二次創作で「自我が目立つ人」にイライラする理由とは?心の整理法を考える
こんにちは、ほうりです。
先日、ネットサーフィンをしていたところ、興味深い質問が飛び込んできました。
なるほどなぁと思いました。確かに二次創作において【創作者の自我】が目立つことに違和感や怒りを感じる人は少なくありません。
「原作にリスペクトが足りない」
「承認欲求が透けて見える」
という声もよく耳にします。
しかし、そもそも「自我」とは何なのでしょうか?そして、二次創作における自我の表現は本当に批判されるべきなのでしょうか?
今回は、心理学や脳科学の観点を交えながら「自我」という概念を整理し、二次創作との関係性、そして感じた怒りへの健全な向き合い方を探っていきます。
自我とは?心理学・脳科学的な解釈
まず、「自我」とは何かを心理学と脳科学の観点から説明します。
心理学的視点:自己と他者を区別するツール
心理学では、自我とは「自分自身を認識し、他者と自分を区別する意識」とされています。フロイトの精神分析では、「自我」は欲望(エス)や倫理(超自我)の間でバランスをとる役割を担っています。この視点からすると、創作者が自我を表現するのは自然なことであり、それを否定することはその人の人格や個性を否定するに等しいのです。
脳科学的視点:自我は脳の作り出す「仮想現実」
脳科学的には、自我は脳が生み出した「仮想の存在」と言われています。私たちが「自分」と認識しているものは、脳が周囲の情報をもとに構築した一種のフィクションです。この「自分」というフィクションを通じて、私たちは現実世界を認識し、他者と関わることができています。
このように、自我は単なる自己主張ではなく、人間が社会で生きていくための根本的なツールです。
もしも私たちに自我がなくなれば、それはロボットや機械と何ら変わりありません。
むしろ最近のロボットは喜怒哀楽が搭載されているので、自我がない人間はそれ以下の存在になります。
話を戻しますが二次創作における自我は、これらの機能がクリエイティブな形で発揮されている状態だと考えられます。
創作者が自分自身の視点や感情を込めることは、人間の自然な認知活動の一部であり、それを「不快」と感じるのは、むしろ受け手側の価値観や期待とのズレが原因かもしれません。
二次創作で自我を出すな論について。そのルールはどこからやってきた?
そもそも「二次創作で自我を出すな」という意見についてですが、身も蓋もない言い方をすれば、そのようなルールや法律はどこにも存在しません。
淡々と二次創作を上げていようが、その合間にプライベートの話を挟もうが、それは個々人の自由です。
いくら様々なルールによって成り立っている二次創作とはいえ、そこまで介入してしまえば、日本国憲法の第19条と第21条に明記されている「思想と言論の自由」に反することになります。
とはいえ、「創作者は作品だけを発表すべきで、個人的な話題や自己表現を避けるべきだ」という主張も痛いほど分かります。昔の私もそういう考えを持っていましたから。
しかし自分を深掘っていくと、その根っこには自分でも意識しえなかった複雑な事情が絡んでいることがあります。
自我を出すなと言いたくなる本心
「自我を出すな」という意見の背後には、実際には「自分の期待に合わない人がいることへの戸惑い」がある場合があります。
例えば、ある創作者が淡々と作品だけを投稿し、フォロワーも多い場合、多くの人はその人のプライベートな部分を自分の都合のいいように想像します。
そして、偶然にしろ必然にしろ別アカウントでその人の私生活を覗いた際に、自分のイメージと違う「キラキラした日常」を見て驚き、違和感を覚えることがあります。
✅同棲しているパートナーがいる
✅自撮りやファッションに自信を持っている
✅友人が多く、充実した日々を送っている
こうした姿を目にしたとき、「自分とは違う」と感じることで、拒否反応や疎外感を抱いてしまうことがあります。
昔の私がそうだったのですが、
「二次創作は全てに絶望した人間の最後の砦であり唯一の居場所なんだ!」「それをなんで何もかも恵まれている人間が来るんだ!」
「この強欲人間が!!地獄に堕ちろ!!」
という思いが特に強かったので、その理想像にそぐわない存在がとにかく不快でしたし、ましてやその手のタイプの人間が自分の逆カプ推しともあれば、即抹殺リスト入りでした(^_^;)
二次創作活動は最後の砦でも唯一の居場所でもない
二次創作界隈は確かに、多くの人にとって「安心できる場所」や「自己表現の場」として機能しています。
しかしそれが「現実の厳しさを忘れたい人」専用の場である必要はありません。なぜなら、創作活動は性格やライフスタイル、外見に関わらず、誰にでも開かれた自由な表現の場だからです。
いわゆる陽キャと呼ばれる人種が二次創作界隈にいることに違和感を覚えるのは、「自分と違うタイプの人間が自分の居場所にいる」という感覚から生まれるものです。
しかし、それを排除しようとするのは、自分自身の「こうあってほしい」という狭い期待を他者に押し付ける行為になりかねません。
自我を出す創作者へのモヤモヤはどこから来る?
