聞く耳を持って欲しい。あなたに聞いて欲しい。
こんにちは、くどちんです。キリスト教主義学校で聖書科教員をしている、牧師です。
今回引用した聖句は、イエスがたとえ話を用いて天の国についての教えを語る場面で、重ねて出て来る言葉です。
この言葉、どんな印象を受けますか?
私は長らく、「ちょっと突き放してる感じがして、冷たいなぁ、厳しいなぁ」と感じてきました。
「分かるヤツだけ分かればいい」「お前にその力があるなら、分かるだろう」と、聞き手の側の努力や才能を問われているような気がしていました。
ところがこの度、「あ、そうじゃなかったのかも」と思うきっかけがあったのです。
それはこちら。
そう、来月発売予定のBTSのニューアルバムです。(また推しの話かい)(いいの、今はそれが私の大半を占めているのよ)
3枚組で新曲は3曲、基本はアンソロジーとして、これまでの楽曲を編み直すということが先に分かっていて、その後3日に分けて、ディスクごとのトラックリストが発表になっていきました。
1枚目で「どぅえええええええ!!!!」、2枚目で「ぬぉおおおおおおお!!!!」なんていちいち叫んでいたのですが、そこは割愛して。(ほんとは2時間くらい語れる)
面白いのは3枚目です。
上で引用した記事の中にはこのようにあります。
ファンへの「特別なプレゼント」として、未発表曲やデモバージョン、制作過程で消えたはずの別バージョンなどが収録されたディスク。それも、デジタルリリースはなし。CDを買う人だけが聴ける。
これこそ「聞く耳のある人は聞きなさい」ですよね。本当に聴きたいと思う人だけが聴ける。彼らの音楽のよりコアな部分に触れたいと思う人だけがそれを入手してしみじみと味わうわけです。
……と、これだけ語ると冒頭に挙げた聖句への印象、「分かるヤツだけが分かればいいという、ある種の冷たさ」は変わらない気がしますよね。「お金出して本当に知りたい、聴きたいと願うような、『分かってるファン』だけが聴くもの」という感じがしますよね。
でも、彼らはごく一部のコアなファンだけに聴いて欲しくて音楽活動をしてきたのでしょうか?
BTSは売れ始めるまでにずいぶん苦労したという話がよく知られていますが、それこそ「自分たちの音楽を聴いて欲しい」という切実な願いを持ちながら活動してきたはずです。
だとしたらこのデモバージョンだらけの3枚目ディスクは、「分かるヤツだけ分かればいい」という突き放した姿勢ではないんじゃないか。「どうにかして一人でも多くの人に聴いて欲しい」という痛烈な思いの結実として、「ここまで聴かせたい」と編まれたものなんじゃないか。
そんな風に思ったのでした。
もちろんこれらは私の勝手な解釈ではあるのですが。
でもイエスさまももしかしたら、「ぜひ聞く耳を持ってよ、どうにかあなたにも聞いて欲しいんだよ」という祈りをこめて、「聞く耳のある者は聞きなさい、聞く耳を持ってくれる人になっておくれ」という思いでおっしゃったのかなぁ、なんてことを思ったのでした。
教員としても、授業をしていて、「聞く耳のある者は聞きなさい」というようなことを思ったり言ったりすることはあります。集中しない生徒に注意を促すような意味合いでしょうか。
でもそれもまた、根っこのところは「ぜひ聞いて欲しい、みんなにとって良い授業になるように頑張って心を込めて力を注いで準備してきたんだよ、聞いてよ」という思いがあるわけです。本当に「聞いてるヤツだけ聞いてりゃいいや」なんてことは思えやしないものです。やっぱり聞いて欲しいんです。切実に。
そんなわけで、イエスさまもきっと「聞いておくれ、君に届けたい言葉があるよ」という思いでおっしゃったのかな~、と、改めて聖書の言葉と出会い直した今日この頃だったのでした。