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イタリア語 単語の話(3)

読んで楽しいイタリア語の話
単語で覚えるイタリア語

21.attaccapanni (アッタッカパンニ): “あったかいパン?”
音の響きが面白いと思うイタリア語の中でもかなり上位に位置すると思うものがこれ。attaccapanni(アッタッカパンニ)です。これは、コート掛けや帽子掛けのこと。日本では最近はあまりお目にかからないので使うことがあまり無いかも知れないが、イタリアでは事務所の入り口、レストランの入り口またはコーナーなどで見かけることが出来ます。attaccare が掛けるとか結ぶとか言う意味で、panniは衣服のことだから衣服掛けと言う意味の合成語です。この言葉を聞くと何となくホッとする。アッタッカの響きが「暖かい」の響きで聞こえるからだろう。
attaccabottoniというのは、「おしゃべりな人=chiaccheroni」、または人と話すのが好きな人(自分から知らない人に話しかける人)のことを言う。attaccare un bottoneは「ボタンをつける」という意味だが、“attaccare un bottone a +人“だと、「長話で人をうんざりさせる」という意味になることから。また、attaccabottoniの別の意味としては、「女性にすぐ声を掛ける男性」のこともいう。うんざりするということでしょうかね。attaccareのもう一つの意味は 「アタックする」ですから、こちらの意味もあるかも知れません。
 
22.birichino (ビリキーノ):“イタリア版与太郎君”
いかにもそれらしい名前である。 birichinoとは腕白小僧のこと。成績も悪いがいたずらが好きでと言う感じが言葉に出ているではありませんか。なにせ「ビリ」の キーノですから。いたずらとか悪ふざけという意味では、birichinataという名詞もある。
イタリアの小話でよく使われる子供の名前が Pierino(ピエリーノ)。これは、ビリキーノの代名詞として使われる。日本語でいうなら、悪戯っ子、悪童、落語の小話なら「与太郎」というところか。
Pierino va a scuola.(ピエリーノが学校へ行きました。そして、、、)と言う風に小話が始まる。”Scusi, signora" dice Pierino a una donna che incontra per strada, "potrebbe darmi 10 euro? Devo raggiungere i miei genitori”, “Oh, poverino! E dove sono i tuoi genitori?” “Al cinema.”(「すみませんが10ユーロほど私に頂けませんでしょうか?」とピエリーノが道でご婦人に尋ねる。「私は両親のところに行かねばならないのです」「まあ、可愛そうに!あなたのご両親はどこにいるのですか?」ピエリーノが答える。「映画館の中なんです」)とこのような話に与太郎ならぬ、ピエリーノが出てくるのです。私の好きな小話をひとつ。「先生がピエリーノに言いました。“ピエリーノ、今日は授業中にお喋りが過ぎたぞ。明日お母さんと一緒にここに来なさい!」「先生、解りました。でもね、ママは僕よりもお喋りだよ!」
 
23.boccia (ボッチャ): “ぼっちゃる、ボッチャーン”
意味は知らなくても分る言葉というものがある。これなどはまさにそうだろう。ボッチャ。車の衝突のことをいう。本来言葉というものはそういう状況、情景が活字化したのではないかと思うのがこの言葉。言葉のニュアンスからではあまり強く当てたという感じではないが、とにかくぶつかったらbocciaである。「ボッチャッた」なんて日本語でもそのまま使えそうな感じがするではないか。
イタリアにはBOCCEというボーリングのような遊びがあり、bocciare(動詞)は自分の玉を相手の玉にあてると言う意味から、車の衝突を意味する。またbocciareには「試験に落とす」という意味もあり、bocciatoと過去分詞にすると「試験に落ちた」と言う意味でもある。ボッチャート「=試験に落ちた」、これもなんとなく、そんな気がするから言葉は不思議だ。
 
