否定と肯定
自分を変えようと頑張り始めたのは、多分中学二年生の時です。それから3年くらい経って、あの頃の自分にできなかったことも出来るようになった。一人ひとり違う、それぞれのベストタイミングで気付くことに価値があるとも思いますが、まあ、そのタイミングが今になる人がいればいいなと思って書きます。
中学の時の私は結構メンタルが弱くて、それでいて、理不尽な世界に疲れていました。中身のない会話とか、うるさいクラスメイトに、結構モヤモヤしていたのを覚えています。間違っていると思ったらはっきり否定しちゃうし、面白くないことには全く笑わない奴だったと思います。多分、「自分という人間が求められていない」とか「代わりはいくらでもいる」とか、よくある悩みを抱えていたんだと思います。かわいいですね。
まあ、そんな私でも友達は普通にいたんです。結構大切にしていたし、親友みたいな子と毎日登下校もしていました。その子と出会ったことで、私の人生はかなり変わったんですが、今回は特に忘れたくないと思える出来事について書いていきます。
遠足からの帰り道、その子が言ってくれた台詞です。
あなたと出会ったことで、ありがとうって言うようになったよ。バイバイするときには、「気をつけてね」って言うようになったよ。
そう言われて私は、初めて自分の中にある何かを認められた気がして、泣きそうになりました。多分、当時の私は泣くのを耐えていたんだけど、この文章を書いてる私はなんの躊躇いもなく笑いながら泣いてる。強くなった。
根本にあったはずの、誰かを思う気持ちや、優しさを、自分ではなかなか認められなくって、だけど、この子には伝わっていたんだと思うと本当に嬉しかった。
そして、「私をわかって欲しい」と言う感情が、自分自身を苦しめていたこともわかった。誰かに、小さな小さないい影響を与えられれば、それで十分だと今では思う。
あと、静かだけど大きかった喧嘩。
受験期に入って、その子はすごくストレスが溜まっていました。ずっと悲観的な言葉ばかり言われるから私も疲れていて、そんなピリピリした毎日の中、その時は来ました。やばいやばい。
学校からの帰り道、どんな話題を振られたのかは忘れましたが、的外れなことを言われた私は我慢できず、その子の考えを否定しました。すると、「普通の会話がしたい」と言われました。
え?!!普通って何?!!何でもかんでも「わかる」「それな」とか言うだけのアホみたいな会話のこと?!えーーーーー!!??って、刹那混乱しましたが、多分私が子供だったんだと思います。
いや、本当に、どんだけ不器用だったのか。
というのも、その言葉をうけて以降、どんな納得のいかない意見でもまず肯定するようになったんです。するとなんと驚き、相手の反応が全く違います。いやあ、喋りはじめに否定すると、誰だってムッとなっちゃいますもん、そりゃそうだ、ごめんなさい。相手が成長できる機会すらも奪っていたのではないかと思います。
こっちが相手を尊重していることが伝われば、向こうも、ちゃんと理解しようとしてくれます。もちろん無理な人もいると思いますけどね。
まあそんなこんなで、相手が心地よく過ごせる空気を演出する癖がつきました。もちろん、いいことでもありますが、逆に今は自分の本当の感情がわからないという事態が起きています。中学の時のちょっと尖った自分も、改めて大切にしてあげたいな。そう思って、ここ数ヶ月は感情を曝け出す練習をしています。
少し長くなった気もしますが、私を大きく構成した思い出の一部の話でした。
最近、「よく笑う子だね」とか「穏やかな女の子」「優しい」とか、そんなふうに言われることが増え続けていて、正直戸惑っています。いや、嬉しいし、そういう風に見えているのならその自分も本物なんだと思うんですけど、へんな感じ。
言葉にはできないけど、みんな持っているモヤモヤですよね、多分。たぶん。
読んでくれてありがとうございます。ノートを始め、一週間くらい経ちました。連続で更新してきたけど、今日みたいな文章の書き方は初めて。授業全く聞かずに訂正を繰り返していました。
いろんな書き方を試しながらやっていきまーーす!
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