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イタリア語  単語の話(8)

読んで楽しいイタリア語の話
単語で覚えるイタリア語

第六章 ちょっと注意このイタリア語
イタリア事情を理解するまでは、単語の本来の意味が解りにくいことがあります。また、単語には俗語(スラング)として別の意味が隠されていることもあります。
71.arredato (アッレダート)、vuoto (ヴオート):“アパートを探す時には”
この二つの意味は、それぞれ「家具つきの」、「家具なしの」、の意味です。イタリアでアパートを探す場合は、先ずはこのどちらから選びます。arredatoは、家具だけでなく時には「キッチンセット、寝具セット一切付き」のホテルのようなところもあります。一方vuotoの方も、色々あります。本当にvuoto(空っぽ)の場合は、トイレも風呂も、流しもレンジも何にもありません。壁も塗っただけで壁紙もなし。これは、借りる人が自分の好みでつけられるようにということですが、賃貸のアパートでさえ、個人の志向を尊重するからでしょうか。
あるイタリア人の日本でのアパート探しの感想で、「何でもお仕着せのユニット製品が多い」と書いていましたが、これはコスト志向と個性志向のことを言っているのでしょうね。イタリアに最初住んだときは、間接照明がどうも暗くて抵抗がありましたが、慣れてくると煌々と明るくする蛍光灯よりも、電球をうまく使った間接照明の雰囲気効果も良いと思いましたね。ただ、コストを考えるとどうかと思いますが。結局コストを優先するなら、個性を捨てざるを得ないような気がします。コスト志向と言う点では日本人は進んでいるかもしれませんが、長く続いている文化的遺産は決してコスト志向からは生まれていませんから、文化の点からは再考が必要なのかも。
costoはイタリア語でのそのままです。また、arredatoの原型はarredare(アレダーレ)ですが、読み方が面白いと言った人がいました。面白いかも!
 
72.buffone (ブッフォーネ):“悪口の数は無限”
RigolettoというVerdiのオペラの第一幕で、Mantova公爵がRigoletto(主人公であるが、実は道化役者)を指して、”Buffone!"と叫ぶ場面があります。「道化役者め!」という悪口で言っているのでしょうが、相手は、まさにその道化役者ですけれどね。
buffoneは勿論、buffo「おかしな、コミックな」に拡大を意味する接尾語-oneをつけたものです。しかし、この言葉は悪口としてよく使われます。長く政権を維持していた首相が辞めました。辞任会見のあと、彼に対して色々な言葉が飛んでいます。その中に、“buffone!”というのがありました。この場合は「道化者!」というよりも、単なる悪口というところでしょうね。
道化師には、pagliaccio(パリアッチョ)というイタリア語もあり、これも「道化師」というオペラで有名ですが、やはりこの言葉も、悪口として使われます。Idiota!「ばか!」などはダイレクトな強い悪口ですが、buffone, pagliaccioは、そこまではっきりとは言っていないという感じでしょうか。
悪口として良くつかわれる言葉に、vergogna! があります。英語ではShame!と言いますが、「恥」です。勿論、人に対して投げつけられた場合は、「恥さらし!」という、大変きつい言葉になります。サッカー選手が、決定的なゴールを外したり、代表選手が負けて海外から帰国したりした時に、この言葉は容赦なく浴びせられています。皆さんは使わない方が無難ですよ。
 
73.dottore (ドットーレ):“イタリアでは大学を出れば皆ドクター”
肩書きの話をしよう。イタリアでは肩書は重要だ。~さま(さん)の敬称は、signore(女性はsignoraまたはsignorina)だが、大学を出るとdottore(女性はdottoressa)になり、dottore(またはdottoressa)と呼ばねばならない。間違って、Signore! と呼びかけると、いいえ私はdottoreだと訂正されることもある。法学博士ならavvocatoと呼ぶ(別項)。direttoreはかなり広範囲な地位を表します。部長、所長、局長、取締役、オーケストラの指揮者、映画などの監督、スポーツの監督、指導者、編集長など。小さい会社なら社長かも知れません。
また、「社長」はdirettore generaleと呼ぶのが普通です。presidenteも使いますが、この場合は会長のことがあります。consigliereも取締役の意味ですから、consigliere delegatoと言えば、代表取締役に当たります。また、amminisitratoreも管理者の意味で、経営者を指すことがあります。amminisratore delegatoは、これも代表取締役の意味です。ある会社を訪問して、偉そうな人と名刺を交換したら、ある人はdirettore generale, ある人はmanaging directorと英語表記、ある人はpresidenteとの肩書きで、一体誰が一番偉い人なのかさっぱり分からない事がありました。また、一つの会社で、二人からpresidenteの名刺をもらったこともあります。この二人の場合は、日本語で言うところの、1人が社長で、もう一人が会長に当たると聞きましたが、はてさて大変分かりにくいことでした。皆さんも経験がありますか?
 
