イタリア語 単語の話(7)
読んで楽しいイタリア語の話
単語で覚えるイタリア語
60.Giappone2 :“Giapponeその2 何故男性形なのかについての一考察”
再びジャッポーネについて語りたい。我が国のことですから、いくら登場しても足りないくらい思いは沢山あります。ここでは、性のこと。Giapponeは男性名詞である。冠詞は、ilをつけて、il Giapponeという。実は、イタリア語で国の性別を言うと、殆どが女性形である。Italiaを始め、Francia(フランス)、Spagna(スペイン)、Germania(ドイツ)、Grecia(ギリシア)、Svizzera(スイス)、Danimarca(デンマーク)、Inghilterra(またはGran Britannia英国)、Svezia(スウェーデン)、Norvesia(ノールウエイ)、 Russia、Arabia Saudita、Libia、Tunisia、India、Cina、Korea、Canada、Australia、Nuova Zelanda、Argentina、Colombiaなど全て女性形である。アメリカはGli Stati Unitiといい男性形だがこれは、Stato(州)が男性形だからであって、Americaといえば女性形である。恐らく基本的にイタリアが(現在のイタリアではない)他国を国として認識していた場合、女性形にしたのだろうと想像している。日本はこの名前が付けられた時には、多分単なる島とか場所としての認識しかなかったのだろう。日本人としては、ちょっと待てと言いたいところだが、Marco Poloも日本には来ないで、中国での聞きかじりで日本の事を書いたに過ぎないのだ。ただ、こう書くと前項のジパン「グ」=日本「国」と矛盾してしまう。ここは、推理小説的に話を展開すると、ジパングと言ったのは中国で、イタリアは、「グ=国」の認識はなく、中国の一部だとでも思っていたのではないだろうか。大体、私の経験では1970年代でも、中国と日本の区別がつかない人は沢山いたのだ。イタリア人に何故日本が男性形かと聞くと、普通の人は、多分日本が男性的だというイメージだろうと、日本男児なら喜びそうなことを言ってくれるのだが、、。
他にも勿論男性形の国はある。例えば、Portogallo(ポルトガル)がそうだ。しかし、Portogalloとは、「おんどりの港」という意味なので、ポルトガル人自身がこの名前を付けたのか、またホルトガル語でも同じ意味なのか知らないが、これもあまり尊敬した命名とは思えない。第一「港」と呼んでいるくらいだから、国としての認識はなかったものとの想像が出来る。他にも男性形の国名を挙げると、Egitto(エジプト)、Belgio(ベルギー)、Brasile(ブラジル)、Cile(チリ)、Sri Lankaなどがある。EgittoはもともとArabia国でEgittoという国はArabiaの一部で20世紀に成立したものであり、Belgioも19世紀にネーデルランドから独立した国である。Brasileは大国ではあるが、1500年以降にポルトガル人らが入植した歴史があり、この地で蘇芳(すおう)に似た木を発見した。蘇芳はインド原産の染料として藍と共に重宝された植物で鮮烈な赤色を出す。蘇芳のことをポルトガル語でBrasilと呼び、その名前がこの国の名前になった。つまりもともとは木の名前なのである。まあ、ざっと見てみると、どうしても「国として認めたところだけaで終わる女性形の名前にした」のではないかという感は否めないのだ。最後に日本とエジプトに関し、ラテン語やフランス語の性を付記しておく。ラテン語ではJaponia(日本)とかAegyptus(エジプト)と女性形になっている。基本的に国名は女性形のようである(例外は勉強不足のため、定かではありませんが)。そして、フランス語ではJaponは男性形、Egypteは女性形です。色々想像も湧きますが、これ以降は読者の方にお任せしましょう。私の空想的こじつけ理論はイタリア語の範囲にしておきます。
61.giapponese (ジャッポネーゼ):“何故、日本人は-eseなの?”
