十五の君に伝えたいこと ~「手紙 ~拝啓、十五の君へ~」を歌いながら
こんにちは、くどちんです。キリスト教主義学校で聖書科教員をしている、牧師です。
「リモートコーラス部」というのを、ほぼ月イチでやっています。気付けばもう3年にもなるのね。ほんと楽しい。
何となく「仕上がったな」と思うと次の曲を探す……というゆるゆる具合で続けているのですが、この度新たな課題曲(?)にしたのがアンジェラ・アキの「手紙」。「十五の僕」が、大人になった自分に宛てて悩みを吐露する手紙を書く。それを受け取った「大人の僕」が、「十五のあなた」に伝えたいことを返信する。そんな歌詞です。
歌いながらもじーんと来て、メロディラインと相まって涙ぐみそうになる歌詞。
なんだけど。
今回改めて歌ってみて、「はて、この『大人の僕』は何歳なのか?」と思ったのです。
「いい曲だけど、今の私が十五の私に語りたいことは、これとはまた違う気がする……」と。
私が一番引っかかったのは、「夢の舟よ進め」「笑顔を見せて今を生きていこう」の辺りです。
すごく励ましに満ちていて、前向きな言葉。力をもらえる歌詞です。
でも今の私は却って、その励ましが負担や重荷になることを恐れてしまうのです。
「しんどくて前に進めない日もあるよね」
「笑顔になれないこともあっていいよ」
そう言いたくなってしまう。
そんな風に考えると、この「大人の僕」はきっと今の私より若い、20代~30代くらいの、まだまだ自分自身に「若さ」というエネルギーの満ち溢れている年頃なのかな、なんて思うのです。
夢に向かって進めなくてもいい。その場にうずくまって、倒れてしまっても大丈夫。笑顔で歩んで行くことができなくても、きっとそのうちまた少し力を取り戻して、立ち上がることはできるから。そうしたら、時間はかかっても、また歩を進めることができるようになるから。
励ましよりも、そういう慰めや受容を語りたくなってしまうのが今の私なんだなぁ、と気付いたのでした。
冒頭に引用したのは、エリヤという預言者の物語の一部です。追手に追われ、傷付き疲れ果てて倒れてしまったエリヤは、死をも願います。
しかしそんなエリヤに、神さまは御使いを送り、食べ物と水を与えます。
それらを食べ、飲んだエリヤは、再び力強く歩き出したのでした!
……とはならない。
エリヤは再び横になるのです。
横たわるエリヤをまた御使いが訪れ、こう言います。
「起きて食べよ。この旅は長く、あなたには耐え難いからだ」。
そしてまた食べ物と水をいただいたエリヤは、今度はそれによって力づけられ、四十日四十夜歩き続け、ついに神の山ホレブに到着するのでした。
ここで四十日四十夜というのは、「長い長い時間」ということを表しています。
死さえも望んでいたエリヤを力付け、それほどの長い道のりを歩ませたものは何だったのか。
もちろん第一には「天からのパンと水」ですが、私は御使いの言葉が気になって仕方ありません。
「この旅は長く、あなたには耐え難いからだ」。
私には耐え難い、私の力の及ばないものがあるということ。でも、「耐え難いものを耐えろ」と鼓舞するのではなくて、「あなた一人にとっては耐え難い旅だけれど、これからの道のりは決してあなた一人ではないよ」という支えの言葉が、エリヤを歩ませたのではないかと思えます。
「頑張れ。あなたならできるよ」。
そんな励ましももちろん素敵です。それによって力を得る人も、そういう場合も大いにあるでしょう。
でも、「自分一人で頑張らなくていいよ。一緒に行くよ。辛いのも知っているけれど、まずは体を休めて、しっかり食べて飲んで、何とかかんとか、もう一回歩み出してみよう」という受容的な促しが必要な時も、人生にはあるのでしょう。
……と、ここで調べてみたら、アンジェラ・アキさん、この曲は30歳の自分に宛てた17歳の時の手紙を基にしておられるそうです。
私より少し年上でいらっしゃるアンジェラ・アキさん。今の彼女なら、どんな歌詞を書かれるのか……。そんなことを思い巡らすのでした。
しかしやっぱり名曲ですよね。次の練習も楽しみです(^^)