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イタリア語 単語の話(19)

読んで楽しいイタリア語の話
単語で覚えるイタリア語

180.mangiate, bevete e pagate (マンジャーテ、ベヴェーテ、パガーテ):“「食べて、飲んで、そして払え」”
mangiare「食べる」, bere「飲む」, pagare「支払う」というを三つの動詞を並べた言い方。何が面白いかというと、これはイタリア人が良く使うしゃれなのである。パーティなどで、「さあ食べて下さい、さあ好きなだけ飲んで下さい、そして支払って下さいね」と最後に落ちが入る。使うと必ず受けるので紹介する。私は日本人向けに、このあとにvolareを付けます。意味はわかりますね(ぼられるという単なる駄洒落:念のため)。尚、volareの本当の意味は、「飛ぶ」です。ヴォラーレという有名な歌(若い人は知らないかも)があります。1958年のサンレモ音楽祭での優勝曲で、本当のタイトルは "Nel blu dipinto di blu". 歌手はDomenico Modugnoという人で、Puglia州の生まれ。国民的な歌手なのだが、イタリアでも若い人はあまり知らない。彼の生まれ故郷へ一度行ったが、海辺にいつも観光客へこの歌を歌ってくれる歌手がいる。勿論とてもうまい。イタリア人らしく女性には優しくすり寄って歌ってくれる。勿論、チップ(mancia)を期待してのことだが、、。
 
181.onomatopea (オノマトペーア):“日本語特有の擬声語”
何となく日本語的な響きがある単語である。オノマとペーアみたいな。これは、擬声語と言われる。日本語では擬声語と擬態語とは基本的には区別されるが、一般にはこの単語onomatopeaはこの両方を指しているようである。つまり、実際の音を言語で表現したもの(雨がザーザー降る、犬がわんわん啼くなど)が擬声語で、擬態語は聴覚以外の感覚を言葉で表現したもの(ぶくぶく太る、にやにやしているなど)となるのである。ただ、イタリア語には(恐らく英語やフランス語にも)擬声語はあっても、擬態語はないようだ。例えば、犬は英語ではbow-wow、イタリア語ではbau-bau、フランス語ではouaf-ouafとなく。これがつまり擬声語である。一方擬態語は、どれくらいあるのか知らないが、例えば「パラパラ、ばらばら、ぶらぶら、キラキラ、ぴかぴか、だらだら、ツルツル」などと同じ音を続けるものが多く、これに相当する外国語は探すことが出来ない。従い、これは外国人の日本語学習者の悩みの種だとも聞く。確かにもっと長い擬態語もあり(てれんてれん、ぐにゃぐにゃ、ぽっくりぽっくりなど)、勝手に造語も出来るとなると、何を言ってるのか分からない事もあることだろう。Din-din(鐘の鳴る音)、tin-tin(鈴の音)、dindon(鐘の音)などはイタリア語でのonomatopeaである。
 
182.bisbigliare (ビスビリアーレ):“日本人しか分からないパラパラとペラペラの違い”
再びonomatopeaの話だが、日本語では畳語として区別して呼ばれるものがある。畳語とは、雨が「ザーザー」降るとか、「くたくた」に疲れる、「どんどん」進むのように、重畳(重ねて)して使うもののこと。このうち、擬声語は、動物の鳴き声や前述の「ザーザー」のように、音を言葉で表現するもので、onomatopeaである。ただし、イタリア語のonomatopeaとは、犬の鳴き声"bau-bau”のように繰り返すものはまれで、猫の鳴き声"miao"のようなものも指せば、"bisbigliare"(囁く=囁く音から)、"strisciare"(這う=這っている音から)のように、まさしく擬声語というものを指す。重畳する言葉は、中国語にもあるが、日本語にはかなり多くある。イタリア語の特徴は、これまでも見てきたように日本語と同じような言葉が時々見られることで、そのことが親しみをます。擬声語は、「ワンワン」「ニャーニャー」「ブーブー」「チンチロチンチロチンチロリン」「メーメー」など殆ど幼児語のようなものだが、多くつかわれる。これ以外には、名詞や副詞として使われる重畳語は多い。日本語では「パラパラ」や「ペラペラ」「シャンシャン」とか「ツンツン」とかまあ、数多くの副詞が存在する。日本ではニュースなどでは普通この言葉は使わない。
 
