イタリア語 単語の話(2)
読んで楽しいイタリア語の話
単語で学ぶイタリア語
11.Monaco (モナコ):“モナコはモナコ公国のことではない”
Monaco(モナコ)というとたいていの人はモナコ公国の事だと思う。それは間違ってはいないのだがモナコ公国のことは正式には、Principato di Monacoという。イタリア語でMonacoといえば、一般にはドイツのミュンヘンの事を指す事の方が多い。ミュンヘンのことも正しくはMonaco di Baviera「バイエルンのモナコ」と言って紛らわしい時には区別をする。
日本語では、海外の地名はその国の発音どおりに読ませることが多く、これは卓見だと思うのだが、時には英語と交錯していて、一体どちらが正式な日本語なのか解らないことがある。例えば、Firenze(フィレンツェ)とフローレンス(英語名のFirenze)は違う場所だと思っている人がいた。また、Veneziaは多分「ベニス」の方が良く使われるが、Napoli(英語ではNaples)やRoma(英語ではRome)などは、イタリア語のまま使われている。
一方、その町の昔の姿を表す地名も多くある。例えば、日本の地名で、~島や、~津、~洲と言えば、今はそうでなくてももともとは、島であったり港であったり三角州であったということが推測できる。イタリア語で“borgo”とは大きな村のことである。Amburgo(ハンブルグ)、 Strasburgo(ストラスブルグ)、Salisburgo(ザルツブルグ)、 Edimburgo(エディンバラ)などは~村であり、forteは要塞だから、Francoforte(フランクフルト)は要塞だったことが解る。
12.portoghese (ポルトゲーゼ)、turco (トゥルコ)、indiano (インディアーノ):“嗚呼、ポルトガル人、トルコ人、インド人”:
左からそれぞれ「ポルトガル人」、「トルコ人」、「インド人」のことで、それは正式な意味としては正しい。しかし、これらの言葉は他の意味も併せ持つ。
まず、portogheseは、「無賃乗車の人または切符を買わずに劇場などに入場する人、薩摩守」を言い、"fare il portoghese"(ファーレ・イルポルトギーゼ)が、その行為をすることを指す。「無賃乗車をする」である。
turcoは、次のように使って、「とても沢山タバコを吸う人のこと」をいう。"fumare come un turco" フマーレ・コメウンツルコ)。トルコでは一時タバコが禁止されたが、解除になった後に、一斉に吸うトルコ人を見たイタリア人がそう呼び始めたという。
indianoは、次のように使う。”fare l'indiano"(ファーレ・リンディアーノ)。意味は「知らないフリをする」である。これは何故か?indianoは多分、アメリカインディアンのことのようだ。アメリカに上陸したヨーロッパからの移民は彼らと話が通じない。「分かっていても、知らないフリをした」と思ったのかもしれない。
真実は明快ではないが、特にfare il portogheseなどは、失礼な話だと国から文句が出そうな表現でもある。また、次にあげる表現も失礼な言い方で、イタリアでは聞くことがあるかもしれない。“marocchino”は本来モロッコ人のことだが、路上で物を売っている特にアフリカ人のことを、このようにいう。良い言葉ではないので、使うことは控えたい。
13.veneziano (ヴェネツィアーノ): “ベネチア人はケチ? 割り勘の本当の意味は?“
venezianoは、ベネチア人のことだが、「ケチ」と言う意味もある。これは、ベネチア共和国は商業国家であって、商売人が多く商売に関しては、「ケチ」を貫くことからこの表現が残った。シェークスピアの「ベニスの商人」でも、ベネチア共和国の商人が書かれているので、雰囲気は分かりますね。
