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イタリア語 単語の話(15)

読んで楽しいイタリア語の話
単語で覚えるイタリア語

141.pensare (ペンサーレ): “~と考えるのか~と思うのか、~と理解するのか”
動詞のpensareとthinkと「思う」と「考える」について:pensareもthinkも(思う、考える)と訳されるが、日本語の「思う」と「考える」は違うのではないだろうかなどと思う(考える)。「思う」は一瞬だが「考える」は間がある。名詞は、「思考」と書くが、これは「思って考える」という事で、思うと考えるは別になっている。従い、外国語は、「思う」も、「考える」も一語で済ませるとは、単純であり、東洋言語にはかなわないだろうと思う(考える)とさて、そうでもない。日本語の「思う」もかなり使い方が広い。何かへの同意を求めるときに、(君はどう思う?)と聞くが、イタリア語では、Che ne pensi? とも、Cosa ne dici?(それについて君は何と言う?)ともいう。つまり、ここでは日本語の「思う」が、イタリア語では「思う」と「(~について)言う」に分かれる。
また、capireは「理解する」と言う意味だが、例えば、誰かが70(settanta)と言ったとして、貴方がそれを60(sessanta)と聞き間違ったとしたら、Ho capito 70. という。これは日本語では「私は70だと思った」である。イタリア語では、「私は70だと理解した」となるのだが、ここでも日本語は「思う」を使う。日本人は、感受性が強いので「思い」、外国人は理屈っぽいので「考える」のだろうか。どちらもあまり説得性はないように感じる(思う、考える)。 どちらかと言えば、pensareもthinkも瞬間的な「思う」の方に近いのではないかと思う(考える)。「考える」ときには、pensare beneとかthink overとか、副詞を添えて使うのではないだろうか。デカルトの「我思う故に我あり」"Penso, dunque sono.",(英語では" I think, therefore I am."というが)は、自分の存在を理解する事だとしたら、これが「われ思う~」と訳されたのは、正しいのかも知れない。しかし、この命題の説明に「自分の存在を考えることが、存在の証明だ」と日本語で説明を加えた途端に、これが意味することが分からなくなってしまう。何故なら、この命題は「思うこと」を述べているのであって、「考えること」ではないのだから。翻訳って難しいですね。
彫刻家ロダンの作に「考える人」があるが、これのイタリア語訳は Il Pensatore、英語はthe Thinkerとなっていて、これはもともとのフランス語をそのまま訳したらしい。従い、これは「考える人」と訳そうと「思う人」と訳そうとどちらでも良かったことになる。 ただ、思うと考えるを分けて表現する方法はある。それは、現在進行形で表現すること。つまり、pensareは「思う」だが、stare+pensando(現在進行形)は「考える」である。
私がレッスンで、日本語には現在形と過去形しかないと言うと、皆さん一瞬変な顔をなさる。未来形もある「~だろう」がそれで、進行形は「~しているところである」というではないかと。残念ながら、これらは全て現在形の言い回しにすぎない。「形」とは、動詞そのものが変化するか、助動詞を補って形が変わるものを言うので、「~だろう」は予想を述べている現在形で、「~しているところである」は状態を述べている現在形である。勿論日本語には、英語の現在完了形もなく、イタリア語の接続法や条件法もない。
外国語のこれらの(法)や(形)は、動詞に一定の意味を与えている。例えば、英語の現在完了形は、(現在までの経験)(現在まで影響を及ぼす過去の動作)を表す。He has been to England.は、彼は英国に行った(ことがある)。I have lost my key. は、私は鍵を失くした(そしてまだ見つけていない)。の意味だが、文章では(  )の中のことは言っていない。イタリア語の条件法は、(ある一定の条件のもとに現実となる動作や状態)を表す。Vorrei mangiare gli spaghetti.は、スパゲッティが食べたい(のだが、持ってきてくれますか/どこかで売ってないかな)、Avrei voluto mangiare guegli spaghetti.は、あのスパゲッティが食べたかった(だが、食べなかった/食べることが出来なかった)のように、(  )の中を暗に意味する。
接続法に至っては、客観的表現と主観的表現とを分けたものである。Penso che lui non ci venga.「彼はここには来ないと思う」。Spero che lui ci venga.「彼がここに来ればいいのに」。これらは、予想、希望などを述べているもので、客観的な事実ではない。つまり、イタリア語や英語の「時制」や「法」とは、その中に意味を含んでおり、一方日本語は言い回しで表現する。読解学習で重要なのは、主語、目的語と時制である。主語と目的語は日本語では実にあいまいなので、外国語を理解するには、まずこれをとらえることが必要だと思う。文法の話が長くなった。
 
