イタリア語 単語の話(6)
読んで楽しいイタリア語の話
単語で覚えるイタリア語
51.cuore (クオレ):“デ・アミチスの名作「クオレ」はイタリア語「クオーレ」”
core n'grato(コーレングラート)という素晴らしいナポリ民謡をご存知ですか。これはまたの名をcatari catari(カタリカタリ)と言って、オペラ歌手がアンコールや、ガーラで良く歌います。とてもいい曲ですから是非聴いてください。
coreは、cuoreのことです。民謡やoperaの歌詞のなかでは、よくcoreになっています。De Amicisというイタリアの作家が書いた”Cuore"という本は世界的な名作です。日本では「母を訪ねて三千里」という副題でも知られていますが、クオレとも訳されます。ただ、イタリア語を学習した方は分かりますが、これは下から二番目の音節にアクセントがあるので、「クオーレ」が正しい。同じようなものに、カフェラテがありますね。イタリア語では、caffè latte と書いて「カフェラッテ」となるんですが、日本で最初にそれを使った人がイタリア語を知らないのか、知っていても敢えてそうしなかったのかは分かりません。
cuoreは「心」[心臓」の意味です。日本語で、気がつく、気になる、気を配る、勇気、などと「気」がつく言葉が、夫々、accorgersi、curiosare、curare、coraggioというイタリア語になり、それぞれ、cor か curという文字が入っていますね。つまり、これらは漢字で言う部首のような役目をしており、いわば「心」リッシンベンなのでしょう。ただ、日本語では「気」となっているところが面白い。尚、core n'gratoの歌詞はナポリ語で、イタリア語初心者には解読不能ですが、n'gratoはnon gratoの事で意味は、「不愉快な気持ち」ですが、意訳すると「つれない心」となって、これが一般の日本語訳となっています。
52.mille (ミッレ)、cento (チェント) e nano (ナーノ) : ”ミリ“”センチ“”ナノ“
ミリメーターとかセンチメーターと言えば1000分の1メーターとか、100分の1メーターのことだとわかっているが、逆にイタリア語で1000とか100という数字を知りたかったら、これを思い出せば良い。もともとはラテン語系の言葉だからmillimetro(ミリメートル)のmille が千を意味し、centimetro(センチメートル)のcentoが百を意味することが分るであろう。milligramma(ミリグラム)で思い出しても、お金の単位のセント(百分の一ドル)で思い出しても良い。mille は千、centoは百を意味する。
さて、昨今は数字の単位が増えてナノメートルとか、ナノ秒とか10億分の1を表す言葉も良く日本では使われるようになった。これはラテン語から来たものであるが、ごく小さいことを表す。それでイタリア語でnano(ナーノ)は小人のことを言う。白雪姫と七人の小人達(Biancaneve e i sette nani)。勿論この表現は多くの英語にも見られる。Millenium、cent(お金の単位)、decade(10年:decaは10の意味 )
53.nero di seppia (ネーロディセッピア):“「セピア色」と「素寒貧の空回り」”
セピア色とは“seppia(セッピア)”から来た言葉で、これはイタリア語でイカのことを言う。イカの墨の色は見た目には黒いが、それで紙に文字や絵を書くと色あせた暗褐色の色になる。これを日本ではセピア色といい、わびやさびを尊ぶ日本人が好む色でもある。古い白黒写真が色あせてこのセピア色になると、時代を感じさせてなんとも言えない雰囲気を醸し出す。イカ墨のことはnero di seppiaというが、後半のseppia「セッピア」だけとって、日本語では「セピア」というようだ。日本語にすると「イカ墨色」ですが、そうは言わないところが奥ゆかしい(?)。
イタリア旅行に慣れている人だが、イタリアのレストランで「素寒貧の空回り」といって注文する人がいた。最初は何を言っているのかと思ったが、これで通じるようだ。出てくるものはscampi e calamari (スカンピ エ カラマーリ)であり、scampiは小エビのことで、calamariはヤリイカのことをいう。これは正確には、fritti degli scampi e i calamari(エビとイカの揚げたもの)という。うまく言うものだと感心してしまうが、こう言う風に覚えると忘れない。昔中国へ初めて行ったときに、タクシーにちょっと待ってくれと言うときに、「ちんとんしゃん」と言えば良いと言われて、そのまま言ったら通じたのと同じだ。(中国語は専門でないが、“請待一謝”のラフな読みで、意味は「少し待ってください」)。
54.paparazzi (パパラッツィ):“パパラッチはもともと人の名前?”
