舌が求めた原始
かつて地球と呼ばれた場所に住んでいた我らが祖先
その祖先達はある病によって絶滅の危機に陥った
その病はストレス
人間関係、住居、衣服、仕事、食事、恋愛、政治、病気
これらの要因での過度のストレスにより、人類の寿命は大幅に激減し、次の子孫も残せなくなった
そこで祖先達は学習し、進化を続けるAI搭載の宇宙船エデンを作り、そこに冷凍した遺体と肉体の一部を乗せた
エデンでクローン人間を作り、新たな環境で完全な人間を作ろうとしている
それは100年経った今でも進化をつづけ、私はその一員としてここで過ごしている
全てのストレスから解放された社会を
その目標のために、私たちはエデンの管理の元生活している
決まった時間に目を覚ますとすぐに体調の審査と身体の洗浄が始まる
清潔な身体の状態を守るため、私たちは体調に合わせて1日のスケジュールが決まる
今日の私のバイタルが測られ、健康であると判断が下る
体にストレスを与える衣服も、妊娠出産もストレスになるため性別のないクローンの私達には制欲の元となる性器もない
なので同じく衣服を身につけていない仲間を見ても何も思わない
必要ないからだ
毛髪や体毛は必要ない清潔な空間のため、生えたこともない
全身や口腔内の洗浄が終われば食事の時間
咀嚼による歯の不調や、歯並びの不備などのスロレスを避けるため、1日分の栄養を補填出来る無味無臭の液体スープが出される
このスープは熱さや冷たさのストレスから避けるため程よい温度で提供される
食への執着はストレスのもと
暴飲暴食も粗末な食事も多大なストレスの原因となる
かと言って満腹も健康に悪い
腹部に流れていくスープは程よく沁みる
それからは簡単な体操と適性に合わせた仕事
適度な運動と労働はストレスを溜めないために
そのスケジュールをこなしたあとは自由時間
部屋で静かに過ごすもよし、先祖達が記録した映画や書籍、音楽を楽しむもよし他人とのおしゃべりを楽しむもよし
各々が好きに過ごす
談話室に行けばすでに何人の仲間が過ごしていた
スクリーンには祖先が創作した映画が流れている
今日の上映は恋愛映画だそうで
騒音が漏れないようにイヤホンをつけた仲間が観ていた
そのうちの2人の仲間の様子がおかしいことに気づいた
2人は寄り添いピッタリとくっついている
パーソナルスペースが取られていない
ストレスの原因にならないのだろうかと思っていたら
「彼らは愛し合っているんだ」
仲間の中でも優秀と言われるEK3KRKRが話しかけてきた
「珍しいね。あなたが話しかけてくるなんて」
同じ顔のEK3KRKRが隣に座る
「パーソナルスペースを守ってくれないかな?私のストレス値が上がるから」
EK3KRKRから離れるが、EK3KRKRは構わず近づく
「彼らの姿を見てどう思う?」
「うん?映画を観てる。面白いならあとで部屋に取り寄せてみようと思う」
「他には?」
「パーソナルスペースの近さかな?あれだとストレス値が上がりそう」
人間には他者に近づいてほしくないパーソナルスペースというものが存在する
なのに彼らはあんなに寄り添って
唇まで押し当てて
「彼らは愛を知ったんだ。素晴らしいよ」
そういうEK03KRKRの頬が赤くなっていた
気づけば何人かも頬を赤らめていく
「私も君とあんな風になりたいと思っている」
微笑むEK3KRKRは自室に戻った
EK3KRKRの仕草が気になった私は図書館に行き、パソコンを開き、質問事項を打ち込む
すぐにエデンが反応し、必要な書類を集めてくれた
それは恋というものに関する書籍
「あなたの権限ではここまでです。これ以上はストレス値に影響を及ぼし、健康に被害をもたらします」
エデンの警告を受け取り、書籍を開いた
男女の恋の成り立ちや、求愛行動。恋における心理の変化などなど
寄り添う恋人同士の画像はあの2人のようで
EK3KRKRが求めたのはこういうことだと知る
私は本を閉じ、自室に戻った
恋人同士のキス
唾液は除菌作用があるものの、他人の唾液と混ざるということは雑菌の繁殖や、病気の媒介にもつながる危険な行為である
医療の知識にもあった
まさかあの優秀なEK3KRKRともあろうものが知らないわけではないだろう
少なくとも私は仲間内でその様なことがしたいとは思わない
優秀な人間のからかいに過ぎなかったのだ
このような人間は仲間同士との生活を乱す行為であり、エデンに報告義務はある
しかし、ストレス軽減のための遊びであると判断されればストレス対策のための運動が追加され、サプリが与えられるのみだ
そもそもこの様な考え事もストレスが溜まり、体には良くないと言われている
私は思考することをやめ、他の興味に移った
人類が長年研究したという味についてだ
舌が感じる原始の本能
美味しいというだけでなく、時に苦味、辛味などの刺激物をも口にし、そのストレスを溜めていった人類
逆に辛味や苦味などでストレスを軽減したともいう矛盾も生じている
禁忌と言われる過剰な甘みや脂質の摂取
それによる健康被害
それでも尚祖先達は美味を求めたという
そう言えば先程の2人の行為