ジャッポネーゼは、日本人のことである。英語ではJapaneseと言うが、英語の場合、国民の表現で-eseがつくのは珍しい。あとは、Chinese、Portoguese、Vietnamese などが思いつく。昔聞いた話だが、アメリカで日本人が、Which-ese are you?と聞かれたと言う。これは、勿論アメリカ人が顔を見ては分からないので、お前はChineseかJapaneseのどっちか?と聞いたもので、大分人を馬鹿にした言い方ではないかと思うのだが?大体言葉自体には、今は常用されているために感じないかも知れないが、偏見から生まれたものも沢山ある。しかし、安心してください。この-eseの命名に関して言えば、偏見ではないようだ。イタリア語ではinglese(イギリス人)、francese(フランス人)、danese(デンマーク人)、svedese(スウェ―デン人)、canadese(カナダ人)、cinese(中国人)、irlandese(アイルランド人)など、-eseはかなり多い。従い、英語にするときに、日本語の場合はこの-ese系をそのまま取ったものと思われる。じゃあ、なぜ他のingleseはEnglish(man) に、franceseはFrench(man)に、canadeseはCanadianになど代えられたのであろうか?勝手に推測すると、そちらの方がかっこいい(語感が良い)と思ったからではないだろうか?意外とこういう単純な事から決まって行ったのではないかという気がする。何故日本はJapaneseとなったのか?同じく勝手に想像すると、それに異議を唱える人がいなかった、彼らにとって日本はどうでも良かった、つまりどうでも良かった国がChinese、Portogese、Vietnameseとなった、、、のではないかと思っている。となると、まあ偏見とは言わないが、JapananとかChinanとかになっていたとすると、なんだかこちらの方が偏見的な命名のような気がしないでもない。まあ、もう慣れたという事で許しましょうか。
62.inno (インノ):“国家に対する国民の思いは?”
innoとは、讃美歌の意味だが国歌の意味もある。この場合は、Inno Nazionaleともいう。イタリアの国歌はちょと複雑だ。普通は、Inno di Mameliとその作詞者の名前で呼ばれる。若しくは、Fratelli d’Italiaという歌の題名でも呼ばれる。または、Il Canto degli Italianiと呼ばれる様だ。
イタリアの国歌に触れるのは、ちょっと僭越かなという気はするが、入ってしまったのでそのノリで少し進めることにします。
イタリアの国歌には同国の偉大な作曲家であるVerdiが大きく関わっている。現在の国歌(とはいってもこの歌が正式に国歌として法律で認められたのは、つい2005年のことなのだが)の作曲者はVerdiではないが、編曲はVerdiだ。しかし、Verdiが大きく関わっているという意味は、編曲者の部分ではなく、イタリア人の中で現在の国歌をあまり評価しない(というのかあまり好きじゃない)人がいて、ひそかにVerdiのオペラのNabuccoに出てくる、「行け我が想いよ、金色の翼に乗って」という合唱曲を第二の国歌と認めているという話の方だ。(余談だが、NabuccoはNabucodonosorのことで、高校時代にネブカドネザルという名前で覚えた。歴史の教師が、この質問を出して、生徒が答えに窮すると「さあ、昼ご飯を食べるとそろそろどうなる?」とヒントを出していたことを思い出す。答えは「眠かど寝ざる」(九州でしか通用しないかも知れません)。
