七夕ちょっと引用🌠

朝、明け方から起きる時にかけて起こりやすい、動悸や焦燥感、悲しさなどの感覚。出たり出なかったりの時期をずーっと繰り返してきたけれど、もういいんじゃ、いらないよねって、ずっと出るたびに向き合ってきて、そろそろ感じてきてる。

小学高学年に出始めた時は、思春期とされた。
中高生になってもあり、高校の時に親に医者に行くから保険証を渡してと言うと「必要ない、そんなの、朝がしんどいなんて誰にでもある」で終わった。

でも、「リンゴが喉に詰まったように苦しく、鉛が体の中心にあるようで、手足が鎖に繋がれたように動かず、まるで身体中の血液が逆流してbubbleのように泡立っているかのような感覚から体や特に手に力が入らず、焦燥感やザワザワが生まれ不安感に苛まれ、頭がそれにもってかれて動かず、まるで地獄から這い上がるように起き上がる」なんて、だれにでもあるようなこと?そんな事をみんな朝から経験して「おはよう!」って活動してるの?ヤバくない?おかしくない?

私だって、それがない時は、朝から穏やからにスタートできる。できてたし、そのこう着状態で失われるパワーや身体の痛みや凝りがないだけで、まず軽快と感じる。幸せだ。
でも、それはもう遥か昔の記憶の様になってしまう様な苦しさと明け方から数時間鬩ぎ合いして、どうやって活発に動けと?

エネルギー充電、もうそこでかなり使われてしまう。

きっと、親が言うように、「多かれ少なかれ」は誰にでもあるのかもしれない。「行きたくないなー」とかね。でも、もうその程度の症状ではなくなってた。

文字の如く必死の思いで家を出て生活し始め、やっと医者に行けて、そこでカウンセリングも受けた。それでも波があるし、薬で抑える。これを否定するわけではない。そうやって、その時に不要な不安や動悸を和らげて「今」に向かえた事もあったから。でも、同時にその症状が訴える「根源」は何かと模索もしていた。それも数十年の私とともにあったものだから邪魔者扱いしてはなかったけれど、「受け入れよう」としてきた。内観などで、向き合ってきた。

そして今、かれこれそんな風に28年近く、一緒に朝頑張ってきてくれた。(ない日が続いた月年単位の時もあり、でもまた家族や色んなことで復活したり、特に子供を持ってからは、自分の幼少期と重なりやすくプレッシャーもあるから不眠という形に変わった時もあったけど、何かとある)

自分が辛い時に、子供にとても愛情たっぷりに(多分こちらが癒してもらっていた)接してあげられたりしたけれど、それには感謝して、やっぱり、朝、すっきりとまでは言わずとも、爽やかに、心穏やかに一日を始めたいんだ。成長してきた子供ものためにも、そうしたいです。

今までを全て急にやめて手放すわけじゃない。少しずつ、頓服の力を借りる時があってもいい(本当にキツイ時は効かない時もあったけど、今は上手く手助けしてくれてる手応えがある。きっと、それ頼みだけではない、こちらの状態もあるんだろうか。)こうやって吐き出して進んでもいい。

少しずつ、大丈夫だよ、安全な場所だよって。
知らない場所に旅行に行った時なんて、全く消えてて、朝からヨガしたり散歩したり出来ちゃうんだから。夜、たまに寝られなくて、寝不足にならず、次の日の為に頓服お借りする事はあるけれどね。

さあ、次の段階に…!!
楽しみは、旅行中だけではないから。
今の日常は、もう私の小さな頃とはかけ離れている。そりゃ、親との繋がりはあるけれどね。でも、その関係すら、変えて行く。それぞれ、変えていける。そんな段階。

でも、無理はしないで、まずは少しから♪

〜以下引用〜願い☆

負の感情やトラウマをしっかりと手放し、
今までの思い込みから解放され、深くリラックスし、デトックスした後、本来の自分、生まれてきた意味を知ったとき。誰でも宇宙と繋がることができるのです。

宇宙と繋がっていると、落ち着いていて、満たされていて、自然と人に与えたくなります。
無理をしている笑顔ではなく、さわやかな笑顔になります。

「次に何をしたらいいのか」
「誰と話して誰と出会うのか」

考えなくても自然と感じ取れるようになります。自分にとっての必要・不必要が分かるので、不必要な情報・人・場所を避けるようになります。結果、自然と周りには豊かで幸せな人が集まります。
無駄な思考をすることは減り、人に流されず自分を信じられるようになります。

いいなと思ったら応援しよう!