パパラッチ、つまり追っかけカメラマンのこと。paparazzoの欄でも一度登場しているが、再登場する。これはFelliniのLa Dolce Vita「甘い生活」の中の主人公Marcelloの相棒fotografo(カメラマン)の名前がPaparazzoであったことによる。映画では、Paparazzoが本人の名前なのか、職業のことなのか分からなかったが、名前だったらしい。パパラッチは、1997年にダイアナ元英国王女がパリで事故死したときに、執拗に付け回したカメラマン達のことで、一躍有名になった。有名人のスキャンダラスな写真を取ることを職業としている。
しかし、最近スキャンダラスなのは、写真だけではない。一般の記事自体をそのように感じることがある。La Dolce Vitaの映画の中のセリフで、「一般人:記者は嫌いだ。なぜなら事実をゆがめて面白おかしく書くだろう」「記者(Marcello):その方が、読者が喜ぶからね」というような表現があった。今の新聞やテレビのニュースはどうだろう。撮影して放映するニュース場面は、たとえそれが全体の1%であっても、見る人にはそれが全てのように見える。インタビューも、一方的な意見だけを主に取り上げたら、皆がそう思っているように見える。アンケートや統計資料も全体でなく、ある些細なことに特化したものだけ見せるから、実態が掴めない。マスコミは世論を誘導しようとしているのかも知れないが、もしかしたら単に「見る人が喜ぶ情報を与えよう」としているだけかも知れない。しかし、自分で実際に物事を見ない、見ることが出来ない、または見ようともしない読者や視聴者が世論となり、票に影響を与えることを恐れる政党、政府は(特に選挙が近付けば近付くほど)世論に迎合する。今度は世論に迎合する政府をマスコミが批判する。こうして、新聞記事や報道番組が作られていく。これを、マッチポンプという。主役はマスコミだ。全てを見せる紙面や時間がないのは分かる。しかし、それは、もし「見る人が喜ぶ情報を与える」という観点で選択しているとしたら、言い訳にはならないだろう。「見る人が喜ぶ情報を与える」も、視聴率や購読数をとるため、の言い訳にすぎないのだから。
La Dolce Vitaは、色々な賞を取ったFelliniの傑作だが、paparazziやgiornalisti、そしてgiornalismoに対する警鐘が含まれているのかも。
55.soprano (ソプラーノ):“ソプラノ歌手は男性なの?”
イタリア語の単語には、男性女性/単数複数形が常にあって、日本人はその感覚を身につけるのがひとつの勉強である。物の性別はそのもの自体とは関係なく、名詞に対して性別が決められていると覚えておいたほうがよい。しかし、性がある人や動物はどうするのか?となると基本的には、性に合わせるはずだ。figlioは息子、figliaは娘のように。ここまでは良いが、実はあまりそう思わないほうが良いかも知れない。sopranoという単語は、ソプラノ歌手を表し、これはoで終わるので、男性名詞である。しかし、ちょっと待ったんさいと。ソプラノ歌手は女性ではないか。同じくmezzosopranoも男性名詞だが、対象は女性である。どうしてだろう?昔は舞台に上がれるのは男性だけであったので、ソプラノは男性が(castrato)が歌っていたのでは?。castratoは16~19世紀の風習だということだから、そうだったのかも知れない。これについては実はまだ確証がないまま、仮説として述べておくことにします。現在では、sopranoやmezzosopranoを女性名詞としても扱います。また、ministro(大臣)、notaio(公証人)、giudice(裁判官)は本人が女性であっても、もともと男性名詞でした。今は女性名詞としても使いますが。これも従来からの習慣(つまり男性しかその任務につけなかった)なのだろうか?。一方でspia(スパイ)、guida(ガイド)などは、対象が男性でも女性名詞である。となると、スパイやガイドは女性の職業だったことになる?もっとも不可解なのは、persona(人=英語のperson)が女性名詞であること。どうやら、そのもの自体の性別とは関係なく単語の性別が決められていると思うのが尤もらしい仮説である。花はil fiore (男性)だが、バラはla rosa(女性)だといえばわかりやすいでしょうか。
