波に抗わず、波を受け入れて、波に乗る。
こんにちは、くどちんです。キリスト教主義学校で聖書科教員として働く、牧師です。
新年度の初めの一ヶ月が終わりました。今年度は自分史上最高に背負っている役割の多い年度で、始まる前から「大丈夫なんかいな」と思っていたのですが、案の定あんまり大丈夫じゃありません(^_^;) ペース配分考えなきゃな~。
年齢的なものもあってか、馬力みたいなものが出なくなっているな、とも感じます。また、体のバイオリズムにも大きく振り回されている気がします。
しんどいなーと思うことがあると、「こんな落ち込んでいる期間は早く脱したい」と焦ってしまいます。それでもがいて、余計に足を取られるような感じになって、アリ地獄みたいになっていく。
仕事量が増えたんだからくたびれても当然だし、それならゆっくり休養するタイミングを作ることにエネルギーを注いで自分の回復を待てばいいんだろうけど、「こんな! へばっている! 場合では! ないのに!!」ってなってしまう。悪循環。
なんか、「しんどいのはダメ」「元気でバリバリいろんなことをやれる私でいなければ」って思い過ぎちゃってるんでしょうね。
これって私だけではなく、多くの人が感じていることなんじゃないかなぁと思います。悲しいことや、落ち込むことを厭い過ぎなのかもしれない、昨今。
そんなことを振り返るきっかけになったのがこちらの本。山崎ナオコーラ『肉体のジェンダーを笑うな』。
いや~、めちゃくちゃ面白かったし、嘆息しながらいろんなことを考えさせられた本でした。実は図書館で借りて読んだんだけど、これは買おう……と決心しました。
短編~中編が4編収録されているのですが、全体にちょっとSF色というか、現代では「まだあり得ないこと」が展開される世界線のお話。なにせ一作目が「父乳の夢」。表題通り、お父さんが授乳できるようになる……というお話です。でもその虚構性の中で、不思議なほど現実のジェンダーバイアスが鮮やかにあぶり出されてくるから、面白い。
「キラキラPMS〈または、波乗り太郎〉」という作品が、今の私にとっては一番「刺さる」お話でした。
未読の方の楽しみを奪わないよう、ぼんやりした言及に留めますが、「平坦であること、フラットであること」を是として誇りとしてきた主人公、その名も平太郎(笑)が、「PMS(月経前症候群)」のイライラと不調の波を受け入れていく……、めちゃくちゃざくーっというとこんなお話。
「キラキラPMS〈または、波乗り太郎〉」というこの作品に関しては、「波乗り太郎」という副題の通り、サーフボードが最後に鍵になってきます。私はサーフィンはしたことがないですが、「波に乗る」「波を受け入れる」ということの象徴として、これは分かりやすいモチーフですよね。
自分の不調、目標達成に対する自分の力の不足、限界の予兆の自覚。平太郎が受け入れていったのは、そういうものたちです。
波はもちろんずっと高くてもだめで、かと言ってずっと穏やかなさざ波であっても逆にきっと「乗れ」なくて。
どぱーん、ざぱーん、高い波も来れば優しい波も来て、押し寄せたり引いたり、そのリズムの「揺れ」こそが面白いんですよね。
時に荒い波も、時に穏やかな凪も、すべてが包含されて「海」なんだから、いいとか悪いとかではなく、それらを「全体」として眺める視点を持てたらいいんだろうな、と思いました。
そういうことを考えていたら、ある言葉に出会いました。
ジョゼップ・グアルディオラさんっていう元サッカー選手の方がいらっしゃるんですって。私は全然知らないんですけど、DAZNで野球を見てたら、合間に出て来る宣伝でこの人の言葉が引用されていました。
「笑う時もあれば泣く時もある。だからスポーツは美しい」。
泣く時、悲しい時があるということが、美しい。片方じゃないから、平坦じゃないから、美しい。
平坦であることは確かに楽だし落ち着いているけれど、人が生きる営みとはやっぱりうまくそぐわないんでしょうね。好不調の波があり、泣く時も笑う時もあり、うまくいく流れも停滞する局面もある。それが人間。
冒頭に引用した「コヘレトの言葉」は、旧約聖書の中のいわば「格言集」みたいなもの。そこにも、あらゆる「時」を示す言葉が連ねられています。今さらながら、やっぱりこれもまた人生の真理を語っているのだなぁ、と思いました。
愚かな私は、頭では分かっていてもこれからもまた不調に沈む折には「いやだ~、早く脱したい~」と泣きわめくことでしょう。でもそんな自分のこともどこか俯瞰で見詰めながら、「今は沈む時、でもまた浮かぶ時も来るんだろうなぁ」と心の片隅で思えたらいいな、と思います。