142.pentito (ペンティート):“イタリアでは裏の世界の有名人”
あまり実生活で必要ではない言葉ですが、イタリアでは良く聞くので上げておきます。意味は、マフィアの改悛者のことです。つまり、警察に協力を誓ったもとマフィアの構成員のことです。この名前が付いた最も有名な人物はTommaso Buscetta(ブシェッタ)で、Mafiaの大物の逮捕に貢献したとされています。一方ボスの中のボスと言われていたToto Riinaは、逮捕された後Buscettaの家族を皆殺しにしたと言われており、未だにマフィアの脅威は続いています。 Buscettaがpentitoの草分け的な人物で、その後多くのpentitoが出てきていますが、一族にpentitoが現れると、恐怖から一族がその人物との親族の縁を切るそうです。Mafiaの話は、莫大な話になるので専門家に譲りますが、常に大物政治家との癒着が話題になっており、イタリアの事を知ろうと思うなら、避けては通れないかも知れません。
1980年代にはマフィア同士の抗争及び警察との戦闘により毎年1000人が死んでいると聞いて、最初はとても信じられませんでしたが、調べてみるとどうもそれくらいにはなっていそうで、驚いた記憶があります。その後Giovanni FalcomeやPaolo Borsellinoがマフィアに殺され、警察とマフィアの大戦争になり、マフィア撲滅運動も大々的に行われましたが、これは日本の暴力団とおなじでしょうか、撲滅というようにはならないようです。尚、Mafiaとはシチリアの本拠を置く非合法組織のことで、NapoliにいるのはMafiaとは呼ばず、Camorraと呼び、またNdrangheta(ヌドランゲタ)がCarabria州での組織のことです。以上ご参考まで。

143.piombo (ピオンボ):“ガソリンはbenzina(ベンジーナ)軽油はgasolio(ガソリオ)”
Pbは鉛の元素記号。ガソリン(イタリア語では、benzina)には、どんな種類があって、どんな政策が絡んでいるのか良く分からないが、日本とイタリアで、ちょっと違うなと思うのがガソリンの種類である。日本の給油所(distributore di benzina, benzinaio)では、無鉛しかないので、何も言う必要はないが、イタリアでは無鉛ガソリンがほしいなら、senza piomboという。一方、日本には、レギュラーとハイオクがあるが、イタリアは全てハイオクだから、こちらは選ぶ必要がない。また、イタリアだけでなくヨーロッパには、ディーゼル車が多い。ディーゼルは馬力は弱いが、環境に良いと言う。ところが日本では、ディーゼルは環境に悪く、ディーゼルトラックを東京都から締め出そうとしたことがある。結局、ディーゼルが良いのか悪いのか、未だに良く分からない。ちなみに、ディーゼル(軽油)はgasolioという。
油に関しては国策が絡んで分かりにくい。近代の戦争は全て油が絡んでいるともいわれる。1900年の初頭以来、メジャーが力を握って、世界を支配してきた。イタリアでseven sisters(Sette Sorelle)と自らを名付け、メジャーに戦いを挑み、そしてメジャーを恐れさせ、飛行機事故で死亡した英雄がいる。彼の名前はEnrico Mattei。名前を覚えていて損はない。イタリアでは有名人である。筆者が学生時代に、Il Caso Mattei(マッテイ事件:邦題「黒い砂漠」)という映画が公開されたが、当時アルバイトでパンフレットの翻訳のようなことをした。初めてみた、日本ヘラルド映画の試写室が未だに記憶に残っている。1973年頃の話である。
(追記:現在イタリアでは、全て無鉛だそうです。尚、benzina senza piombo のことは、benzina verdeともいいます。であれば、この単語は最早重要ではない?)
  