で、なぜこの歌がイタリアの(第二の)国歌なのだろう。この歌は、バビロニアに幽閉されたヘブライ人(ユダヤ人)が祖国エルサレムへ帰ることを願った歌である。宗教問題は、その歴史の信憑性とも絡んで複雑なので、ここでは触れないが、キリスト(Gesù Cristo)はユダヤ人である(そうである)。そして、ローマはキリスト教を迫害したが、紀元4世紀に突如キリスト教を国教と定めた。キリスト教はユダヤ教から派生したものだが、勿論Nabuccoの時代にはキリスト教はない。つまり、Nabucco(バビロニア)とヘブライの関係は、イタリアとは関係がないのではないのか。国歌が作られた当時当時イタリアはオーストリア支配下にあり、自由を勝ち取りたいという気持ちがこの歌と繋がったという考えもある。実際イタリアの友人に聞くと、彼はNabuccoの歴史背景とはあまり関係なく、ただオーストリアからの独立という気持ちだけでこの歌を国歌と考えていると言っている。この歌が初演の時に、イタリアの観衆に大きな感動を与えたというStoriaがある一方で、いや本当に感動を与えたのは他の歌で、のちにこの歌を国歌としたい人が、そういう話(Storia)を作り上げたともある。
結局、イタリアの国歌はInno di Mameliになった。この歌があまり好かれていないのは、その歌詞にある。国のために命を捧げると言う言葉が繰り返される。また、あまりにも行進曲調のメロディーが国歌に相応しくないとも言われている。国の団結心を煽る歌詞は、イタリア統一という場面にはふさわしいが、現在の国民にはしっくりと来ていない様にも見える。
63.Latino (ラティーノ):”欧米言語に幅広く影響を与えたラテン語“
これはラテン語のこと。殆どの欧州言語のもとであり、もともとはラティウムという地方の言語。ラティウムとは今のLazio州(ローマを含む州)あたりのことを言うらしい。ラテン語には古ラテン語(~BC2世紀)、古典ラテン語、俗ラテン語となどと称されるものがあり、細かい説明は専門家に譲る。要するに俗ラテン語が、イタリア語を始めとしてフランス語、スペイン語などのロマンス語系といった言葉に発展していった。ドイツ語もラテン語の影響を受けており、更に英語はラテン語、ゲルマン語、ケルト語から作られているという。ケルト語も現在すでに残っていない(らしい)。
ケルトとはギリシア語でガリアの意味で、もともとはフランスのアルプス地方にすむ民族のこと(だそうだ)。ケルトとはceltと書き、現在ではアイルランドかスコットランドに住む民族とのことになってこれらが後に移住したのだろうか。どうも複雑である。以前に中村俊輔というサッカー選手が属したスコットランドのサッカーチームは、Celticというが、これはセルティックと呼んでいた。イギリス人に聞くと、celtと書いてセルトと読むかケルトと読むかは決まっていないそうで、習慣に従っているとのこと。イタリア語では書いたとおりにcelta(チェルタ=ケルト人)と呼ぶ。ゲルマン語もそれ単体としては、ラテン語やケルト語と同じく残っていないが、ドイツ語や英語がゲルマン系言語と言われる。英語はゲルマン語から7割の構文を受け、ラテン語から7割の語彙を受けていると言われる。何れにしろ言語の歴史を辿ると、日本語はどこにも行きつかない(今のところ)ので、欧州言語を母国語に持つ人にとって、お互いの言語がそれほど難しくないのは羨ましい限りだ。
イタリア語で、buongiornoやciaoの代わりにsalve!という言葉があるが、これはラテン語。また、Lazio州にLatinaという町がある。これは実は新しい町である。1932年にファシスト政権のもとで作られた町で、元の名前を”Littoria"と言った。littorioとは、古代ローマの権力の標章で、ファシスト党のシンボルとして使った。戦後連合軍がその名前を嫌い、Latinaと強引に変えたのである。
64.Mecenate (メチェナーテ):“メセナの起源”
これはメセナのこと。つまり文化文芸の保護者、またはパトロンのこと。この名の由来は、ローマ時代のガイオ・メチェナーテ(ラテン名:Gaio Mecenae)から。初代皇帝Augustoの腹心で、若い詩人たちを擁護したことから、その名が文化財や芸術のパトロンとして残りました。そしてこの言葉は、金銭的に文化を擁護したというところから、食事をおごってくれる人のことを呼ぶのに使われます。勿論これはかなり口語的な表現で、冗談めかした言い方ですが、、。
食事の支払い方には、「おごる」と「割り勘(平均して払う)」そして、go Dutchの「それぞれが自分の分を払う」とあると、整理しておきましょう。Go Dutchと割り勘に関しては、veneziano参照。