24.bottarga (ボッタルガ):“無理に買わされそうな高級食品”
なんだかぼったくられそうだが、これは「カラスミ」の意味。カラスミとは、ボラなどの卵巣を塩漬けし、天日干しで乾燥させたものをいう。珍味で結構高いので、日本ではあまり目にしたことがなかったが、台湾で沢山見かけてから少し気にするようになった。イタリアでも、高級品だが製造されており、spaghetti alla bottargaとして食することが出来る。イタリアで有名な産地は、サルディニア島のOristanoというとてもきれいな漁港である。Bottaというと、「殴打」「打撲」の意味になるので、bottargaがなんだか、殴られてぼったくられるような言葉にも聞こえてしまう。
Spaghetti al nero di seppiaと言うと、これはイカ墨のスパゲッティである。イカ墨とカラスミは間違えないように。尚、築地の場外市場でも、カラスミを沢山売っているのを見かけたことがある。みたところ、明太子と大して変らないので、間違えそうだが、こちらはスケソウダラの卵巣だそうだ。そして、明太子はイタリア語では、mentaikoと日本語そのままで、mentaiko piccante が辛子明太子となる。
 
25.ciabatta (チャバッタ):“スリッパにも色々”
履物について、分類してみよう。ciabattaは、パンの名前として有名なようだが、本来は「スリッパ」という意味である。パンの名前になったのは、パンをスライスした形がスリッパの形(というより、足裏の形)をしているからに他ならない。ciabatte は通常、土足のスリッパ、草履やサンダル(カカトが平べったいもの、ビーチサンダルなども含む)の意味で使います。
室内履きの方は、pantofole(パントーフォレ(複))という。pantofoleは通常は足先の部分がおおわれている形状のいわゆるスリッパだが、特に形は決まっておらず、靴の形をしたものも室内履きならpantofoleと呼ぶこともある。
zoccoloは木靴のことである。この言葉は、馬など動物のひづめのことも言う。サンダルに木(コルクなど)を使ってあれば、それもzoccoloと呼ぶ。
また、sandalo(sandali)という言葉もある。これは、普通のサンダル(踵があるもの)のことを言うのだが、ciabatteと特に境界があるわけでなく、人によってciabatteと呼んだり、sandaliと呼んだりしている。またciabattaは、ぼろ靴のことも指すこともあり、sandaliよりは、一般的には安っぽい印象である。ファッション的なものは、どちらかと言えば sandali と呼ばれる。
stivaliは長靴。勿論、長靴はイタリアのことでもある(Stivaleという)。Stivaliという単語をよく見ると、Italiaという文字が隠れているが、何か関係があると思うのは、考えすぎだろうか?たしかにanagramma(アナグラム)としては成立していない。
 
26.dondolare (ドンドラーレ):“「ドンドロ」は揺れ動くこと”
愉快な響きのイタリア語を追加しよう。ドンドラーレは、「揺り動かす」の意味である。この揺れ方は、ロッキングチェアや大波の揺れ方で、dondolaと言えば、ロッキングチェアのことを指す。これに対し、地震の揺れはscuotereという動詞を使う。この名詞形はscossaというが、dondolo(dondolareの名詞形)の方が可愛い揺れである。また、dondolaはブランコの意味でも使う。ブランコは正式には、altalenaというが、一般にはdondolaと呼んでいる。似た言葉にgondola(ゴンドーラ)がある。これは、ベニスにあるゴンドラのことで、こちらには動詞形はなさそうだ。尚、ブランコとは何語だろうと思うが、これはポルトガル語のバランソから来ているらしい。balancoと書いて、バランソと読むそうだが、どういう訳か日本ではブランコとなったそうだ。Padreがバテレンになったくらいだから、あまり驚きはしないが。また、すべり台のことは、scivoloと言う。これも勿論scivolare(滑る)という動詞から来ている。
 