74.dura (ドゥーラ):“女性形で使う形容詞”
La vita è dura.(人生はつらいね)というのは、私がイタリアで最初にお世話になったアパート(というよりも下宿)のおばさんがいつも言っていた言葉。La vita è bella.は、映画「ビューティフルライフ」のイタリア語題名。La vita è duraといいながら、bella vitaを送っているのがイタリア人である。duroが勿論この形容詞の原型だが、敢えてduraとしたのは、この形容詞の特殊性の為。動詞の不定詞は、そのまま「~すること」という名詞で使う事が出来るが、殆どの場合その名詞は男性形になる。例えば、È vietato fumare.「禁煙」。Imparare le lingue straniere è necessario.「外国語を学ぶことは必要なこと」のようになります。しかし、duroの時だけは、どういうわけか女性形になります。È dura alzarsi presto.「早く起きるのはつらい」È stata dura convincerla ad andare da sola.「彼女を1人で行くように説得するのは大変だった」。なぜかは良く分からないが、最初に挙げたLa vita 当たりのイメージがあるんじゃないかと(勝手に)思っている。
また、belloという言葉も特に意味もなく、良く出てくる。訳に困るが、ほとんどの場合、美しいとか素晴らしいとかを日本語訳の中に入れることは、考えない方が良いかも知れない。多少そういうニュアンスがあるだけ。Che fai di bello?「何か(面白いことでも)あるかい?」Una bella mattina, è venuta a casa mia.「ある朝=特に天気が良いとかは関係ない=彼女は私の家へやってきた」Ha detto bel no.「彼は絶対いやだと言った」。
 
75.socio (ソーチョ) とmembro (メンブロ) :”メンバーは体の一部のメンバー“
socioというのはsocio-(社会の)という意味の言葉のそれそのままだが、「会員」や「パートナー」のことをいう。sociale が「社会の、社会的な、ソーシャル」、societàが「会社」を意味する言葉である。クラブのメンバーのことも、socioを使う。
それでは、英語のmemberからの発想でmembro と言う言葉は何なのか?これは、国会のメンバーと言う意味で「国会議員」など名誉的な会員にのみ使用される言葉であり、普段のゴルフやテニスクラブのメンバーなどでは使わない。membroは他に「四肢、手足」の意味があり、これから派生して医学の専門用語で「陰茎」を意味するので、使わない方が無難である。
 
76.venire (ヴェニーレ):““Vengo”とは言わないで、“Arrivo”という訳”
andare とvenire、そしてarrivareの違いについて説明する。andare が「行く」、そしてvenireは「来る」。しかし、相手のところへ「行く」時にはvenireを使う。これは、英語のgoとcomeと同じです。そして、arrivareは「着く、到達する」が、「来る」という意味で使う時がある。
皆さんはイタリアのレストランやBarで、従業員(cameriere)を呼ぶと、返事は“Arrivo!”と返って来るのに気づきましたか?。まず“Vengo!”とは言いませんね。さて、何故でしょう?イタリア人と話をしていて、「彼は今向かって来ているよ」を“Sta venendo.”と私がいうと、“Sta arrivando.”「来ているのか」とarrivareを使って言い返されます。こういう場合は、arrivareを使うのかなと思ったりしますが、これはvenireが間違っているのではなく、敢えてvenireを使わない事に気づきました。
実はvenireというのは、「(性的)感激の極限の(=estasiエクスタシー)状態に達する」という意味があるんです(俗語で)。これは、しかも通常一人称でしか使いません。このために、一般にはこのVengoという言葉は避けているようです。そういえば、英語でも確か、venireの方の英語(coming)を使いますね。日本語はどういう訳か、andareの方を使うことになっています。良く考えると、日本語ではarrivareの方も使っているようです。ということは、言葉が間違っているのではなく、ある特殊な状況で使う言葉は、意識して避けられているものがある、ということも日常会話としては、知っておく必要がありました。放送用語ではvenireは使わないそうです。以上放送禁止用語でした。
 
