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イタリア語 単語の話(4)

読んで楽しいイタリア語の話
単語で覚えるイタリア語

31.pancia (パンチャ):“パンチャは丸いお腹のイメージ?”
「お腹」のことをこういう。stomacoは(胃)だから、お腹が痛いというときは、avere mal di panciaの方が、直訳としては当たっている。avere mal di stomacoといっても意味は同じですが。panciaのように、-ciaで終わる単語はイタリア語には多いが、なんとなく親しみを感じます。それは、日本語にもあるからでしょうね。
日本語の、「~ちゃ」には、無茶苦茶、ごちゃごちゃ、ガチャガチャ、いちゃいちゃのように、続けて使うものが多く、だいたいユーモラスなニュアンスがある。スペイン語で、muchacha(ムチャチャ)は、女の子のことで、日本語の無茶苦茶に似ているということで盛り上がったことがありますが、何年も前の話です。日本語には他にも、~茶(ウーロン茶、抹茶)、加藤茶(これは余計)、じっちゃ・ばっちゃ(これは方言の爺さん、婆さん)など、なんだかんだで「ちゃ」で終わる表現は確かに多い。
イタリア語の-ciaを探してみました。こういうことは、面白くてすぐに探究心が湧きます。別項にある、doccia、boccia、gocciaなどのほかに、focaccia(フォカッチャ)、salsiccia(ソーセージ)、marcia(行進、英語のマーチ)、roccia(岩石)などたくさん有りますね。こんなのもあります、accia(かせ状態のさらしてない糸=繊維関係者にはわかるでしょうが)、coccia(剣のつば)、合わせると アッチャコッチャ。女性の名前にもありますね。Nuccia(ヌッチャ)。なお、farmacia(ファルマチーア)やLucia(ルチーア=女性の名前)は、アクセントが i の上にあるので、チャとは読まないでチーアとなるので注意。
さて、panciaに話を戻して、縮小辞のettoをつけて、pancettaというと、料理用語で豚のバラ肉の塩漬けのことを指す。また、同時に(お腹が少し出ている)の意味もある。pancioneは、-oneという拡大辞をつけるので、(太鼓腹)となる。お腹が少し出ていることを、panzettaともいう。名前は似ているが、panzerotto(パンツェロット)というのは、ミラノでは大変有名な食べ物である。もとは、Puglia州の食べ物だが、ミラノのDuomoの裏にある店は、いつも若者で賑わっている。最後に、おでぶちゃんのことは、ciccioneという。ciccia(お肉、贅肉)というとこれも、-ciaで終わる単語の仲間からの派生語ですが、使わないように注意をしておきます。
 
32.paparazzo (パパラッツォ)、pappagallo (パッパガッロ):“パパやパッパで始まるイタリア語”
特にこのふたつは関連がないが、パパという音が珍しいので上げておく。paparazzoはパパラッチのことで、芸能人を追いかけるフリーカメラマンのことを言う。もともとは、映画「甘い生活」に登場するカメラマンの名前から来たもの。pappagalloのgalloは雄鶏のことである。pappagalloはオウムの事。人の真似をすることも指す。
pappaとは、それだけだとおかゆのような流動食をさすが、この言葉とは関係がなさそうだ。モーツアルトの歌曲「魔笛」にパパギーノ(またはパパゲーノ)とパパギーナ(パパゲーナ)という、鳥刺しが出てくるが、これはpappagalloから取ったものだと思われる。鳥刺しとは鳥を取って飼育したり売ったりするもののことを言うようだが、大体オペラでは鳥の羽をつけており、鳥そのものに見えるので、本当に鳥刺しなのか疑問だが。
 
33.scivolare (シヴォラーレ):“シボラーレはすべる”
これもまたユニークな響きがある言葉。「今日もまた部長に絞られて」という様に覚えれば良い。意味は「滑る」。がちがちに凍った雪の上を歩いていて滑って転んだときに使う。また、転ばなくてもかっこよくアイスの上を滑る場合もこの言葉が使えます。尚、頭のsci だけをとると、これは「スキー」の意味となる。動詞はsciare。
scimmia(サル)、scioccato(ショックな)、scienza(サイエンス)など、sci-から始まる言葉も多いが、イタリアへ行くなら絶対に覚えておいた方が良い(でなくても、イタリアへ行けば覚える)言葉が、sciopero(ショーペロ)です。これは、ストライキ(罷業)のこと。交通機関のscioperoが多いので、旅行中にこれに会うと大変です。ただ、頻発していたのは、1970年代までのことで、今はかなり減っているようです。
 