56.veloce (ヴェローチェ)、 pronto (プロント):“日本で見かけるイタリア語”
cima (チーマ)。日本ではシーマと呼ぶ高級車の名前。cimaは「山の頂、頂上」のこと。車の頂点にあるという意味か。domani(ドマーニ)。これも車や雑誌の名前にある。明日を意味することはご存知ですね。昨日の方ieri(イエーリ)はイメージとして難しいのだろうか、使われていない。veloce(ベローチェ)。これはコーヒーショップの名前に使われている。そしてpronto(プロント)。これもコーヒーショップで見かける。veloceは「速い」という意味、prontoは「すばやい」と言う意味。そしてespresso(エスプレッソ)と言う名前もコーヒーショップの名前にあり、これも「速い」と言う意味。どうも、コーヒーショップは速さを売り物にしているかのようだ。であれば、これよりももっとイメージ的に速いと言う名前がありますよ。subito(スービト)「ただいま!」「いますぐ!」というイメージですね。次に使うかも知れませんね。
第五章 イタリア語でみる歴史
言葉は言葉そのものの中に歴史が根付いている。ここでは、言葉の由来や言葉の周囲に隠されている歴史を見てみよう。
57.Cicerone (チチェローネ):”雄弁家キケロは今ではガイドに“
キケロはイタリア語では、Cicerone(チチェローネ)といいますが、彼はローマ時代の雄弁家として有名です(ラテン語はCiceroと書いてキケロと読む)。色々な本を残していますが、要は話がうまくて、白も黒と言いくるめるような話術の持ち主だったのではないでしょうか。このことから、“fare da cicerone”と言えば、「ガイドをする」という意味です。「キケロ風にする」ということですが、ガイドは大変雄弁なので、このように言います。
カエサルから帝政ローマ誕生までの歴史は、カエサル~キケロ~アントニウス~オクタビアヌス(後のアウグストス)の絡み合いを覚えていると分かりやすい。簡単に書くと、カエサル(シーザー)は死ぬ前にオクタビアヌスを自分の後継者として指名する。シーザーの死後(ブルータスによる暗殺)、キケロはオクタビアヌスを擁護し、巧みな弁舌により元老院や市民の支持を得、勢力を強めていたアントニウスを牽制するが、アントニウスは逆にオクタビアヌスと手を結んで三頭政治を実施、そしてキケロはアントニウスに殺害される。その後、オクタビアヌスが勢力を加え、三頭政治の支配下地域の取り決めでアントニウスをエジプトへ追いやる。そこにはプトレマイオス朝の王女クレオパトラがいて、もともとカエサルの愛人(子供が1人いる)だったが、アントニウスと結婚する(アントニウスとの間には子供3人)。アントニウスがオクタビアヌスとの戦いで破れた後、クレオパトラはオクタビアヌスにも近寄るが、拒否されて自害したと言われています。キケロのアントニウスに関する表現にもかなり辛らつなものがありましたが(9項marcantonio参照)、二人が政敵であったことを知れば納得出来ます。結局キケロはアントニウスに殺害されています。しかしアントニウスが自害すると、キケロの息子は当時ローマの執政官であり、アントニウスへの復讐として、Markusの名前を使用することを禁じます。その後ローマは一旦共和制を敷きますが、オクタビアヌスは、Augustusの称号を得、自ら帝政ローマ初代皇帝を名乗ります(オクタビアヌスのイタリア語名は、Gaio Giulio Cesare Ottaviano Augustoと長い)。Augustoが8月の名称になり、彼の養父であるGiulio Cesareが7月(luglio, July)になりました。さて、覚えましたか?