第七章 接頭辞・接尾辞がついた言葉
漢字の偏と同じような役目を持つものが接頭辞、接尾辞です。
77.antifurto (アンティフルト):“antiは日本語と同じくアンティと読む。「対抗」の意味”
意味は「盗難防止の」(形容詞)または、「盗難防止装置」。一般には、車に付けるものをこう呼ぶ。今では日本でも結構車の盗難防止策があるようだが、イタリアでは盗難が多いのかこの装置は当たり前である。ドアを開けようとすると警報が鳴るもの、車が揺れるだけで警報が鳴るもの、ハンドルをしっかり固定するものなど種類は豊富だ。駐車しているところの地盤が緩いと、そばを車が通るだけでピーピー警報が鳴る。車の盗難には会ったことはないが、車上荒らしには何度かやられた。イタリアで車には6年ほど乗っていたが、最初の2年の間に3回被害にあった。2回は窓ガラスを割られ、1回は、ガラスは割られなかったが、ラジオを始め荷台に乗せていたものがきれいになくなっていた。手口は未だに分からないが。そのあと注意するようになった(基本的に路上駐車を辞めた)。そのお陰かどうか、その後4年間は被害に遭わずにすんだ。
イタリアは特に南へ行くと車の盗難が多いので、レンタカー会社で車を借りる時に行き先を南だと言うと料金が高くなる(保険代)か、貸してくれないところもあると聞いた。特に、ベンツなどの高級車は絶対に借りられないとも。確かに盗難が多いなとは思ったし、一般にそう思われているかと思う。しかし、少し弁護すると(弁護になるかどうか)、イタリアで6年間に自転車は一台も盗まれたことがないが、イタリアから日本に帰って来て、1年ほどの間に、我が家では自転車を3台盗まれてしまった。家の前の駐輪場に止めていたのに。だから、あまりイタリアのことは言えない。
1980年頃だったと思うが、知り合いのオーストラリア人を日本で車にて案内し、道路に駐車した時に、鍵を掛けないで行こうとしたら、そのご婦人がびっくりして、なぜ鍵を掛けないのかと聞かれた。当時車に鍵を掛けない訳ではなかったが、今のようにオートロックも無かった時代で、ちょっとだけの駐車では鍵を掛けなかったかもしれない。まだ日本が安全だった時代なのだろう。
1985年頃ニュージーランドのオークランドである人に食事に誘われた。時間にその家へ行くと、誰もいないが、家に鍵も掛かっていない。中に入って待っていたら、彼らが食事を持って帰って来た。鍵は殆ど掛けないらしい。オークランドの湾が見渡せる、とても景色が良い所だったが、その時に「日本は世界で一番安全だ」と言うのが、井の中の蛙、我田引水の言葉だと気づいた。
いずれにしろ、盗み(furto)は、こういった窃盗だけでなく、あらゆる形で世の中では行われているようだ。
イタリアで良く聞くanti-という言葉に、antinebbia もある。これもイタリア北部では必需品。フォグランプの事。形容詞では、「霧対抗の」となる。 antifurtoもantinebbiaも形容詞の場合は変化しないと、習った方もいると思うが。
 
78.binario (ビナーリオ):“プラットホームも線路も単語は同じ、bi―は「2つ」の意味“
イタリアで列車旅行をしたことがある方なら、何となく目にしたか耳にしたことがあるのがこの言葉。駅でのアナウンスです。”Il treno regionale 2603 delle ore 11:15 per Firenze è in partenza dal binario 19”.(11時15分発フィレンツィエ行きは19番線から出発します) Il treno Intercity 2901 delle ore 11:25 proveniente da Ancona è in arrivo al binario 17.(インターシティ2901号、アンコーナ発列車は17番線に到着します). Attenzione, allontanarsi dalla linea gialla. ”こんなアナウンスを聞いたことがあるでしょう。binarioはプラットフォームのことです。最後のは「黄色い線の内側までお下がりください」という言葉ですが、イタリアでも日本と同じことを言っています。
さて、bi-は「ふたつ」という意味ですね。bicicletta「二輪車=自転車」、binocolo「双眼鏡」、biennale「2年ごとの祭典」などが知られています。binarioには、線路と言う意味があります。つまり2つレールがあって、線路=binarioというわけです。また、binarioはもともと、2進(2進法の数字)のことです。1と0を並べた数字です。レールのことは、rotaiaといいます。鉄道は ferrovia(=鉄+道)と呼びます。では、モノレールは? これは、monorotaiaと呼びます。
次のようなアナウンスもご紹介しておきましょう。遅延のアナウンス annncio ritardo del treno: Il treno frecciarossa 9012 di Treniitalia delle ore 1715 proveniente da Torino Portanuova arriverà con 50 minuti di ritardo per attesa materiale corrispondente. Ci scusiamo per disagio.(ご迷惑をお詫びします)
次のアナウンスは困りますね annucio cancellazione treno(運行停止のご連絡): Il treno regionale previsto in partenza delle ore 10:05 oggi non sarà effettuato.(10時5分発のローカル列車は、今日は運行停止です)
 