また、「自我を出すな」という意見には、しばしば「自分は自由に自我を表現できない」という思いが影響しています。例えば、「自分も本当は自撮りを載せたり、日常を語りたいけど、それをしたら批判されそうだからできない」といった葛藤が心の奥にあることがあります。
また、心理学的には、自分が抱える不満や劣等感を他者に投影することもあります。他者の行動に対して強い批判や嫌悪感を抱く場合、それが自分自身の内面の問題を映し出している可能性があるのです。
そういった気持ちを抱き続けて苦しい方は、以下の問いを自分に投げかけてみてください。
❓なぜ自我を出す創作者に腹が立つのか?
❓自分がそのように行動できない理由は何か?
❓「自我を出さない」というルールは本当に必要か?
このように自分の感情を深掘りしていくと、他者への怒りが実は自分の内面的な葛藤から来ていることに気付けるかもしれません。
怒りやモヤモヤは自然な感情:感じてもいい理由
とは言っても、他者の自我表現に対して怒りやモヤモヤを感じることは、決して悪いことではありません。むしろそれは人間として自然な感情です。
哲学者や心理学者たち、果てはお釈迦様も、「怒りや恨みは感じて当然」と主張しています。
これらの感情は、身体が老廃物を排出するように、感じたら外に出す必要があるのです。
問題なのは、それを押さえつけて放置するからどんどん苦しくなったりしんどくなったりするのです。
なのでここでは効果的な自我を出す人に対して抱いた怒りの感じ方と処理の仕方について触れていきます。
感情に蓋をしない
怒りやモヤモヤを押し込めてしまうと、無意識のうちにストレスが蓄積され、自分自身を苦しめる原因になります。
「自分はこんな感情を抱いてはいけない」
「他人に同意を求めないと自分の気持ちが間違っているのでは」と考えるのは、感情に蓋をしている状態です。
怒りを味わい尽くす
感じた怒りやモヤモヤは、否定せずにしっかり味わいましょう。
「自分は今、こういう理由で腹が立っているんだ」と認識することで、感情のエネルギーが自然と解消に向かいます。
怒りを健全に発散する方法
感情を感じたら、次はそれを建設的に発散するステップです。以下の方法を試してみてください。
✅ネガティブダストピンを活用する
頭の中にあるモヤモヤした思考をすべて紙に書き出し、その紙を破いたり捨てたりすることで気持ちを整理します。
私は逆カプに対する怒りや恨みを支離滅裂罵詈雑言にまみれた言葉でA4のコピー用紙を1日50枚ほど使い、ひたすら吐き出し続けて心の平穏を手に入れました。
今でもたまに収まらない怒りがあれば紙に糸目をつけずに書き出し続けているのでかなりお勧めです。
✅体を動かす
大声を出して叫ぶ、カラオケで爆音で歌う、サンドバッグを叩く、掃除や料理に没頭するなど、体を使った行動で怒りのエネルギーを外に出しましょう。
✅プロに話を聞いてもらう
感情を言語化して吐き出すことも効果的です。心理カウンセラーやChatGPTなど、話を聞いてくれる「プロ」に頼るのも一つの手段です。
まとめ:自我と創作、多様性を楽しむ視点を
二次創作における自我の表現は、創作の本質であり、そこに自分自身を重ねることは何ら悪いことではありません。
他者の自我表現に怒りや違和感を覚えることも自然なことですが、その感情を通じて自分の内面を見つめ直すチャンスにしてみてはいかがでしょうか。
あなたの感情も表現も自由であり、その自由を大切にして創作活動を楽しんで欲しいと切に願います。
それでもSNSなどでの自我アピールが鼻についてイライラして仕方がない、しんどいという方は以下のサービスのご利用を検討してみて下さい。
また、ツイッターも最近開始しました。
一日一回、二次創作で行き詰まりを感じている人に向けて、どうすればその悩みを緩められるかのヒントを発信していますので、興味のある方はこちらもチェックしてみて下さい。
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ではまた!