58.Centomiglia(gara di vela) (チェントミリア):“ガルダ湖での話”
ガルダ湖はイタリア最大の湖で、観光地として大変名高いところですが、歴史的にも大変ユニークなところです。近くにローマ時代の遺跡を発見する事もできますが、近年には、1943年6月に連合軍がシチリアに上陸し、7月にはムッソリーニが逮捕されました。しかし、9月にドイツ軍の電撃作戦によって奪還されたあと、ガルダ湖の近くに「イタリア社会主義共和国」を設立し、1945年に逮捕され処刑されるまでここに、Salò政府を樹立(ナチスの傀儡政権)して、イタリア国内に2つの政府がある状態を創出した場所でもあります。Salòはガルダ湖畔の町です。Garda湖は、Gabriele D'Annunzio(ガブリエーレ・ダンヌンツィオ)も住んでおり、彼の住居が博物館になっています。
また、この付近はチロル地方にも近く、イタリア領のTiroloのことを、イタリアンチロルともいいますが、ハプスブルグ家の影響も強いところのようです。
Garda湖で1990年代の前半に、Maria Teresaという女性と会いました。この女性はハプスブルグ家の血を引き、直系の女性は皆、Maria Teresaという名前だと聞かされました。この女性は日本人の男性と一緒で(恋人同士)で、今はハプスブルグ家の栄光は影も無く、貧乏貴族だと自分で仰っていました。最初半信半疑で聞いていました。しかし、彼女らが住んでいる家に案内されて驚きました。それは、Garda湖畔に立っているとても大きな屋敷で、ご自分たちは一階の一部屋しか今は使っていないが、と2階を案内されたら、窓には全てカーテンがかかり、薄暗い部屋の中は、回り一面大きな絵が掛かり、世が世であればとても素晴らしい部屋(応接間なのか、ダンスホールなのか分かりませんが)だと思われるところでした。この方たちが今はどうされているのか、今思うとなんだか夢のような気がします。
さて、millemiglia(1000マイルレース)というクラシックカーレースのことは、結構知られていますが、centomiglia(100マイルレース)というレースが、ここGarda湖で開かれているのをご存知でしょうか。これは、実はヨットレース(gara di vela)で、淡水湖(acqua dolce)のレースとしては、ヨーロッパ最大のレース。このレースも大変面白い見ものです。ただ、見に行くときは、野暮ったい格好はしない方がいいですね。イタリア人のTPOには、驚かされました。gara di velaを見に行くときは、デッキシューズを履いて、半ズボンというのがイタリアでのスタイルのようです。
59. Giappone (ジャッポーネ):“なぜ、ジャッポーネ、そしてジャパン?”
これは、無論日本のことである。日本とイタリアとの何らかの関わりを辿ると古くは、Marco Poloに行き着く。彼が書いたとされる東方見聞録によれば、13世紀の日本は、黄金の国ジパングと呼ばれていたとある。黄金は平泉の中尊寺金色堂のことや、後に中国との貿易決済に金を使っていたからだとか諸説あるが、いずれにしろMarco Polo自身は日本には来ておらず、伝え聞いた話のようだ。このジパングであるが、一説には中国が当時日本をそういう音で呼んでいたということである。しかし、「日本」は、現在の中国語で、“ri-ben”とピンインで書き、この音は「リーベン」と言うよりも、人によって(特に巻き舌の強い人なら)「ジーベン」に聞こえる。また、Marco Poloが中国に行ったとされる時代は、元の時代でフビライハンが、中国を治めている。つまり、今のモンゴルである。彼らが日本の事を、ジーベンではなく、ジーパンと発音した(またはそう聞こえた)としても不思議ではない。「グ」は何かというと、これは「国」である。国は中国語の発音では「guo」である。つまり、「日本国」がジーパングになったのである。要するに中国語では当時も今も、“riben-guo”と聞き方によっては「ジパング」と呼んでいるのである。最後の「グ=国」を取ると、これが英語のJapanの音の元であり、イタリア語のGiapponeの元であることは間違いがない。Marco Poloはフランス語も話せたそうだし、実際に東方見聞録が出版されたのは、彼の死後1世紀以上も経ってからで、それもフランス語で出版されている。それならば、イタリア語のジャッポーネがジャポンになったとて、これもあり得る。フランス語では、語末のeは発音しない。一方Marco PoloはVeneziaの人で、13世紀にはイタリア語は統一されておらず、当時日本のことをベネチアでGiapponeと呼んでいたかどうかは分からない。Veneto地方(ベネチアを含む州のこと)は、語尾を切ることが多く、人の名前で「~ン」とあると(例:Girardin, Zambon, Beneton)、まずVenetoの人である(他のイタリア人の名前は、母音で終わる)。従い、ベネチアでもフランス語でも当初からジャポンのように呼ばれ、のちにeを加えてGiapponeとなったのかも知れない。以上、私の「想像」である。何れにしろ、その当時日本のことを、既に外国では日本と呼んでいたことは間違いない。