同じ様に、大航海時代(15世紀から17世紀。ポルトガルのアジア進出、コロンブスのアメリカ大陸発見、英蘭の東インド会社設立などの時代)に、イギリスと海上の覇権を争ったオランダもそのような汚名を受けている。英語でgo Dutchとか treat Dutchとか言うが、それは一緒に食べても自分の分だけを払う事をいう。
日本語では、go Dutchは「割り勘(する)」と訳されているが、日本語の割り勘は頭数で平等に割るもので、これは適当な訳ではない。調べてみるとgo Dutchを「平均して払う割り勘」だと説明しているものもある。しかし、“go Dutch”は英語なので、これは英国人が、当時争っていた(英蘭戦争)オランダ人を揶揄して言った表現のはずで決してほめ言葉ではない、と思われる。つまり、ケチな彼らはおごることは絶対なく、いつも自分が食べた物しか払わないという意味なのだろう。オランダ語では絶対言わないと思うが。
一方、イタリア語では割り勘のことを、pagare alla Romana(ローマ式に払う)という。実は、これは基本的には日本と同じく、人数で割って払うことをいうらしい。何故なら、Romanaは、人が良く仲がいいのでこういう風に払うと言う意味があるから。もしケチだからそれぞれが食べた物を払うというのなら、上述のvenezianoを使って、pagare alla venezianaというべきであるが、この表現はイタリア語にはない。
尚、日本ではベネチアンというと、ベネチアングラスとか刺繍が有名だが、それぞれMuranoとBuranoという島で生産されている。サンマルコ広場へ行くと観光客向けに水上バスがあって、Murano島へ無料だとの呼び込みがある。勿論Murano島へ連れて行ってガラス製品を買って貰おうとのビジネスである。一方Burano島はそれほど有名ではない。一度行ったことがあるが、ここで生産している刺繍(ricamo)はとても高価で、一般の観光土産店で買うなら確認が必要。一般のものより10倍ほど値段が高い。一般のものとは、中国産だそうである。
そういえば、スワトウの刺繍技術はもともとベネチアから伝えられたもので、結果的にはベネチア刺繍の委託生産先になっている。日本でもスワトウハンカチなどの名前で有名。スワトウ(汕頭)の刺繍工場にも行ったことがあるが、技術は素晴らしいもので、今ではスワトウ刺繍として有名。ハンカチでも1万円を超え、10万円を超えるものもあるが、これらは額縁に入れて飾るものの様だ。venezianaと女性形にすると、これは「ブラインド=すだれ状のカーテン」のことを言う。
14.spaghetti all’arrabbiata (アッラッビアータ):“アラビアのことではない”
この言葉はご存知の方も多いだろう。大変辛いスパゲッティのことである。しかし、このアラビアータというのを中近東のアラビアの事だと思っている人がいるようだ。all’arrabbiataというのは香辛料を効かせた、「辛い」という意味だから、どうもアラビア方面は辛いものを食べそうだからとのイメージらしい。このスペルをご覧になれば分るように、Arabiaではなく、arrabbiataとrもbもダブっている。この言葉は、怒るという言葉の過去分詞形で、「怒った」、「怒濤天を突いた」というくらい、辛いのだと言う意味で使われている。この言葉を使って、「私は怒った」は、Mi sono arrabbiato(a). と言う(語尾のaは女性用語)。なお、Arabiaは勿論「アラビア」のことだが、国としてはArabia Saudita「サウジアラビア」という。Sauditaとは、「イブンサウド王朝の」という意味らしい。サウジアラビア人の場合は、Sauditaという。単にarabo と言った場合は、アラブ人、アラブ民族を指す。ちなみに、araboはアルファベットを使う民族には難解で、「わけのわからない言葉」の意味でも使われる。英語ではGreek(ギリシア語)というが、イタリア語ではaraboである。
15.colpo della strega (コルポ・デッラ・ストレーガ):“魔女の一撃とは?”