人の名前を使った表現としてもう一人上げておきます。ローマ時代の有名人の一人Nerone(皇帝ネロ)は、残虐な皇帝として有名ですので、neronianoという形容詞は、「残虐な」という意味です。またメセナと並んで使われるフィランソロピー(博愛、慈善、慈善団体、または人類愛など)のことはfilantropiaといい、こちらは個人名とは関係ないようです。
65.oriente (オリエンテ):“太陽が生まれる方向”
東洋の事。西洋はoccidenteという。これは、ヨーロッパ的な考えである。何故なら、アメリカの西は日本やアジアであるがこれを西洋とは言わない。Australiaは西洋か東洋か?Australiaは欧州からの位置は東洋だが、orienteとは言わないそうである。orienteとは、「生まれる」の意味があり太陽が生まれる方角を指した。従いorienteには方角の意味もある。orientazioneは方向付けをする、指針を定めると言う意味。オリエンテーションのことである。一方occidenteは、ギリシア語の日が沈むを意味する。ラテン語が主流だった古代ローマでも、学術的にはギリシア語が一目置かれており、現イタリア語の元は、ラテン語やギリシア語だったりする。
漢字では、東洋は東の海の意味になる。中国語で東洋は日本の意味でもあるが、東洋は東亜、西洋は西亜という。亜はアジアのことだから、中国を中心とした中華思想では、東洋西洋は、アジアの東、アジアの西ということか。
韓国のことを、Koreaというが、イタリア語ではCoreaである。これは、高麗の中国語読みKaoliからきたそうだが、そうすると“l”と“r”が合わない。韓国の人は日本人と同じように、LとRの区別が解らないと聞いたことがある。李さんはLeeと書いても、「イ」と読むぐらいだから、恐らくL音がないのではないだろうか(北朝鮮では「リ」と読むとも聞いたが、よく解らない)。それであれば、Kaoliと誰かが発音しても、Kaoiになるから、それがKaoriになり、Coreaになっても不思議ではない。ただ韓国のことは韓(カラ)とも言い、昔KARA(加羅)という国があった。それが関係あるのかないのか、私に語る資格はないが、ちょっと面白い気はする。
中国の人は、日本語のPとBの区別が付かないので、ババさんとパパさんの区別が分からないと聞いた。それは、中国語にP音とB音の区別がないからではない。私が中国語を習った時は、Pは口の前に紙切れをおいて、その紙切れが前に吹き飛ぶ音がPであると教えられた。BとPでは、吐き出す空気が大分違う。
イタリア人やアメリカ人は、日本人の名前での大野さんと小野さんの区別が付かない。OhnoもOnoも同じにしか聞こえないという。また、私の個人的な経験だが、南米の人がVとBの区別が大変難しいと言っていた。
話が色々飛んでしまったが、要は、日本人はLとRや、BとVの区別が付かずに、色々失敗もするが、そんなことは世界の誰もが他の言語に対してはひとつかふたつはある事なので、気にしなくてもいい。
中国語は、漢字一つが夫々一音節という世界に類を見ない言語だ。日本語になったら、複数音節になった。例えば、東、中国語は、dongと一音節、日本語はhi-ga-shiで3音節だ。しかし、中国語が子音で終わるのを、日本語は母音で終わるように変えた。そうすると、ぴょんと中国を飛び越えて、イタリア語とひとつ共通点が出来たことになる。母音で終わるから発音には共通点が多い。
一方、ラテン語から派生した英語は、子音で終わる。eで終ってもeは発音しない。日本語と中国語は、文字、音、時制、格、単語で共通点がある。従い、漢語を勉強した戦前の人は英語が出来た。漢語を知っていれば、異なるのは単語と発音だから。今は漢語をやらないで、全く異なる英語を一足飛びで学ぼうとするから落伍者がたくさん出来る。解る人は一足飛びでも問題はない。ただ、漢語は今の中国語とは違う。漢語学習のメリットは構文の理解である。なお、韓国の人にLとRのことを聞いたら、もともとL音はなく、以前は日本人と同じようにLとRをかなりごちゃ混ぜに使っていたとのことだ。
66.quando (クアンド)、quanto (クワント)、quale (クアーレ)、chi (キ)、che (ケ)、cosa (コーザ)、come (コメ):“言葉の始まりは喉頭音から?”
