坂本龍一について

2017年に発表されたアルバム"Async"を聞いた時、
坂本龍一の音楽は、私の心の溝に向かってゆっくりとグラスを傾けて
それからずっと私の底を流れ続けていた。
彼の音楽は、
先日アーティゾン美術館で「ダムタイプ」の展示を見た時に、
大きく激しい流れとなって噴出し、私を迎えた。
照明の落ちた展示室の角で、よくわからない感情に圧倒されて、
なんだか泣きそうになって、私はそれを
陳腐な感動に落とし込むまいと抵抗していた。

この記事で、ダムタイプの展示をどう私が解釈したかを、
言語化したりはしない。できれば実際に行って感じてほしい。
ただ、あの展示はAsyncで提示された、
坂本氏の音楽観が多分に反映され、Asyncが好きであれば
間違いなく行く価値はあると思う。
Asyncのアルバム発売時、坂本氏自身がファンのコメントに返信する、
という企画をやっていたらしく、僕はそれを改めて読み直した。
気になるものがあったので紹介する。

async発売時の記念ページ: SN/M 比

そこにあると思っていたものの、存在に確信を持てないのは恐ろしいことのはずである。音楽があると思っていたのに、ない。「リズム」があると思っていたのに、ない。
だけども、坂本氏の展示を見ていると、そんなことはないと思えた。
何かの存在に確信を得られることなんてもともと、ごく僅かだ。
例えば触れて「冷たい」と思う。人と一緒にいて胸の中が暖かいと思う。
それらの「冷たさ」「暖かさ」は存在するだろうか。
世界は地図の中だけにあるだろうか。

ダムタイプは、いろいろな都市で開催されて日本に巡ってきた。
その時々で関わるアーティストは異なるが、彼らが毎度同じテーマを
解釈して行われるようだ。
共通しているのは、ダムタイプが毎回、
現代社会にぽっかり空いた虚な穴を、象徴的に展示室に設けることだ。
坂本氏がその穴をなにで満たしたかはぜひ展示を見てほしいのだが、
とにかく私は
この作品を形にしてくれた全ての人々に心から尊敬の念を抱いた。
そして坂本龍一の、関わる新しい作品が今後二度出てこないことへの
どうしようもない喪失感と、今ここに巡り合わせて来れた自分の、
幸運への感謝が合わさり、処理不能のまま展示室でじっとした。


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