第三章 日本語のようなイタリア語
これを聞くと一瞬日本語を話しているのかなと、思うような言葉がある。意外と意味まで予測出来たりする言葉もあるので、面白い。
34.bravura (ブラブーラ):“ブラブーラしていては決して得られないのが「bravura」”
これはどんな意味なのか絶対に興味が湧く単語でしょうね。「ぶらぶらしている」のではありません。これは名詞で、意味は器用とか熟練という意味。英語で言えば、skillに当たる。使うときは、La mia bravura è cucinare. 「私は料理がうまい」のように使う。一般的な能力というよりも熟練に近い。日本語のブラブラと重なり合うと、どうしても良い意味には取りたくないような気もするが、この単語を使うときには日本語は忘れましょう。
ちなみに、これは昭和も早期の生まれの人にしか通じないだろうが、春日八郎と言う歌手が歌ってヒットした「ひょうたんブギ」と言う歌がある。「飲めや歌えや世の中は 酒だ酒だよ 瓢箪ブギ」と言う出だしで始まって、最後の方に「ブラブーラブラブラ ひょうたんブギ」と言う。ブラブーラを聞くと、この歌を思い出す。若い人には失礼しました。
 
35.camoscio (カモッショ):”意味まで日本語と同じ?“
イタリアの皮手袋屋さんへ行くと、色々な動物の皮があるが、良く聞くのにcamoscioがある。とにかく柔らかくて、皮の質が良いと店員はこの皮をさすって薦める。最初はこれがなんのことか分からなかった。鹿の種類だという気はしたが、鹿はcervoと言うので、どうも違う。色々聞いているうちに、これはひょっとしたら、その発音からカモシカのことではないかと勝手に決めてしまった。これがカモシカのことかどうか自信は全くなかったのだが、大分たってから辞書を引いてみたら、カモシカとあったので驚いた記憶がある。日本語の原点は知らないが、鹿はともかくも、カモは、イタリア語から来たのではないだろうか。
尚、イタリア語でmatterhorn(マッターホルン山4478m)のことを、Cervinoというが、これは「鹿の角」という意味である。また、Cerivinoがすぐそばに見えるスキーリゾートの事を、Cerviniaという。マッターホルンからスイス側に降りると有名なZermatt(ツェルマット)、イタリア側に降りるとこのCerviniaとなる。両方から上っていけば同じところで会うはずなので、標高3500m程の尾根を越えて、スキーをはいたままスイス側に行くこともできる(筈である=試してみて下さい。雄大ですよ)。
 
36.campione (カンピオーネ):“チャンピオンとサンプルは同じ”
「干ぴょうネ」と言うふうに聞こえるこのユーモラスな言葉はチャンピオンのことである。campione del mondoは勿論世界チャンピオンのこと。人はチャンピオンが好きである。日曜日に近くのサッカー競技場へ行けば必ず子供たちのサッカーの試合が行われている。大人が必ず付き添っていて子供たちを応援しているが、勝つとすぐに「カンピオーネ!」。この場合は、チャンピオン!という意味よりも、「一流選手!」とか「名選手!」つまり、「うまいぞ!」という意味があるようだ。
campioneにはもうひとつ別の意味があり、それはサンプルのこと。イタリア人で英語があまり得意でない人と商談をしていると、champion をいつ送るかとか、championはいくらだとかいう言葉が良く出てくる。勿論彼らはcampione から連想して、サンプルのことをいっているのだと、イタリア語を知っていればすぐわかる。
 
37.cane (カーネ):“カーネはあるが、カネはない。昔はビンボー、今もビンボウ”
日本語の響きだとカネだが、これは「犬」の意味。イタリアにも犬好きは多く、その為犬をあちこちで見かけるが、“cane”という言葉はあまり良い意味では使われない。例えば、freddo cane「ものすごく寒い」、vita da cane「極貧の生活」、figlio di un cane(=犬の息子)=「人でなし」、mestiere da cani「嫌な仕事」、roba da cane 「粗悪品」、Mondo cane !「なんてひどい世の中だ!」などである。犬も人間に飼われて忠実にしている割には、人間世界でこんな扱われ方をしていると知ったらどう思うだろう?またこんな表現もあります。menare il can per l’aia 直訳は、「納屋で犬を殴る」で、意味は、「遠まわしに言う」「結論を避ける」です。何れにしろ、犬は殴られるのですね。
また、犬の種類もbarbone(バルボーネ)=大ひげ⇒「プードル」、bassotto(バソット)=背が低い事⇒「ダックスフンド」、cane lupo(カーネルーポ)=狼犬⇒シェパードなどその外見的な特徴から名前がつけられているものもあるので、一緒に覚えてみよう。
「cane(犬)はいるが、カネ(金)はない。昔はbimbo(赤ん坊)、今はビンボー(貧乏)」は、イタリア語と日本語のダジャレである。
さて、cane同様に表現によく使われる動物はcavallo(馬)である。 Cavallo di battaglia直訳は「戦争の馬」、本当の意味は「十八番(おはこ)」、febbre da cavallo は「高熱」のこと。Cavallo d’acciaio 直訳は「鋼鉄の馬」、本当の意味は「自転車レース」のこと。関西では「もうかりまっか?」と言いますが、これもcavalloを使った表現があります。Come va il cavallo? (馬はどうだい?)がそれです。これの返答で、「もうからない」「景気が悪い」は、il cavallo non beve.(馬が水を飲まない)と言います。これは面白い表現ですね。
 