ここに上げたのは、ご存じの疑問詞だと思うが、意味は、「いつ」「いくら」「どれ」「誰」「何」「何」「どのように」ですね。イタリア語の疑問詞が、クァ、キ、ケ、コのような、カ行の喉頭音で始まっていることに、興味を持っていました。英語のwhen、which、who、 where、why そしてhowは、フ、フォ、ハのように、ハ行です。ただし英語は歴史としては新しい言語なので、自然と生まれた言葉というよりも作られたものだと、ここでは一旦脇へおいておきます。
さて、勝手な推測ですが(言語学の専門家には素人の余興として笑って下さい)、人間が言葉を話し始めたのがいつごろか知りませんが、それは喉頭音から始まったのでないのでしょうか。喉頭音とは、我々が動物園で聞く猿の鳴き声のキャッキャッ(あくまで日本人が聞く音)やキーキーなどの音をいいます。H音も喉頭音です。猿だけでなく、鳥も、カーカー、クークーなど喉を鳴らす音を発します。ホーホケキョは、H音とK音だといえると思います。
彼らがなんと言っているのか知りませんが、疑問詞は、会話の基本であると思います。誰かと会話を始める時には、普通何かを聞くことから始めます。もし、そうじゃなく普通の肯定文を述べたとしたら、一人言を言っているか、そうでなければ自己紹介でもしていると思うでしょうね。
つまり、鳥も猿も、何かを誰かに聞いているんじゃないのだろうか?「おまえは誰だ、キー」とか、「それはなんだ、キッキー」とか、「飯はまだか、いつだ、クークー」とか?同じように人間が話を始めたときには、鳥や猿と同じように、質問から始めたのではないでしょうか。そして、当然それは喉の奥から絞り出す訳だから、イタリア語のQuandoに始まるような、「クァ」とか「コ」や「ケ」が会話のスタートになっていたのではないだろうか?
勿論、イタリア語だけではこれを説明することは難しい。イタリア語の元のラテン語で見てみると、「誰」はquis(ラテン語は男女中性、数、そして格変化をするので、ひとつだけでは表せないので、ここでは主格、単数、男性形だけを書く)、「何」はqui 、「いつ」はquando、「どの」はque、「なぜ」はcur、「どのようにして」はquomodoである。また、Quo vadis, Domine?(クオヴァディス)「主よ、何処へ」で知られる、quoは勿論「何処へ」である。つまり、ラテン語でもほぼ、ケ行音が、疑問詞となっている。なら、もっと古い時代のギリシャ語はどうかと思ったが、ギリシア語とラテン語の歴史をみてどちらが古いとは言えない。ラテン語は、もともとローマの近くでギリシア時代にも話されていた言葉だから。
一応ギリシア語も調べてみると、こちらの方は全く門外漢だが、どうも疑問詞は、H音やP音で始まっているのが多いようだ。少なくともラテン語系統の言語は、鳥や猿と同じように、「喉頭音であるカ行音を、疑問詞として使うことから始まったのではないか」という、大ざっぱな仮説を挙げておくことにします。
一旦おいた英語に戻りますが、where、when、who、why、whatの疑問詞は、もともとhwaer、hwanne、hwa、hwi、hwaet だったのだが、13世紀頃にhとwと入れ替わったという。ということは、英語の疑問詞も「喉頭音」つまりHから始まっていることになりますね。そういえば、where フエア、when フェンなど全て、出だしの音はwでなくh音でした。つまりhとwのアルファベットは入れ替わっても、読み方はhw~(フ~)と変わらず読んでいたのです。
67.quarantena (クアランテーナ): “検疫隔離は40日”