183.padre (パードレ):“教会の呼び名は家族と同じ”
Padreは父親または神父、神などの意味。昔日本でキリスト教の神父もしくは、キリスト教徒のことを、キリシタン伴天連(バテレン)といっていたがこのバテレンは、PADREから来た。パードレが、パーデレ→パーデレン→パデレン→バテレンとなったと思えばまぁ解らないでもないが。ただ、この場合のpadreはイタリア語と同じだが、ポルトガル語だったのだろう。Madreには母親以外に、修道女、修道院院長の意味があり、sorellaには、シスター、つまり同じく修道女の意味がある。しかし、fratelloは、そのままでは使われず、frate となって、修道士の意味となる。もともと、sorellaはsuora(修道女)に –ellaという縮小辞をつけたものであり、fratelloもfrateに –elloをつけたものだと分かれば納得がいくでしょう。教会の中は、家族ということなのだろう。また、papàはパパ(お父さん)だが、Papa(パーパ)と言えば法王になる。Babbonataleのbabboはpapàのトスカナ方言だが、これがサンタクロースの意味になる。
 
184.paese (パエーゼ):“国とはもともと田舎のこと”
paeseにはふたつ意味がある。国と、村である。実は英語でも countryには、国と田舎(地方)の意味があり、日本語も「くに」は、国と故郷の意味がある。日本人同士で「おくにはどこですか」と聞いたら、県や市のことだ。何故国と田舎(もしくは村)が同じかというと、誰でも想像はつくだろうが、昔の行政単位は小さく(日本なら各藩)それを国と呼んでいたからだろう。ただ、日本はこの20~30年の間に、主として効率化を目的として市町村合併が行われて来た。その効果がどれくらい現れているのか、実態は分からない(どうせ、役所から出てくるデータは「成果がある」というものだろうから)。私のあいまいな記憶では、30年ほど前には日本で5000ほどの行政単位(市、町、村)があり、それが2000ほどに減ったはずだ。
イタリアはもともと日本の半分の人口で、行政単位が8000ほどもあった。同じ様に、経費節減で合併をはかったが、殆ど成功せず今でも相変わらず8000ほどある。理由は、歴史的な問題である。イタリアは町、村がくっついていることはまずない。必ず、間に農村、林、川などがあり離れている。昔から離れているので、例え5kmほどしか離れていなくても、それぞれの文化を持っている。これを合併させろなど、無理な話だと反発があったと聞いた。この行政単位のことをcomuneという。イタリアのcomuneの歴史は古く、10世紀ころから発達しているので、現代人が簡単にそれを変えていいのかの問題もあるのだろう。恐らく経費的には効率は悪いのだろうが、文化は守れている。それは、それぞれのcomuneに行って見るとよくわかる。この文化の違いが、食べ物や飲み物、建物や習慣、言葉や服装、そして祭りなどに反映されているので、大げさに言えば、8000の異なる文化がイタリアには存在するとも言える。尚、paesaggioは「風景」、paesanoは「地方の人」の意味である。日本語の(田舎者)という馬鹿にした言い方ではない。それはcafone(但し南イタリア方言)という(覚えなくても良い)。
 
