僕が彼らに密かに誓ったこと
高校生の時、たしかセンター試験の現代文の過去問で村上春樹の『国境の南、太陽の西』の一部を読みました。
それがすごく印象的で、後に文庫で買って読みました。その日のうちで一気に読んで、読了後しばらく胸が痛かったのを覚えています。
グサグサ刺さるセリフがたくさんあったんですね。
今、その本はもう売ってしまっているので(もう一度買い戻したいくらいですが)、メモ帳に残していた台詞だけ取り上げて僕の感じたことを語ろうと思います。
ざっくりあらすじだけを述べてしまうと単に主人公の行動はクズな男なのですが、思慮深く孤独感の漂う主人公の内面の動きが面白いんですね。書評サイトを見るに、女性からは嫌なやつだという声が多いようです。なんだか最近流行りの『香水』って曲の扱いと似てますね。
まあ、あらすじはさておき。
この小説のキーとなる登場人物が島本さんという女性なのですが、彼女の台詞がグッときてメモに残しています。
「結局、私はあなたに会いに行くべきじゃなかったのね。それは最初から私にもわかっていたのよ。こうなるだろうことは、予想できたのよ。でも私にはどうしても我慢することができなかった。どうしてもあなたの姿を見たかったし、あなたを前にしたら声をかけないわけにはいかなかった。ねえ、ハジメくん、それが私なのよ。私は、そうするつもりもないのに、最後はいつも何もかもをだいなしにしてしまうのよ」
『国旗の南、太陽の西』
僕は小学校の高学年くらいの頃から、まさにこの太字にした部分のようなことをずっと悩んでいました。今でも時々考えます。
私は、そうするつもりもないのに、最後はいつも何もかもをだいなしにしてしまう
そんな気がしていたのです。自分が傷つけてしまったかもしれない人たちのことを、いつも考えていました。
お前は生まれてくるはずじゃなかった
という父の言葉も呪縛になってもいたのかと思います。
そこにいてはいけないのではないか、という感覚がどこにいても在ったように思います。
だけれど、それはあまりに寂しいことで、どうしても、友人や優しくしてくれる人たちに情けないほどにすがってしまっていました。その状態をいつかは抜け出さなくてはと思いながら。
高校の時周りにいたのは、優しく受け入れてくれる人たちばかりでした。自分にはもったいないと思うような素敵な人たちばかりでした。特に生物同好会のメンバー。
彼らは何より、待つことのできる人たちでした。僕が何度も打ちのめされて廃人のようになっても、急にハイになって夢を語って振り回しても、彼らは僕に向き合ってくれました。僕の話を何度も、何時間でも真剣に聞いてくれました。
だから僕は、彼らのことが大好きでたまらないのです。何が在っても優先しようとすら思っています。全幅の信頼を置いているのです。
彼らの温かさに支えられ、何百日もかかって、ようやく僕は自分はいてもいいんだと確信できたように思います。彼らのためにも、自分を大切にしようと思えるようにもなりました。彼らを傷つけることも多々ありながら、ようやく精神が安定するようになったのです。
僕はいつ頃からか、彼らのように人を信じて待てる人になろうと密かに誓いました。自分が大切にしようと直覚した人については、どこまでも信じて待てる相手であろうと願ったのです。
今、20歳になって、自分が大学の友人の相談に乗る側に回ることもあります。こんな僕に悩みを打ち明けてくれる人もいるのです。腹の底から、ありがたいことです。
彼らのように在ろうと、新たに出会った大切な人たちに接していますが、まだまだ彼らの足元にも及ばないなと感じているところです。
また彼らとみんな揃って会える日が待ち遠しい限りです。
最後までお読みいただきありがとうございました。