「破れ」から繋がりが生まれる
その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。
新約聖書 ヨハネによる福音書20章19-20節 (新共同訳)
こんにちは、くどちんです。キリスト教学校で聖書科教員をしている、牧師です。
先日、BTSが国連でスピーチとパフォーマンスを行ったことが話題になりました。
スピーチの内容もしみじみと心に訴えるものがありましたし、そのメッセージを昇華したような”Permission to Dance"のパフォーマンスもまた、希望を感じられる輝かしいものでした。
スピーチの内容やパフォーマンスについても語り出したらキリが無いくらいいろいろなことを思わされたのですが、ここで取り上げたいのは、スピーチでとても緊張していたJIMIN氏のこと。
スピーチを終えて退場する時に、「はあああ、緊張した!」とキャプションを付けたいような風情で胸に手を当てて息をついている様子のJIMINの姿は、「こんなワールドワイドなスーパースターでも、緊張するんだ!」と、親しみを覚えるものでした。
翌22日に配信されたV LIVE(ファンとの交流のための動画配信)では、JIMIN自身が、緊張のあまりスピーチの途中で言葉を失って口ごもってしまったことについて話していました。
言葉につかえたのはわずか数秒のことだったはずですが、彼はそれを「20年くらいに感じた」と言っていました。
私はそれを聞いて、「分かるわぁ~!」と思わず深く頷いてしまいました。私も日頃の授業や教会での説教など、それなりに人前で喋る経験をしていますが、時に原稿を見失ったり、予定していた段取りと少しずれたりすることで途端に慌ててしまって、頭が真っ白になることもあります。そういう時って、ほんの一瞬が永遠のように思えるんですよね……。
もちろん、国連なんていう規模の所でスピーチをした彼らの緊張とは比べるべくもないけれど、でもやっぱりそれは相似形の経験で、「分かるわぁ~!」と言いたくなっちゃうものなんですよね。
スピーチの中では、このパンデミックのせいで彼ら自身も塞ぎ込み、落ち込んだことが素直に語られていました。JIMINの先の「緊張による失敗」も含め、そういう弱さの部分をストレートに見せてくれるのが、BTSの良さの一つだと強く感じています。
きらきらと誰にも負けない輝きを放つ彼らももちろんとても素敵で、観る者に力を与えてくれます。けれど、私たちと変わりなく弱い一人の人間であること、時に落ち込んだり、緊張して失敗したり、不安になったりするということをぽろぽろと告白してくれることも、聞く者に深い慰めや共感を与えてくれるのですよね。
傷や欠け、破れのないぴかぴかのものは人に羨望を抱かせはするけれど、それはどこか「遠さ」を感じさせるものでもあるような気がします。反対に、傷や欠け、破れ、くたびれた部分というのは、負の要素のようでいて、実は周囲に安堵や愛着を抱かせるものなのだと感じています。
完璧だと思っていた人がちょっと失敗して照れている様子に親しみを覚えたり、いつも前向きですごいと思っていた人がふと弱音を見せたことで互いの距離感が縮まったり。破れや欠けはいけないもの、見せてはならないもの……と私たちは肩肘張ってしまいがちですが、その破れから流れ出すものこそが、私たちを温かく繋いでくれる潤いになるのではないでしょうか。
冒頭の聖書箇所は、十字架で死んだはずのイエスが、復活した姿を弟子たちに見せる場面です。ここでイエスが「手とわき腹」を見せているのは、十字架で釘打たれ、槍で裂かれた傷口を示しているのです。傷跡こそが、彼らの再会を確かなものにした。これは、とても興味深いことだと思います。
「Impression」という言葉があります。人に対する「印象」を意味する言葉ですが、押された跡、刻印、痕跡……といった意味でもあります。そういえば、「印象」って、「心に感じ取ったもの」という意味でもありますが、漢字の意味そのものから言えば「判で押された形や跡」のことですよね。
そこに刻まれたもの、へこみ、くぼみ、下手をすると汚れのように見えるかもしれない「Impression」が、私たちの人格の「印象」を作るのだとしたら、傷跡や染みのように感じられる自分の弱い部分こそが、隣人と私を愛の関係で繋ぐよすがになるのではないでしょうか。
互いの破れや欠けに「蓋をする」のではなく、それを恥ずかしそうにそっと見せ合うところから、真に理解し合える、寄り添える関係性が結べたら素敵だな……と思いました。
緊張でトチっちゃうじみんちゃん、かわいくて一層好きになりましたよ(・∀・)♪