27.mancia (マンチャ):“ラマンチャの男とは関係がない、マンチャ”
マンチャとはチップのこと。イタリアのバールには、客が払うチップは従業員共通のものになっていて、個人個人で懐に入れないところもある。そういったバールの中にチップを置くと、店主が大きな声で「MANCIA!」と叫び、籠の中に入れていた。そうすると従業員全員が自分にも分け前があると思って喜んでくれる。なかなかいいシステムだと思った。ドンキホーテのことを、ラマンチャの男というが、これは地名で関係はなさそうだ。尚、manciaは manica(袖)から来た言葉であるが、日本語でもいう袖の下と同じような語源なのだろうか。似ている単語には、mancino がある。これは、左利きという意味。私の彼は左利き、は、“Il mio ragazzo è mancino.”
28.ninnananna (ニンナナンナ):“ニンナナンナで夢の世界へ”
なんという優しい響きの言葉だろう。そう、それもそのはずこれは、子守唄のことを言います。nannaは幼児語で「おねんね」のことをいう。ninnaも同じような意味だ。従いそうすると、ネンネネンネと言っているようなもので、なんとよく似ている。日本で使われている言葉に、non-no(雑誌の名前)があるが、あれはnonnoと書いたら、おじいちゃんの意味になる。ちなみに、おばあちゃんは、nonnaで、nannaによく似ている。
少し脱線するが、VerdiのオペラにTurandotというのがある。この中の有名なアリアに“Nessun dorma!”「誰も寝てはならぬ!」がある。このアリアのタイトルは、三人称単数形の「命令形」というとても珍しい使い方をしている。つまり、命令形というのは、普通は2人称に使う。イタリア語で三人称を使うのは、2人称に対する敬語である。しかし、このようにnessuno という代名詞を使って、3人称(誰)に命令出来るのだ。さて、ninnanannaがなんとなく、みんなねんな(皆寝なさい)に似ていると思うのは私だけ?
 
29.omaggio (オマッジョ):“もらってうれしいオマッジョ”
無料提供のこと。商品の付録などでつけられるもののことも言う。もともと敬意とか、敬意をこめた挨拶、また贈与とかいう意味。似た言葉にomaccioがあるが、これはuomo(男)の蔑称で大柄な男、大柄な女のことを指す場合もある。スペイン語にマッチョという言葉があるが、これに相当するものがイタリア語のomaccioのようだが、少し意味合いは違うようだ。スペイン語の方は、筋肉隆々の意識過剰の男性のことをいう(意識過剰かどうかは知らないが)。
 
30.ombelico (オンベリーコ):“世界の中心はイタリア”
これもユーモラスな響きがある言葉である。意味は「臍(へそ)」。ombelico del mondo は「世界の臍」という意味になるが、この文句は西洋世界では良く聞く。そもそも世界の臍というのは、ギリシア神話に基づく言葉だそうだ。ゼウス神がDelfiを世界の中心と定め、そこをギリシア語で世界の臍と名付けた。しかしローマ帝国時代もこの臍と言う言葉を使っている。ローマの遺跡に“Umbilicus Urbis Romae”と記されたところがある。これはラテン語でローマの臍であるが、当時のローマが世界の代名詞であった事から言えば、この言葉は世界の臍を意味する。
イタリアではombelico del mondoの名前を使った団体や施設を見かける。イタリアが、いや自分の町が世界の臍だと信じて疑わない人もいる。Ombelico del mondo はJovanottiと言う歌手によって歌にも歌われ大変ヒットしたので、イタリア人ならこの言葉は知っている。歌詞はこんな感じだ。「ヘイ、これが世界の臍だ。そこではちょっと変った顔をした可愛い娘に出会う。無邪気で、真っ黒な肌をして、ダイヤモンドのようなエメラルド色の目をしている。千年紀のような、エキゾチックは顔をした、そうこれが世界の臍だ。僕達はここでもう踊っている。オンベリーコデルモンド!」。映画「ライフイズビューティフル」は勿論イタリア映画だが、主人公のGuidoが小学校でイタリア人の優秀さを示す場面で、このombelicoが出てくるのを思い出す方もいらっしゃることだろう。

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