ネットでよく見かけるいわゆるライフハック系の記事でも、「不用品と思われたものがこんな風に活かせる」というような内容をよく見かけます。「要らない」と思われたのは実は非常に一面的な見方で、そのものの見方の枠をずらしたり外したりした時、思いがけない価値が見出される……ということはあるのですね。

冒頭の聖句は、「いらんと思った石が大事なものになりました!」というまさに「評価の逆転」を表した言葉です。家を建てる専門家がその目で「こりゃだめだ」と判断して捨てた石。それが何と、上に建てる建物にとって最も大切な基礎の要となったというのです。日本語の表現で言えば「大黒柱」ですね。

一見すると価値が低そうに見えるものが、実はすごく大切なものになった……ということは、時々あるのかもしれません。全知全能の神さまと違い、「全てお見通し」ではない私たちは、その狭い視野の中で、あるいは自分の限られた経験の中で、目に映るものを査定することになるからです。

生徒さんたちがよく言うのが、「この勉強、何の役に立つん?」という言葉。分かるわ~、私も中高生の頃同じこと思ってたわ~、同じこと言うてたわ~。そう共感しつつも、彼らの倍以上(!)の人生経験を積んだ者としては、やっぱり「いや、そう軽々と評価を下したらもったいないよ」と思うこともしばしば。もちろん、苦痛だと思われることを、自分を傷付けてまで無理して続ける必要は無いと思いますが、「これ何の意味があるん?」という疑問程度なら、「まあもう少しゆっくり考えてみたら」というのもひとつの選択かな、と思います。

生徒さんたちに対してもそう。私たち親や教員はどこかで、「この子はこういう子」と、自分の理解しやすい型にはめたり、これまで出会ってきた人たちの中の「どれかのタイプ」に分類したりしてしまいがちなところがあります。でも相手は人間ですから、本当にいつ、どこで、どんな出会いや経験がきっかけになって、私たちの予想を大きく外れた成長を遂げていくか、分からないのです。私の勤める学校は中高6ヵ年でのお付き合いになるので、「へー、あの子がこんな風になるなんてねぇ!」と、感心するような大きな変化を見せてくれる生徒さんもたくさんいます。

「これはやがてこうなる」「これはこの程度のもの」と、私たちは分かった気になりたがりますが、「まだまだどうなるか分からないぞ」とわくわくしているのも、良いのではないかな、と思います。人に対しては特に。

引用した聖句は、イエス自身を示す言葉として、新約聖書の中で何度も引用されます。イエスこそまさに、同時代の周りの人からは「要らない人」「有害な人」とされ、十字架にまで送られた「捨てられた人」だったからです。それが「復活」の信仰を経て、多くの人にとって「救い主」と呼ばれる存在として、いわば「再発見」されていったわけです。

誰かに対して否定的な評価を下してしまいたくなった時は、「これはあくまでも私の、限られた見方の中で出た答えに過ぎないんだ」という思いを頭の片隅にでも置いておきたい。そうしたら、緩やかに繋がり合える関係性が保たれるのではないかな、と思うのです。

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