入国するときに見かける、「検疫所」のこと。もとは「隔離」の意味で、in quarantena といえば隔離されることを意味する。この言葉は勿論quaranta(40)から来たもので、quarantinaとは、約40の意味。これは船が入港するときに検疫期間が40日だったことに由来する。英語では、本来のquarantenaではなく、quarantinaが変化してquarantineとなった。尚、イタリア語では数字に~inaとかetteの縮小辞をつければ、「大体~」の意味となる。 Ventina は約20。Un’ orettaは約1時間。
現在余程のウイルス等保持の疑義者でなければ、何日も検疫で留め置かれることはないが、動物にはいまだに適用されている。イタリアから愛犬を連れて来た時には、2週間の検疫期間があった。また、欧州では今はどれくらいかかるのか知らないが、当時は30日の検疫が必要で特に英国は厳しいと聞いていた。動物に対しては、未だにこのquarantine(40日)が生きている国があるのかも知れない。
68.storia (ストーリア): “ストリーとヒストリーはもともと同じもの?”
storiaは歴史のことである。これがそのまま英語になるとstoryとなって、歴史の意味はなく、物語となる。歴史はhi-をつけて、historyとしなければならない。高校の頃、歴史を学ぶ際にこんなことを思った。「我々より前の人は学ぶ歴史が少なくていいな、でも我々より後の人は歴史が増えてますます大変だろうな」と。アメリカではアメリカの歴史を学ばないと聞いた。全く学ばないことはないだろうが、代わりにヨーロッパの歴史を学ぶ。日本では、日本史と世界史を学ぶから、アメリカでは歴史の勉強はかなり楽だ。英語のhistoryは、ヘロドトスが書いた「歴史」がギリシア語でhistoriaiと呼ばれ、これから派生したらしい(歴史とは何か:岡田英弘著)。しかし、historiaiの意味は、「歴史」などではなく、調査研究というような意味だそうである。つまり、ヘロドトスが「歴史」を書いたころには、歴史というものはなく、物語があったにすぎない。ただ、歴史というものは勝者、または権力者が自分に都合良く作るものかも知れない。「古事記」「日本書紀」だけでなく、世界の歴史の中にどれだけの「作られた歴史」があるかと思えば、historyはstoryで間違いないのだ。言葉は真理を表す。イタリア語で「物語」は、racconto、novella(小話)、romanzo(小説)という。
69.tedesco (テデスコ):“ステテコではない”
これも発音が変っていて面白い言葉だが、他の意味でも興味深い言葉である。意味は「ドイツ語」または「ドイツ人」。普通の国と国民(又は言語)の関係は、Italiaがitaliano、Francia(フランチャ「フランス」)がfrancese(フランチェーゼ)、Giapponeがgiapponeseの様に国名から国語(又は国民)を連想できるものが殆どである。一方、ドイツのことはGermania(ジェルマーニア)というのに、ドイツ人はtedescoと全く異なるのである。Germanico(ジェルマーニコ)ではいけないのか?実は、germanicoには「ドイツの」「ドイツ人の」という形容詞の意味はあるが、ドイツ語やドイツ人を表す名詞としては使わない。tedesco とは、ドイツが現在の国の形をしていなかった時代に庶民の間で話されていた言葉から派生した言葉である(当時公用語はラテン語であったが、一般の民衆はゲルマン族の言葉で「国民の言葉」と呼ばれる言語を話していたという)。この国民の言葉がtedescoで、のちにはドイツ人の言葉となり、現在ではドイツ語を意味する様になった。尚、Germania は現在のドイツ連邦共和国を指すと共に、歴史上のゲルマニアという国としても使われる。 Lingue germaniche と言えばゲルマン語を意味する。
70.testo (テスト):“日本語のイエス様の語源は?”
