見出し画像

昭和の名曲「あなた」は「ジェンダー観のリトマス試験紙」であるという説。

あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。 偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。

新約聖書 マタイによる福音書7章3-5節 (新共同訳)

こんにちは、くどちんです。学校で働く牧師です。聖書科という教科を15年担当しています。

小坂明子さんの「あなた」という曲をご存じでしょうか。

多くの歌手にカバーされている、「昭和の名曲」です。この前テレビで上白石萌音さんも歌っておられました。若い方も好きなんですね。

やさしくキュンとくるメロディー。この歌を「名曲だなぁ」と感じつつも、実は手放しで「好き」と言えない思いを抱えていました。

私は「ジェンダー」や「セクシュアリティ」についての授業もしています。ジェンダーを含め、属性で「人をくくる」ことは、差別の温床となり得ます。一人一人を愛される神さまについて語る者としては、ジェンダーバイアスは憂うべきもの。そういうスタンスで、「セクシュアリティとは何か」「ジェンダーバイアスはどのようなところに現れてくるか」ということを生徒の皆さんと一緒に考えます。

そんな私にとってこの曲の歌詞は、無邪気に「好き」と言い難いものでした。女は好きな男と結婚することを望む。レースを編みつつ、子犬と坊やを愛でる、そんなつつましい家庭を築くことだけを望んでいる……というイメージ。「古いジェンダー観の歌詞だよなぁ……」と思っていたのです。

ところが先日唐突に、それはもう本当に突然に、天啓のようにひらめくものがあったのです。

「レースを編んでいるのは、趣味ではなく仕事では……?」

はっとして、試しに検索。するといろいろ出てきます、手作りレース作家さんたちが販売する作品たち。コースターにテーブルセンター、アクセサリー仕立てのもの、大きいものではストールも。

ということは……もし「レースを編む」のがクリエイターとしての仕事であったなら、レース編みを「専業主婦の手すさび」だと思い込んで聞いていた私こそ、ジェンダーバイアスに囚われていたのでは……?

そうひらめくと、そこから一気に思考は駆け巡るのであります。これまでこの歌詞に抱いていた印象が皆自分の思い込みであったことに気付かされ、それらがばりばりと剥がされていく感覚が怒涛のように押し寄せてきたのであります!

「もしも私が家を建てたなら」という想像は、「私」に十分な財力があることを示している? じゃあ在宅の創作活動でかなりの利益を出しているのかも。しかも「大きな窓と小さなドアーと古い暖炉」を個別で指定するということは、建売じゃなくて注文住宅の可能性が高いし。一方「あなた」は、実は子犬や坊やの横にいることしか言及されておらず、「専業主夫」の可能性もある。いや、そもそも子どもは「坊や」だけど「あなた」は性別限定されていないんじゃ? それを言うならレースを編んでいる「私」だって性別は断定できない。女性シンガーの曲だから勝手に「私=女」だと思い込んでいただけだ。「私」と「あなた」のどちらかが男でも女でも、あるいはどちらもが男でも女でも、婚姻関係があっても事実婚であっても同棲でも、誰が世帯主でも稼ぎ頭でも住宅建築の注文主でも、この歌の歌詞には一切破綻が生じない……! 想定される要素がどう変わっても歌の世界観に揺らぎが無いということは、逆にものすごいニュートラルな歌詞で、むしろ聴く者のジェンダー観を試しているのでは……?

つまり「この歌の古いジェンダー観が好きになれない」と思っていた私こそが、それに深くからめとられていたことを知らされたのでありました。ああーーー!(反省と、気付きの喜びの慟哭)

自分の「欠け」に気付くのって、痛みもありますが、「新たに知る」という喜びもありますよね。自虐クドウはそれに対する耐性は強い方なのかもしれません。「あう~、私がアホやった~、ごめんなさい~」とのたうち回りながら、でもどこかで嬉しく思っている感じです。(ちょっと変な人かもですね)

冒頭の聖句は平たく言えば、「他人にあれこれ指摘する前に、まず自分自身はどうやねん」という意味合いの言葉です。今回の私の「発見」は、まさに「うわー、自分の目の中にこんなでっかい丸太が!」と気付く経験でした。

でもね、この聖句を「だからえらそうにごちゃごちゃ言うな」とか「まず我が振り直せ」と捉えてしまうのも、ちょっと寂しいかな、と私は思います。

イエスさまのメッセージにはいつも、「人と人とを繋ぐ」「人と人とが寄り添う」ということへの願いが、通奏低音として流れていると感じています。そうであれば、「人にごちゃごちゃ言うな」は分断を煽るようで、イエスさまらしくない気がするのです。

「ねえ、あなたの目におが屑があるみたいだから取ってあげたいんだけど、もしかして私の目にもある? 自分では見えなくて……」「あ、あるある、あるよ、でっかい丸太!」「えー、取って取って~」なんて、「歯についた青のりを確認し合えるくらい信頼できる仲間」みたいな感じがいいんじゃないかな。批判し合うのではなく、共に「おめめスッキリ」を目指す。そうやってお互いのことを、「御国」にふさわしい私たちになれるよう高め合えたらいいな、と思います。

いやー、しかしほんと、改めて聴き直すと「あなた」、すごい曲です!!

いいなと思ったら応援しよう!