144.PRECETTO (プレチェット):“イタリアにいると退屈しない出来事”
もしあなたにこのような手紙が来たら、ちょっと緊張することでしょう。これは、「命令」「勧告」という、公的機関からの拒否出来ない書類です。「召喚状」なども指す。今回は不思議な話を紹介します。いや、ひょっとしたら不思議でもなんでもなく、私だけが不思議だと思っているのかも知れない。
イタリアには徴兵制度がありました。あったというのは、2005年1月から廃止されて、志願制度になったからです。1996年に私はイタリアにいました。そのとき、このPRECETTOが私の息子あてに届いたのです。この場合のprecettoの訳は「召集令状」です。Precettoはまず、この文句から始まります。REPUBBLICA ITALIANA(イタリア共和国) Distretto militare-Ufficio leva di Milano(軍管区ーミラノ徴兵事務所)そして、LEVA SULLA CLASSE DEI NATI NELL'ANNO 1978(1978年生まれ兵の徴兵)と続き、PRECETTO per presentarsi alla visita pscico-fisica di leva e selezione per essere arruolato, se idoneo al servizio militare. 「命令 兵役につけるものは、適正検査を受け、入隊のため出頭すべし」とある。ここでいったん切れ、IL SINDACO invita l'iscritto di leva (ここに名前、生まれた場所、誕生日、住所などが入る)a PRESENTRSI entro le ore 8,00 del giorno XX al consiglio di leva XXと後は、上に書かれていることと似たような内容が続く。つまり、最初はイタリア共和国の命令で、次にミラノ市長からの命令と続く。そして、Il destinatario del presente precetto, non presentandosi in tale giorno, sara` dichiarato renitente e potra` incorrere nel relativo reato, punibile ai sensi dell'art XXXX. (この召集令状の受取人が、指定された日時に出頭しない場合、命令に従わないものと認め、法律に従いその不法行為に対して処罰される恐れがある)という文言が続いています。お断りしておきますが、私の妻も日本人で、勿論息子も日本人。96年に18歳になったということで、この令状が届きました。すぐにcomuneに行き、私の息子は日本人だと言ったところ、関係ないと言われてしまった。私は逆に、日本人がイタリアの軍隊に入ってもいいのだろうか、と思ったのだが、どうも関係ないらしい。なんと、おおらかな。じゃ息子にイタリアの軍隊に入らせようかと一瞬は思ったのですが、実はその時息子は高校生でイタリアにはいなかったのです。それで、総領事館へ行って、息子は日本人であるということと、今学業のためにイタリアにはいないという証明書を書いてもらって、それを提出して一件落着となったのだが、落着となった理由は、どうも日本人であるということではなく、学業でイタリアにはいないということだったようだ。
現在、イタリアでは徴兵制がなくなったので、こんな経験をされる方はいないかと思うが、私の手元にはいまだにこのPRECETTOがある。なお、下位春吉という人が「大戦中のイタリア」という本を書いているが(大正15年発行)彼は、なんと日本人でありながら志願兵として、イタリア軍隊に入り第一次世界大戦に従軍している。彼はD'Annunzioとも親交があったことで知られているが。そういう歴史をみれば、日本人だからと言って、イタリアに住んでいれば徴兵しない理由はないのかもしれないが。今思えば、息子に少しだけでも軍隊を覗いて来てほしかったなと。いずれにしろ、この国に住んでいると色々なことが起きて、飽きないでよろしい。
 