stregaは「魔女」のことである。魔女というのは、女性の魔法使いのことで、昔魔女狩りという恐ろしい歴史がヨーロッパにあったが、これをcaccia delle stregheという。一方、男の方は日本語で「魔男」とは言わないで、魔法使いという。こっちの方は、イタリア語ではmagoという。Mago di Ozは、「オズの魔法使い」のこと。magoは手品師や奇術師のことも指す。magoの女性形のmagaが使われることもある。覚えておいて役に立つのは、colpo della strega。 直訳すれば、魔女の一撃だがこの意味は、「ぎっくり腰」である。魔女の一撃を食らったくらいに凄まじいということだろうか。
尚、colpo「一撃」を使った熟語としては、colpo di stato (=クーデター *ちなみにクーデターの読みは、colpo di statoのフランス語である“coup d’Ètat”)、colpo de calore (=熱中症)などがある。
16.tiramisu (ティラミ・スー):“アクセントにも注意して読むと成程となる”
これはご存知のかたも多いお菓子の名前ですが、“Tira-mi-sù!”という文章から来ている。最後のsùにアクセントをおかないと意味が伝わらない。tirareは引っ張る、miは私を、そしてsùは上へである。つまり、tiraはtirareの命令形ゆえ、私を上へ引っ張れ!となる。そういう意味で使っても良いのだが、このお菓子の名前の意味は勿論違います。失恋をした女性が、「私を元気づけて、誰か!」と、こう言っている場面を想像しておいたほうがよい。つまり、tiramisùは、「誰か私を元気にしてくれる人がいないかな、どうか誘って」という、誘いの菓子言葉なのですよ。アクセントは、最後のスーにありますから、「~してー」という感じかな。Tirarci sù (ティーラチ・スー)なら、勿論「私たちを(=ci)元気にして~」という意味になります。
第二章 面白い響きのイタリア語
響きが面白いと思うか、それとも発音しにくいなと思うかは、人それぞれだと思いますが、イタリア語には日本人から見て面白い単語がいくつかある。
17.accappatoio (アッカッパトイオ): ”イタリアでのTPO“
面白い響きのイタリア語としては、かなりいい線を行っているのではないだろうか。これはバスローブの意味です。cappaという単語は、外套とかケープの意味があります。イタリアでプールへ行くときに絶対必要なものがあって、それは、このaccappatoioと水泳帽(cuffia)です。cuffia がないと、ジム内のプールや公共のプールには入れてもらえません。これは無論衛生上の問題だと思います。一方accappatoioは別になくてもいいし、バスタオルで十分だと思います。こちらは絶対に必要というわけではありませんが、イタリア人は子供も含め殆ど全員といっていいほど、これをもってプールへ行きます。どうもプールにはプール着(水着ではなく、プールへ行く時に着る服)というものがあるらしい。このように場所によって、そこに適したものを着る(はく)つまりTPOというのは、日本にもかつてあったかと思うが、イタリアにはそういう習慣が確実に残っている。
18.acciaio (アッチャイオ):“「鋼鉄」の持つ意味は?”
鋼鉄(英語でsteel)の事を言う。ヨーロッパでは鉄は強固なイメージを与えることに良く使われる。鉄の女(サッチャーさん)や、鋼鉄の人と呼ばれた独裁者スターリンなどがあるが、第二次世界大戦時のイタリアとドイツの同盟も“Patto d’acciaio(鋼鉄同盟)”と呼ばれた。同盟の堅固さを表したものだが、果たして実態はどうだったろうか。
イタリア語にはaccで始まる単語が多いが、これは名詞の動詞形やcから始まる動詞の変化形に多い。例えば、accadereはcadere(落ちる、倒れる)の変化形で、「起こる」「生じる」の意。accarezzare「愛撫する」、はcarezza「愛撫」の動詞。accasare「結婚させる」、「所帯を持たせる」は、casa「家」の動詞形である。
さて、acciaioに戻って、 Patto d'acciaio (伊独同盟=鋼鉄同盟)を振り返ってみましょう。当時イタリアは、「王国」でした。Vittorio Emmanuele3世の時代で、王室はFascisto政権とはうまくやって行こうとしていたらしい。しかし、ベルギー王室から王子Umberto2世に嫁いで来たMaria Jose del Belgioという王女は、ナチスに反対しており、ナチスと組んだファシスト政権にも反対だったようです。Maria Joseはイタリアでは「5月の女王」というあだ名で知られています。それは、Umberto2世が王位を継承してすぐに国民投票がありました。その結果王政が廃止され、イタリアは共和国になったために、Umberto2世の在位期間はわずかしかなく、それが5月だったからです。この後、国王のUmberto2世と女王のMaria Joseは国外追放となり、帰国が許されたのは1987年になってからでした。Maria Joseは写真で見る限りとても美しく、そして常に庶民側に立っていたということで、国民に人気があったようです。