79.Decamerone (デカメローネ):“decaは「10」、meroneは「日」”
Giovanni Boccaccio作のデカメロンである。decaは10の意味で、meroneはギリシア語の「日」から来ている。つまり、本来「10日」という意味で、日本語では「10日物語」とも訳されている。decaはdecade(10日、または10年、英語も同じ)、decalogo(モーゼの十戒、英語ではdecalogue)、decathlon(十種競技)などに使われる。
さて、decameroneはその名前の有名さに拘わらず、内容はあまり知られていない。これは、10人の男女が夫々10個の話をするという、千一夜物語のようなお話で、イタリアの最大の詩人DanteのDivina Commedia「神曲」の影響を多く受けていると言われる一方、「神曲」が神の道を説いたのに対し、Decameroneは人間を描いたものとして対比されることもあるようだ。実際に、Decameroneは教会からは神への冒涜と叫ばれていた。
Firenzeの駅の名前は、Santa Maria della Novellaとも言われるが、それはすぐそばにその名を冠した教会があるからである。そして、この「10日物語はこの教会で知り合った高貴な人々が、のちにFiesoleに集まって話をしたのをまとめたもの、との設定になっている。Fiesoleは、Firenzeからバスで30分くらいのところにある、小高い丘であり、昔から金持ちの別荘地として知られる。今でも、有名デザイナーの大きな館があることでも知られる。Decameroneが書かれた時代背景は、peste(ペスト)が大流行して毎日多くの人が亡くなっていた時で、pesteへの感染を恐れた上流階級の人々がFiesoleに避難してこういう話をしているところを、Boccaccioが書いた。次にFirenzeへ行くのが楽しくなるのではないだろうか?
80.furbone (フルボーネ)、salone (サローネ)、padrone (パドローネ):“~オーネは「大きい」”
イタリア語には~オーネで終わる言葉がよく見られます。イタリア語には接尾辞というものがあって、イメージとして大きい、可愛い、小さい、汚いなどという意味を伴います。そして、この-oneは大きい事を意味します。
最初のfurboneはfurbo(ずるい人)を、「大変ずるい奴」だと大げさに表現する時に使います。saloneは「大きい部屋」(sala=部屋)の意味。日本語でサロンというのはフランス語ですが、saloneから来ていますから普通の部屋よりは大きい部屋のことを言いますね。padroneは大きい父親(padre=父親)ですが、この場合は「家主とか地主、主人、飼い主、経営者、親方、支配者など」を表します。
buffo(ブッフォ)というと、喜劇役者や喜劇の(形容詞)の意味ですが、buffone(ブッフォーネ)というと、道化師です。オペラが好きな人なら、リゴレットのマントバ公爵が、この言葉を使う場面を思い出されるかも知れません。
他にもgambero(ガンベロ)は海老ですが、車海老のことをgamberone(ガンベローネ)と言いますから、この言葉を聞くと妙に日本的に響いて、「ん、頑張らなくちゃ」と思ってしまいます。
「大きい」の反対で「小さい」や「可愛い」ことを表す接尾辞はーino(イーノ)をつけます。signora(シニョーラ=奥さん)に-inoをつけた形がsignorina(シニョリーナ=お嬢さん)だと言ったら分り易いでしょう。前述のpadreに-inoをつけると、これはpadrino(パドリーノ)となり、「名づけ親」の意味になります。これは、イタリア語の「ゴッドファーザー」のことで、同映画のイタリア語のタイトルは勿論「il padrino」(ilは冠詞)です。ちなみに、gattoは「ネコ」ですが、fare il gattone(大きなネコをする(になる))の意味 は「とぼける」となります。
 
 

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