キスや恋といったものにも味が存在するといっていた
エデンでは味覚というものは原初の罪であり、滅亡寸前においやった罪でもあるという
欲望が争いを生み、戦争となり、食べ物を求め、奪い合い、時には殺し合った
そこまでの情熱と共に進化し、滅んだ
私の興味は味覚だ
恋には興味はない
翌日
いつもの仕事を終え、談話室に行くと今日はアニメを放送していた
地球にいたという動物達が生活をし、遊ぶというものだ
画像からしてエデンの作ったオリジナルなのだろう
「もしかして昨日の映画でストレス値があがあった人がいた?」
近くにいた仲間に尋ねてみると
「そうだね。昨日の2人がエデンの東に移動したよ」
若干悲しそうなEK3KRKR
「エデンの東」
それはエデンにおいて罪を犯した者がいくと言われている
「彼らのストレス値の変化が他の者にも影響を及ぼしたと」
モンターには昨日の彼らのストレス値の変化と、治療のために東棟へ行ったという旨が書かれていた
「ねえ、君。恋というものはそんなに罪なのかな?」
「それは恋は人の人生を豊かにも貧しくもさせると聞いた。時に愛が肉欲を生み、憎しみや嫉妬、それから‥」
説明する私の唇に何か柔らかいものが触れる
それがEK3KRKRの唇だということに気づくのに時間がかかった
「うん普通に柔らかい感触しかないね」
そう笑うEK3KRKR
「私達に性別は存在しない。性別というものはホルモンバランスに左右され、ストレス値が上がる原因の要素だ。だから私たちは性器を持たずに生まれた
同じ顔が増えていくだけの私達にどんな感情が生まれるというのか?
「そうかい?私には君が他の皆とは違う顔に見える。初めて出会った時から私は君だけが見たくて堪らない」
「EK3KRKR、君は精神的なカウンセリングを受けた方が良い。いや、視力検査か?」
私の真面目な答えに笑いながら
「私なら君の願いを叶えられると思ったんだ」
EK3KRKRは自らの手を私の唇に押し当てる
「私は君になら食べられても良い」
私は心臓が跳ね上がるのを感じた
と同時に意識を失った
気がつくと朝
いつものように身体チェックと洗浄の後食事が運ばれる
いつもの栄養が取れるスープ
それを口にした瞬間吐き出した
なんだこの味は?
このどろりとしたまるでそう
泥水だ
「どうしました?具合でも悪いのですか?」
すぐにナースロボットが駆けつけた
「大丈夫。それよりもこのスープ」
床に落としてしまったスープ
「なんだかおかしな味がしました。腐っているのでは?」
「エデンではAIの完全監修の元、個人に合わせた栄養素を合わせて無菌状態で作られたスープです。鮮度、提供された時間ともに問題ありません」
同時に新しいスープが与えられる
今度はいつもの無味無臭のスープ
口に入れても違和感はない
「あなたは疲れているのでしょう。今日はゆっくりとお休みなさい」
エデンのチェックが入り、私は休息を取った
一体何故だろう?
味のないスープは生まれた時から口にしていたもの
他に求める味などなかったのに
歯応えを
弾力を
口いっぱいに広がる臭みを味わいたいと思ってしまった
「やあ、具合はどう?」
ベッドで休んでいるとEK3KRKRが訪ねてきた
「これお土産」
白い箱に包まれた何か
「え?怪我してる?」
EK3KRKRの腹部には包帯
「ああ、大したことないよ。刃物を使った作業中にちょっとね」
優秀な人類には危険な刃物を使った作業も割り当てられとは聞いたが
「エデンから心配されたけど作業には支障はないから」
そういってEK3KRKRは退室した
お土産からには良い香り
生まれて初めての鼻への刺激
これが匂い
トップクラスの人類にしか物の匂いは与えられないというがEK3KRKRには気侵されているのだろう
包みを開けると赤い塊
その塊に鳴らないはずのお腹が鳴る
涎が溢れる
その匂いに興奮する
下腹部が疼く
心音が上がる
きっと血圧も上がっているだろう
心地よい体の不調んい導かれるままにソレを口に含んだ
「美味しい」
生臭くて鉄の味もするソレは不快であったはずなのに脳が美味だと伝える
私の全身から力がみなぎる
獲物を喰らいたい
肉を喰み
血を飲み
そうだ
私は
いや
俺はそういう人間だ
俺は部屋を出て、EK3KRKRを呼ぶ
「愛してる!愛してるから」
EK3KRKRは両腕を広げ俺を受け止める
「私もあなたを愛してる。私の血肉は全てあなたのもの。さあ」
元の俺に戻りましょう
ピー
エデンより通信
新たに東棟に送られた人類が2人
いや、1人
もう1人は全部食べられた模様
離れ離れになった細胞が元に戻ろうとする行為
共食い666件目
人類の原始の罪
兄弟殺しに抗えず東棟に送られた
エデンにおけるプログラムの再度の見直し
より完璧な原初の人間『アダム』の復活のため
アダムの子供達カインとアベルを復刻させる実験
兄弟殺しがなく平和な人類に戻るために一才の欲求を封印し、ストレスなく過ごす楽園再建のため
引き続き人類の増殖教育に励むものとする
尚、エデンの東棟の増設については見送ることとする
送られたカインとアベルは共食いを繰り返し、数が減少しているためである
終わり