145.stella (ステッラ) :“イタリアの「だるまさんころんだ!」”
意味は星。英語のstarと同じで、映画などの俳優、スターという意味がある。恒星の意味もあるが、一方惑星は、pianetaという。しかし、「惑星の」という形容詞は、planetarioと言う。つまり"i"が"l"に変わる。ただ、本当は、ラテン語の”l”がイタリア語になって”i”に変わったのであろう。イタリア語は、子音が続くのを嫌う。また、planetarioは、「プラネタリウム」でもある。従い、プラネタリウムとはもともと、惑星の運行を見るという目的だったのだろうか。今はプラネタリウムで見る星は殆ど恒星であろうから、stellarioとかスタリウムとか何とか変えた方が良いのでは?
まあ、これはどうでもよいが、stellaというと、イタリアの子供の遊びに”Uno Due Tre, Stella!"という遊びがある。これは、日本の「だるまさんころんだ」と同じだ。「だるまさんころんだ」と言っても、もう分からない人がいるかも知れませんね。何しろ、そんな外で遊ぶゲームはもう流行りませんからね。イタリアでも事情は同じようです。nascondinoは、「かくれんぼ」でこれも日本と同じ子供の遊びです(遊びだったとなるのでしょうか?)。Uno-due-treは、勿論1-2-3ですね。
人間はどれくらいモノを覚えられるのかというと、それは人によってはいくらでも覚えられるでしょうね。私も自慢ではありませんが、50年前に覚えた円周率を小数点30桁まで未だに忘れません、全く人生で意味がありませんでしたが。円周率などは100や200桁以上覚えている人は何人もいるし、今や計算でなん兆桁まで出せるそうですね。ちなみに円周率はPi grecoと言います。Pi は「パイπ」のこと。
私は小学校の時の先生が言った言葉で忘れられない言葉がひとつあります。我々は1から100でも1000でも数えることが出来るが、未開人は「いち、に、さん、たくさん、という」という言葉でした。つまり4つ以上は数えられないと。この先生には色々教わることが多くてとても感謝しているのですが、この時も我々は文明人として多くの数字を扱っていかねばならないと言う意味で言われたことです。が、だんだん年を経てくるとこのことがとても意味を持ってきました。以前海外出張が多い仕事をしていましたが、家を出るときに忘れ物の確認には、(パスポート、金、チケット)とこの3つだけ。会社へ行くときは、(定期、財布、手帳)その後は、(定期、財布、携帯)に変わる。ところが、仕事が変わり鍵が必要になってきたら、これが(定期、鍵、財布)に変わった。つまり携帯が抜けて4番目になった。それで、携帯は良く忘れる。つまり、忙しい時に確認出来る数は3つが丁度良い。4つ以上になると、4つ目は何だったかな?と考えねばならない。勿論個人差はあるのでしょうが、50年以上前に聞いた「いち、に、さん、たくさん」が今はとても身近になっている。
ソフトバンクの孫社長も3つにまとめるのが好きな人のようです。「日本が国際競争力を取り戻すには、まず、IT立国、そして金融立国、三番目に知識立国であらねばならない」「情報化社会で成長するには産業構造を変える必要がある。ひとつはインフラ(情報化の)、次はクラウド、3つ目が人」など(「孫正義のデジタル教育が日本を救う」から)。ご本人がいつも3つずつ上げておられるかどうかは知りませんが、3つは人が覚えやすい、または覚えることが出来る限界だということでまとめておられるのではないかとも思える。知識をたくさん披露するのは結構だが、3つにまとめることの方が難しい。
私の昔の上司で、とても話がうまい方がいて、先に「言いたいことは3つある」とか「4つある」とか言う。そうすると、言われた方はひとつ、ふたつと聞いていく。熱心な人はメモまでとる。しかし、1か2で話が長くなると、3や4が出ないで話が終わることもあった。50年以上前に小学校の先生が「未開人は」と仰った言葉が、あながち「未開人」とは言えないのではないかと思う昨今である。
 