testaが「頭」でtestoは「本文」つまり、textのことをいう。語尾がOかAで意味が全く変わる単語(男女やほぼ同じ意味を表すものを除く)には他に、banco(机)とbanca(銀行)、oro(金)と ora(時間)などがある。tavoloとtavolaは微妙に使い分けが行われるが(tavolaは食卓、または実際に食事が乗った食卓で、tavoloは食事が乗っていないテーブルまたは、事務机)人によっては、同じだという人もいるので、それほど差はないようだ。
i testi sacri(聖なる原点)と書いて、聖書の意味を表す。testamentoとすれば、これも聖書である。聖書には他にBibbioという言い方もある。これが、英語のBibleの元であろう。biblioとは、ギリシア語で「本」のことである。これからbibliotecaは図書館。一方testamentoは、「遺言」の意味もある。l'Antico Testamentoを「旧約聖書」、il Nuovo Testamentoを「新約聖書」という。Testamentoが遺言の意味なら、それらは「新しい(神が残した)遺言」と「古い遺言」のことかと思うが、一般には、新約旧約の「約」とは、神との契約のことだといわれている。旧約聖書は、ナブッコ(nabucco参照)の話のあとユダ王国が滅び、そして再興されるまでの話だそうである。従い「約束」というのがよくわからないが、いずれ宗教的な意味合いの言葉なのであろう。その後新約聖書との間は400年ほどの隔たりがある。
イエス・キリストはイスラエル民族の王家の子孫だとされている。つまり父親であるヨセフはダビデの子孫だということになっているが、マリアは聖霊の子を身ごもったことになっているのでどこでどう整合するのか、私にはわからない。
人間は「出自」「学歴+富」「知識」「徳」と、この順序で人を見る(五木寛之著「人間の覚悟」)そうで、イエス様でも出自を「王家の子孫」と作り上げざるを得なかったのかと思う。釈迦は、領主だか地方の王様だかの子孫である。日本でも源氏か平家の血をひくものでないと、素性が知れないということになり、太閤秀吉も伊藤博文らもその他多くの武将、政治家が家系図をでっち上げたと言われています。残念ながら、「徳」は五木先生の唱える社会では人を見る基準としては最後に来ます。婚活で女性が条件に上げるのは2番目の「学歴と富(もしくは期待される富)」だと理解は出来ます。出自までは、恐れ多くて望まないということでしょうか。
イタリア語の本題を少し離れてしまいました。イエスという日本語がどこから来たのか触れたかったのですが、イタリア語ではGesù(ジェズ)であるが、スペイン語ではJesusu(ヘスス)である、ギリシャ語はイイススといい、古代ギリシア語が最も近い「イエースース」となるらしい。そういえば、キリシタン・伴天連(バテレン)と言っていた時代は、イエズス教会ともいっていた。ただ、ぴったし「イエス」という言語がみつからないことからして、日本ではYes(ハイ)に合わせて「イエスさま」と言ったのでは無いかとは、論理の飛躍しすぎでしょうね。
さて、儒教が説く「仁」や「徳」は、現実社会では人を見る基準として最後にくる(五木氏論)らしいが、イタリア語では、virtùと言います。ラテン語のvirtusからきたものです。virは「男」の意味で、もともとは男性らしさ、肉体的な強靭さや勇気の意味があったもの。イタリア語のvirtùは、ラテン語本来の意味はなく男女を問わず「徳」を表す言葉となっています。ちなみに、virtùは女性形です。