イタリアの前の戦争の話になると長くなるが、恐らく多くの日本人が勘違いしているのは、イタリアがどういう戦いをしたかということです。当時は侵略戦争の時代でしたから、当初イタリアはドイツと同盟を結び(patto d’acciaio)、エチオピアまでも奪おうとしましたが、短期的な勝利を除いて、植民地獲得には殆ど成功していません。そして、国内に反ファシスト勢力が台頭した後は、イタリア国内では対ファシスト、対ナチスとの戦いが中心でした。ミラノは連合軍の大爆撃を受け、がれきの山になりましたが、これはアメリカ軍がイタリアに進駐しているナチス軍を叩こうとした為です。イタリア国内での戦いは、連合軍がシチリアに上陸した後北上を始め、それに抗戦するファシストとナチス軍との戦いで、連合軍には多くのパルチザンと呼ばれるイタリア人が加勢しました。実は、イタリアは太平洋戦争終結直前に、日本に宣戦布告さえしているのです。
戦争が終わった後、イタリアは連合軍に入れてくれと頼んだという逸話もありますが、本当かどうか分かりません。私がイタリアにいる間に、日本人駐在員のご婦人方が、イタリアの老人ホームの慰問で、クリスマスの時期に、ベートベン第九の歌をドイツ語で歌ったところ、不評だったと聞きました。
日本人は日独伊三国同盟で、イタリアもドイツも同盟国だと思っている節がありますが、戦争では多くのイタリア人がドイツ人に殺されています。戦争を経験したお年寄りにはドイツに対する反感を持っている人もいたんですね。ただ勿論当時のイタリア人にはファシストを支持していた人も多くいた訳で、一概にドイツに反感を持っていたとは言うことは出来ないでしょう。日独伊3国軍事同盟はいろいろ複雑な経緯を辿っています。
19.angolo (アンゴロ):“サッカーで「アンゴロ」と言えば、コーナーキックだが”
角、コーナーの意味である。読み方は「アンゴロ」と、aの上にアクセントがある。そのせいで、日本語のようにも聞こえる。calcio d’angoloといえば、コーナーキックのこと。cornerを使って、calcio di corner(カルチョディ・コルネル)とも言う。ただ単に、angolo とかcornerと言っても、コーナーキックを指すことが出来る。angolo mortoといえば、直訳そのまま「死角」となる。勿論この場合の英語は、corner(角、場所)ではなく、angle(角度)がそれに当たる。つまり、angoloは「場所」「角の場所」とともに「角度」をも表す。日本語で「あらゆる角度から見て」という場合の角度は、「視点」「考え方」という意味だろうが、そういう意味はangoloにはなさそうだ。イタリア語では、guardare in ogni angolo=あらゆる場所を見る、a ogni angolo=すべての場所、のように場所を示す意味はあるが、「見解」や「考え」の視点を表す意味はないようだ。
さて、英語でshotgun marriage という言葉をご存じだろうか。これは、所謂「できちゃった結婚」のことを言う。これをアメリカ人から聞いたときに、shotgunを突き付けられて結婚せざるを得ない状況での結婚だと聞いて、さすがに銃の規制が緩いアメリカだと思ったものだが、イタリア語では、matrimonio in corner(コーナー際に追い詰められた結婚)という。
同じような表現で、salvarsi in corner はサッカー用語で、コーナーキックに逃れることをいう(ゴール近くで相手に攻められているときに、ボールをゴールラインの外に出してシュートを逃れること)。しかし、matrimonio in cornerは逃れられない。ついでに、matrimonio di convenienzaは「政略結婚」、またmatrimonio riparatore(償い婚)は、「できちゃった婚」と同じだが、一般にはin cornerのほうが使われる。日本語の「できちゃった婚」というのは、可愛いのかどうか、ダイレクト過ぎて味がない気もするが。
20.asso (アッソ)とacca (アッカ):“日本語的な「アッソ」「アッカ」”
assoはトランプのエースつまり、1の事を指します。第一人者、名人、達人という意味がある。essere un asso di~は、「~の第一人者(名人)である」という意味になる。また、大体どんなトランプゲームでも“2”はあまり重要ではありません。ゲームの変形ルールで2がエースよりも強いとした例もありますが、基本的には2は最も弱いとされます。Briscolaというゲームは、Scopaと同様にポピュラーなカードゲームですが(carteの項参照)、valer come il due di briscola(またはcoppe)「ブリスコラまたはコッペの2の価値がある」(コッペとはトランプの4つの模様のひとつでグラスのこと)は、「何の役にも立たない」、「ものの数でない」という意味です。一方、3はbriscolaでは、強いカードとされています。従い、asso di briscola(Briscolaの1)、 tredicoppe(coppeの3)、settebello(belloの7)などは良いもの、強いものを指す時に使われる言葉です。尚一般の(日本で使われている)トランプの事はイタリア語では、carte francesiと言います。
似ている単語にaccaがあります。accaとはHのことです。Hはイタリア語では発音されないため、un'accaと言えば「何もない」の意味。例えば、Quello non vale un'acca.「それは何の価値もない」。Non capisco un’acca. 「何のことやらさっぱりわからない」という意味です。