臨床観について⑥

以前なにかの機会に、男性相談員として女性のクライエントに会う時に心掛ける点について、尋ねられたことがあります。

私自身がクライエントに関わるとき、基本的には男性・女性と言う区分けでクライエントさんを意識する事はあまり多くありません。

前提として、いわゆる逆転移であったり、男女の性差、肉体的な機能の違い、社会的に求められるジェンダーなどはもちろん踏まえた上で、クライエントとお会いしていきます。

しかし、相談を受ける中で感じるのは、男性が好きか、女性が好きかといったセクシャリティや、社会的な性役割、また生物学的な性というものも含め、表立っては表れないものの、非常にバリエーションが豊かだということです。

それはお会いしてみて自明なものではなく、恐らくゲイであろうと思われるクライエントさんでも、セクシャリティについて語るとは限りません。また、そこに触れなければ歩み寄れない、なんてこともありません。

学生が自身のセクシャリティを自覚している時、基本的に自分自身の性に関することを打ち明けることには慎重になります。また、打ち明けた後の支援者の対応によっては、非常に大きな傷つき体験にもなりえます。無理矢理に聞き出すというのは、もっての他です。

そうしたことを考えると、そもそも男性・女性という区切りでクライエントを見るよりも、フラットな構えで臨んだほうが、学生の語りに開かれている、と私は考えます。そして、例えばパートナーがいるかという時に「彼氏(彼女)はいるか」という表現は用いないようにしたり(そもそも不用意には聞きませんが)、クライエントが語る際も相手が男女かは決めつけずに聞くようにします。

そうした姿勢というものは、言動の端々に、確実に垣間見えます。マイノリティである程、その査定については敏感です。何より、自分がどのような価値観を持っているか、クライエントの感じ方を「わからないもの」として歩み寄る自覚をすることが、重要だろうと思います。


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