38.chiacchierare (キアッキエラーレ): “「キャッキャッと言う」、と訳す”
最初にこの単語を目にした時には、舌がからまって良く読めない。キアッキエラーレと読む。この動詞を私は「キャッキャッと言う」と訳している。辞書には、おしゃべりする、雑談する、うわさをするなどと書いてあるが、どうもこの「キャッキャッと言う」の方が合っているような気がしてならない。言語の成立ちは全く別でもイタリア語と日本語で同じような言葉を発見すると何だか嬉しくなる。日本語の「キャッキャッ」というのは擬音語であるが、chiacchierareも元々は話し声のけたたましさから出来たのではないかと思っている。これは動詞として、そのまま使えるが、名詞chiaccheraを使って、fare due(またはquattro)chiacchere と使う。「少しおしゃべりをするの意味」。due とかquattroはイタリア語では、「少し」と言う意味です。
尚、北イタリアにはchiacchiereというお菓子があるが、恐らくおしゃべりと無関係ではあるまい。
 
39.cicala (チカーラ)とzanzara (ザンザーラ):“「蟻とキリギリス」は翻訳間違い”
これも日本語のような響きです。cicalaはセミ、zanzaraは蚊。ちなみに、mosca(モスカ)はハエです。このmoscaはMosca(モスクワ)と同じです。英語でmosquitoと言えば、ハエではなく蚊のことです。mosquitoは発音から言えば、mosca(モスカ)に小さいという意味の接尾辞-ito(スペイン語の縮小辞。イタリア語では-ino)をつけて、モスキートと名づけたのかと想像出来ますが、ハエの小さいのが、蚊になったことになりますね。
実は、イタリア語でもmoschinoと言えば、ある種の蚊(ブヨのような小さな蚊の総称)をいいますが、一般的な蚊は、zanzaraを使います。Moschinoはブランド名で有名です。イタリアのcicalaは日本のに比べると、鳴き声が小さいような気がします。また、zanzaraも湿地帯へいけば別ですが、空気が乾燥しているせいか、市内ではそれほど多くなく、夏の戸外での食事を妨げるほどではありません。
イタリアで大変気に入ったものに、zanzariera(またはzanzariere)という蚊帳があります。これは、べランダを完全に覆ってしまいますので、蚊を気にしないでベランダで過ごせます。これは、開閉式になっていますので、開けっ放しにすることも出来ます。また、イタリアの蚊と日本の蚊の違いとして、イタリアの蚊は刺されてもすぐに痒くならず、大分経ってまたは翌日に痒くなると言います。虫も違うようですね。
尚、イソップ物語に「蟻とキリギリス」という話がありますが、イタリアでは「蟻とセミ(formica e cicala)」といいます。もともとイソップ(古代ギリシアの作家)物語では「セミ」だったのですが、欧州は北の方へ行けばセミはいませんので、キリギリスに変えられたのだと言われています。イタリアは、ギリシアと同じくセミがいる国なので、原文のまま残っているということです。日本へは、キリギリスへ変えられたものが輸入されて、翻訳されたらしい。この話は、夏の間に寒い冬に備えてせっせと働く蟻と、一方夏は歌ってばかりで何もしなかったセミは冬になって、蓄えも無く凍えてしまうという教訓なのですが、考えてみれば、キリギリスは秋の昆虫ですから、話に無理があるのではという気がします。
 
40.cravatta (クラバッタ):“クラバッタがなくてくたばった話”
これはネクタイのことである。「くたばった」の連想でこの言葉を思い出す。友人から聞いた小話をひとつ。砂漠でひとり、水も飲まず何も食わず3日間さまよい歩いた。もうくたばりかけた頃に、前方に人がいた。「水をくれ!」というが、彼は砂漠の真ん中のcravatta売りで、ネクタイしかもっていない。「そんなものはいらない!」と言って、先へ進む。また1日経って、前方に人が。「水をくれ!」。しかし、彼もcravatta売りで、水はおろか食べるものも何も持っていない。「ネクタイなんか要らない、水をくれ!」もうくたばるだけだ。更に一日が経過。もう動く気力も無い。「もう駄目だ!」と思いかけたときに、何と目の前に高級なレストランが見える。「やった!これでやっと、水も飲める。食事もできる!」と喜んで、レストランに入ろうとしたら、入口にいた係りが言う。「ネクタイ着用でない方は入れません!」。この落ちは見事である。さあ、これでcravattaは覚えたでしょう。クラバッタですよ、くたばったではありません。

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