146.Stramilano (ストラミラーノ):“イタリアでも盛んな市民マラソン”
これは、固有名詞である。Stramilano とは、年に一回ミラノで行われている市民マラソンの事を指す。そもそもStra-とは「~を超えて」「異常な」「例外的な」の意味を持ち、良く知られている単語としては straordinario 「並外れた」「特別の」「臨時の」と言った意味を持つ。これはordinarioが「普通の」という意味なので、それにStra-をつけた単語ということで理解できますね。ただ、stra-と言う単語はやたら多くて、良く使われる単語としては、straniero(外国人)、straccio(ぼろきれ)、strada(道路)、strappare(はぎ取る)、strategia(作戦)などがある。並外れたという様な意味を持つときに使われる場合は、英語のextra-に近い意味だと思われる。
さて、Stramilanoだが、私は5回ほど参加させて頂いている。この市民マラソンは、現在はハーフマラソン大会として実施されている(但し、10kmと5kmもある)ようだが、私が初めて参加した1990年頃は距離がよく解らなくて、人によって12kmだとか18㎞だとか言っていた。一番長い人でも18㎞と言っていたと思うので、恐らく当時ハーフ(21㎞超)はなかったと思うが。ただ、殆どの人が走っていない大会として大変愉快だった。ミラノ市内の交通をストップして環状道路を走るのだが、途中途中に休憩所があり、日本だと給水所だが、ここは食べるものも一杯あるので、大体ここで一休みしてから次へ向かう。そして、かなりの人が、途中から家へ帰る。制限時間があるかどうか知らないが、殆ど歩いてゴールしてもメダルをくれるので、私はそのメダルが5個ある。尚、詳しいことは知らないが、ローマにもStraromaという市民マラソン大会があるらしい。マラソンに興味ある人は参加してみてはどうでしょうか?日本でもマラソンが2000年以降益々ブームになっておるのと同じく、イタリアでも健康への関心は高く色々な都市で開催されるマラソン大会は増えている。
尚、この項を書き終えた後、日本から初めてこのStramilanoに参加したので、参加回数は6回、メダルの数も6個となった。相変わらずのファンマラソン(楽しみの為のマラソン大会)で、参加者が62,000人(3コース併せて)と東京マラソンを凌ぐすごい大会になっていた。
 
147.striscia (ストリッシャ):“横断歩道”
これは、ストライプのことである。つまり日本語では、「縞」。una camicia a strisceはストライプ柄のシャツ、 a righe ともいう。righeも同じく線や縞のこと。ここで使うaは前置詞。他に、a quadri(チェックの)、a fiori(花模様の)、a pois(水玉模様の)などのように使われる。strisce と複数になって、横断歩道の意味もある(正しくは、strisce pedonali)。 stirisciaの動詞は、strisciareといい、これには、「這う」と言う意味がある。
イタリアのテレビ番組に、striscia la notiziaという人気番組がある。これは、イタリアでの色々な事件を、色々なタイプのリポーター(コミック調のリポーターが多いが、政治問題や社会問題をとても真面目に取り上げるリポーターもいる)が、通常のニュースでは追求しない点をぐいぐい追求していくので、大変面白い番組です。是非一度ご覧になってみたらどうかと思います。ここで、使われているstrisciaは、日本語でどう訳するのか悩むところですが、蛇の様にリポーターが這って問題を追求するというニュアンスを込めた言葉でしょう。匍匐(ほふく)前進、足を引きずりながら歩くような意味でも使います。
 
148.tesoro (テゾーロ):“「宝物」、でも一体どんな?”
この言葉は自分の大事な人を呼ぶときに使われる。恋人に、妻、夫、子供に。「私の宝物」ということだから、意味は分るが、日本人はこういう言葉が絶対に出てこないから、イタリアでこう言う言葉が乱発されるのに驚くかもしれない。しかし、Mio tesoro! と言われたからって、恋人のように愛しいと思われているかと考えるのは早計かもしれない。本当に私の宝(金庫)=金づる、だということだけかも知れない。
尚、tesoroは男性名詞なので、妻だろうと恋人だろうと、男性名詞のままである。amore(愛する人)も同じである。相手が女性でも、amore mio である。女性形にはならないので、注意。また、イタリア語のsはスと呼ぶ場合とズと濁る場合があるが、母音と母音の間に挟まれたSは濁ると覚えておいたら良い。だから、tesoroはテゾーロとなる。
 