185.patria (パートリア):“わが祖国”
祖国である。Patriotという名前のミサイル迎撃弾は、湾岸戦争のときに活躍して有名になったが、あれは「愛国者」という意味で、イタリア語では、patriota(パトリオータ)となる。
さて1990年代頃までは、海外へ仕事で赴任する人たちはほとんどJALの世話になった。日本航空は、日航名人会という落語の会を催していて、世界中に散らばっている日本人にひと時の日本の味を届けてくれたものです。ファーストクラスに乗れば、日航のハッピだか浴衣だかをくれた。ビートルズがタラップを、ハッピを着て降りてきたのは、ファーストクラスだったから(でなくても、相手がビートルズならハッピくらいあげただろうが)。今はどうだか知らないが(いずれにしろ、私は1stとは無縁ゆえ、貰っていないが)。この日航名人会がイタリアに来た時には、私も出掛けて行った。その時の噺家の一人が、「祖国を遠く離れて海外でご活躍の皆さま~、ご苦労様で~す。天皇陛下は~、お元気です。」とやったので、大変受けた。このセリフは、あちこちで使っているのだろうが、海外に5~6年も住んでいると確かに「祖国」という言葉に多少実感がこもる。
1990年は明治維新から数えて、132年である。福沢諭吉翁がその著書「西洋事情」の中で、パリのホテルで「自分たちは大人数なので、泊る旅籠は出来るだけ近い場所にして欲しい」と頼んだところ、「いったい何人だ?」と聞かれ「25人ほどもいる」と言ったら、「何だ、それくらいなら一軒でどうにでもなる」と言われ、実際に行ってみてホテルの大きいのに驚いたとある。(注:人数はうろ覚えなので、少し間違いがあるかも知れません)「西洋事情」には、大名がトイレに入るときには、トイレを開けっ放しで廊下の周りを家来が土下座しているので、西洋人の客が驚いている、などと言うことが書いてあって面白い。1868年に明治維新をやって、77年後の太平洋戦争で敗戦となった。この間現在の平均寿命よりやや少ない程度の時間だ。
つまり日本という国が明治元年に生まれて、昭和20年に一度死んだようなものだ。それからもう一度精一杯働いて20年後には、海外に自由に行ける時代が来た。1950年代にテレビで「デイズニーショー」をやっていて、当時はこんな夢の国に行けるとは思わなかったが、今は行ける。日本にもあるが、アメリカのでも決して見るだけの「夢」ではない。1945年(終戦)に再生して人間の寿命だと80年は2025年だ。再び寿命を終えることがないようにしたいものだ。いつか、困難や危機は来るだろうが、それは戦争(guerra)か、それとも金融危機か(デフォルト=inadempimento)、天災か??
さて、1970年の初めのころは、農協さんが大挙して海外へ行った。私も同じ頃ヨーロッパを貧乏旅行して回っていて、農協さんの後にトイレに入ると、大変なことになっているのに2度ほどお目にかかった。まだ洋式トイレが地方までは普及していなかった時代。それから、また40年経ち、Euroが一時は100円を切る時代となったこともある。再び円安時代が来て、これを書いている今は133円ほどに戻ってしまったが。TOTOのwashletがヨーロッパで羨ましがれるようになったとか。これでやっとトイレ先進国になったのだろうか。最後はトイレの話になってしまった。
 
