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諦めないで小さな一歩を重ねていく~韓国ドラマ「保健教師アン・ウニョン」から

「そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』」
新約聖書 マタイによる福音書25章40節 (新共同訳)

こんにちは、くどちんです。キリスト教学校で聖書科教員をしている、牧師です。

韓国語学習がてら、韓国ドラマを観続けているこの1~2年。
先日は「二十五、二十一」「まぶしくて」などを観て、「勝手にナム・ジュヒョク」祭りが開催されていたわけですが。

「勝手にナム・ジュヒョク祭り」はその後も続きまして、さらに観たのが「保健教師アン・ウニョン」でした。

いざ見てみたらエピソード数が他のドラマよりもずいぶん少なくて、「人気無くて早めに終わったとか、そういうことってあるんやろか……」とちょっと心配になってしまった。

私はこの作品、原作小説を先に読んでいたんです。

チョン・セラン作品、淡々とした筆致なのにちょっとくすぐられるようなユーモアもあり、でもそういうスタンスでものすごくシリアスな部分をえぐってくる奥深さがあって大好きです。(訳者のお力もあると知りつつ)

あの「少し不思議」なSF感(藤子不二雄的に)のある『アン・ウニョン』の世界観を映像化するなんてどんな感じになるんだろう……。
「ナム・ジュヒョク祭り」の一方で、そういう関心も強く持ちながら観たのですが、いやまあ今の映像技術ってすごいですね。えぐいし迫力あるし。なるほど、こうなるのか~と思って観ました。
ただ、「これ、原作知らない人にとって、面白いのか?」という印象は終始拭えず。
先に述べた「チョン・セランの『淡々』」も上手く活かされている空気感でしたが、逆に言うとこれ一般視聴者には面白さとして伝わりにくいんじゃないかなぁ……ほらだからやっぱり早めに打ち切られちゃったんじゃないの……といらぬ心配をしてしまいました。

ところでこの『アン・ウニョン』には、小説でもドラマでも「ムシ」を食べる人の話が出てきます。
「ムシ」は単なる「虫」とは違って、「ムシが好かない」「ムシの居所が悪い」のような、あんなムシ。単体ではまあ邪悪、凶悪とはいえないものでありながら、大量発生すると良くないことの前兆となる……。そんな存在です。もちろんこのムシ、一般人の目には見えません。でもそれを地道に一匹ずつ捕まえては退治しているのが「ムシ捕り」「バグ・イーター」などと呼ばれる存在です。ムシはこのムシ捕りの胃酸によってのみ退治できるので、ムシ捕りはせっせとムシを捕まえてはそれを口に入れ、ぽりぽり咀嚼して飲み込み続けるのです。
これ、映像化されると一層気持ち悪いですね(笑) ドラマではノミとかダニみたいな感じで描かれていました。

誰かが涙ながらに感謝してくれるわけでも、高く評価してくれるわけでもない。ひとつひとつの行動自体はさして大げさなものでもない。
けれども、その小さな行動を誰もやらなくなってしまったら、誰もが危機に陥りかねない、そんな地道な、誠実な仕事。
そういうことをこつこつやっていく人を描くことに、チョン・セランは使命感を持っているのではないかと思えます。

今時、「それってあなたが好きで勝手にやってることですよね」みたいな風にして、小さな善行が過小評価されそうな気配を色濃く感じます。

「別に罰せられるわけではないんだから、みんなやってることだし、私だけがやめる必要ないですよね」
「この行為を私が控えたところで、何か世界が変わるんですか?」
「そういうことをやったところで、それはあなたの自己満足でしかないですよね」

そういう冷笑的な空気感の中で、自分の欲望を抑制することとか、強い者持てる者が何かを譲ることとか、困っている人を助ける振る舞いとかが、変に抑圧されているような気がしてなりません。

冒頭に挙げた聖書箇所は、イエスが神の国についてたとえを用いて語った場面です。
いわゆる「最後の審判」のような場面において、「救われる」側に選り分けられた人たちに向けて、「王」はこのように語ります。
『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』

「神さまのためにこんなことをしました!」と大声で誇れるようなことをしていなくても、日常の中で、自分の身近な所で困っている人に、自分の持てるものから分かち与えること。大仰ではない、そんな小さな行いの積み重ねが、神の国を実現するのだということだと思えます。

誰かから特別に褒め称えられるようなことでなくても。
他の人より小さなことしかできないと思えても。
ごくごく日常的な、小さな半径の中での行いであっても。

欠けの多い世界で、そういう小さなかけらの積み重ねが、実は神の国を形作っていく。そういうことを倦まず弛まず続ける人が、「平和を実現する人」と呼ばれる。
そう信じて、私も身近な日々の振る舞いを見詰め直していきたいなぁと思うのでした。


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