149.Tomba la bomba (トンバ・ラボンバ):“爆弾トンバ”
イタリアのアルペンスキーの英雄アルベルトトンバのことをイタリでは愛情を込めて、このように呼ぶ。あの筋肉質でスキー選手としては大変体格が良いトンバのスラロームがまるでbomba(爆弾)のようだと言うことから、「爆弾トンバ」と言う愛称が生まれた。尚、tomba は「墓」の意味。Tomba とbombaが韻を踏んでいること、お墓と爆弾という名詞を並べたこと、など大変詩的な表現ではないでしょうか。実際に彼のスラロームは爆弾を抱えて墓に向かって滑っていくような大迫力であった。オリンピックで金メダル3個、引退するまでにワールドカップ50勝という記録があります。滑降競技を彼はやりませんが、それでも1995年にはワールドカップ総合優勝をした(滑降の点数はゼロで)というまさにスラローム(回転競技)では敵なしの強さでした。イタリアの国民的英雄です。「トンバラボンバ!」。
尚、essere una tombaという熟語がある。これは「トンバのように」ではない。この意味は、死人に口なし、墓は何もしゃべらないことから、「口が堅い」という意味である。
 
第十五章 食べ物、飲み物の話
150.anguilla (アングイッラ)とanguria (アングーリア):“どちらがスイカ?”
単語が似ていてなかなか覚えられないもののひとつが、これだ。anguillaはウナギ、anguriaはスイカのことである。ミラノの近郊を通ると、夏にはこのanguiriaが道路端に山ほど積んであるところがあった。多分全部なくなるのに2ケ月ほどはかかったと思うが、通るたびにだんだん少なくなっているのがわかる。こちらの、スイカの売り方は、とにかくどーんと積んであるだけ。車で通りかかった人が、その中から選んで買っていく。売る方も、声を上げるでもなく、ただ、スイカのそばに座っているか、ほとんどの場合スイカの周りには誰もいない。anguriaとは、北イタリアでのスイカの呼び名で、一般にはcocomero(ココメロ)という。なお、ココやしのことは、cocco(コッコ)といい、cocomeroとは違う。cocomeroを省略してcocoとは言わない。coccoと間違えやすいから。ついでに言うと、cocaは今コーラのことを指すが、もともとは、コカの木のこと。今は、cocaというと、cocaina(コカイン)のことも指すので、使う時には注意。他に間違えやすいのに、capello(髪の毛)とcappello(帽子)がある。これは、聞いてもほとんど区別が分からない。状況で判断するしかないでしょう。
さて、話を戻してanguillaのことだが、みなさんゴジラはご存じだと思うが、アンギラスというのは聞いたことがありますか。これが最初のゴジラ映画だったのかどうか、私が初めてみたゴジラ映画は、ゴジラ対アンギラスだった。このアンギラスというのは、イタリア語を勉強してからは、ウナギ(anguilla)の怪獣のことだと思っていた。しかし一説にはウナギとは関係なく、公募で名前を決めたとある。しかし、つけた方が、ラテン語から発想しているのではないかと思う。今となってはわかりようもないが。しかし、アンギラスは海外では、アンジラとウナギの学名で呼ばれている(学名といいうのは、基本的にラテン語)そうだから、少なくとも海外でのアンギラスはウナギのイメージで問題なさそうです。但し、アンギラスそのものは、恐竜からイメージしたもので、どうみてもカメかトカゲの怪獣という感じで、ちょっとウナギとは遠い。従い、私は敢えて、アンギラスはウナギだと主張するつもりはありません。

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