186.pioggia (ピオッジャ): “「長崎は雨。」さて主語は?”
雨のことである。日本語はじつにあいまいな言語である。従い、多国語を訳する時に、はっきり理解しているかどうかは、主語がなにか、目的語がなにか、そして時制を正しく捉えているか、この3点がポイントだということは、私のスクールでは常に述べていることです。主語と目的語は、「誰が」「何を」という話のポイントとして重要である。恐らく新入社員の方は、入社早々上司に報告する時にまず、この2点を厳しく問われているはずだ。時制については、これも前に述べているが、外国語の時制は単に時間の違いだけでなく、「経験」「余韻が残る動作」「過去の習慣」「現在または過去の時点での予測」さらに(法=条件法、接続法など)では、「主観」「結果を(言わないが)含む」など色々な意味を含むことが多いので、それを理解する必要があるからだ。外国語が苦手な人は、おしなべてこの3点の理解力が低い。逆にいえば、日本語から脱却できない。広島の平和公園には、「過ちは二度と犯しません」とあるが、「誰が」が書かれていない。「長崎は今日も雨だった」を自動翻訳機で訳すと、Nagasaki è anche oggi la pioggia.となる。つまり、自動翻訳機は「長崎」を主語と取ってしまう。日本語は、長崎では、と言わずとも長崎はでも通じる。しかし、外国語にするには、A Nagasaki のように、場所を表す前置詞が必要となる。英語が苦手な方の中には、このように訳してしまう方が多い。例えば、Tomorrow is rain.も同じ間違いである。
さて、難読症という脳疾患がある。これは、イタリア語ではdislessiaという。lessiaは文字のことなので、文字が読めないという意味だ。これは勉強をしていないのではなく、文字の図形認識が出来ないという疾患であって人に読んで貰えば、意味は理解できる。この病気で興味深いのは、日本語やイタリア語のような母音で終わる言語の国民には少なく、英語やフランス語国民に多いということ。特に日本人にはこの症例がとても少ないそうだ。これは、日本語が表意文字(漢字)と表音文字(かな)から成り立っていることと関係があるらしい(以上内田樹「日本辺境論」から)。昔から日本人は識字率が高いといわれているのは、文字と関係がないわけではなさそうだ。韓国やベトナムでは、国の文化を守るためか漢字をなくしてしまった。一方中国では、一時漢字をなくそうとしたことがある。全てピンインに変えようとしていた。事実私が中国語を少し習った頃、漢字ではなくピンインだけで授業をしていた。それは、中国が漢字では世界に遅れると感じた為だという。しかし、1980年代後半以降中国は躍進を続け、今や誰も漢字をなくそうとは思わない。一方日本語は大変便利な言葉でもある。日本語をなくそうという案はあまり聞いたことはないが、英語公用語論はよく話題に上る。日本人にとって外国語は大変難しいと言われているが、上記のように日本語には良い点もたくさんある。何でも「~である」で通じる不思議な言葉だ。
 
187.postino (ポスティーノ):“イタリアの郵便事情”
"Il Postino"という映画がありました。1994年の制作で、アカデミー賞を受賞しています。意味は「郵便配達人」。この主役のMassimo Troisiと言う人は、心臓が悪く、この映画の撮影の為に手術を延ばしていたそうですが、撮影が終わった直後に、attacco cardiaco(心臓発作)に襲われ亡くなりました。映画は小さな島のpostinoのことを描いています。
郵便といえば、イタリアは名だたる遅配の国だとも言われています。確かに、まともに着くこともあれば、なかなか着かないこともあります。しかし、必ず着くというのがイタリアの郵便のようです。1年後に着いたというような話も聞きます。postinoは、公務員ですから、午前中しか働かないで、午後は休暇を取って民間のデリバリー業者で働いている、というようなことは事実かどうか分かりませんが、良く言われていることです。何故イタリアの郵便が遅れるのか、私が見たことを述べます。ミラノの郊外の或るcomuneは、住民が1000人くらいの小さなcomuneでした。このcomuneにも、勿論郵便局はあります。ところが、このcomuneに民間の大規模アパート(日本で言えばマンションに相当)が出来て、住民が一挙に10,000人に膨れ上がりました。しかし、郵便局(ufficio postale)はそのままです。ある日郵便局へ、出向きますとその入り口から、係員がいるところ、廊下の隅々まで小包(pachetto)の山でした。postinoの数は以前のままですから、毎日毎日小包の山が高くなっていくばかりです。しかも、postinoは、新しく積まれたものから(上の方から)、取り上げて配達していくので、下の方はほっておかれ、配達が何ヶ月も伸びてしまう。恐らく、公務員ですから新しく人を増やしたりするのに大変時間が掛かるのでしょう。半年後か1年後には配達人の数は住民数に見合う数になるのでしょうが、それまではこんな状態が続くのでしょう。以上私が確認した状況です。全てがこんな理由ではないのでしょうが、このような理由がいくつもあって、遅配がなされるのではないかと思われます。しかし、どんなに遅れても必ず着くのです。

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