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知らないと問題が起きるが、知るともっと大変な問題が起きてしまいそうなこと

正確に言えば、まったく知られていないと問題が起きるが、中途半端に知られると余計に大変な問題が起きそうなこと。

たとえば、遺伝と環境の話。

下の記事によると、「子ども自身にどうしようもない要因で、学業成績の80~90%が説明されてしまう」。中でも、遺伝の割合が思いのほか大きい。

学業成績だけではなく、どんな能力にもたまたま出くわす環境と同じくらい遺伝の影響がある。

「およそどんな能力やパーソナリティ、社会性、精神病理などの心理的特徴について遺伝と環境の影響を求めても、たいてい30%から60%の遺伝率が算出される」という。

つまり、努力できるかを左右しそうな「堅実性」といったパーソナリティーにも遺伝の影響があるってこと。

行動遺伝学の知見によると、(成人後の)知能の遺伝率が70%以上であるのに対して、堅実性などのパーソナリティの遺伝率は50%前後とされているそう。

まあでも、逆にいえば、努力できるかを握る堅実性の遺伝率が50%なら、その人の自己コントロール力は後天的に伸ばせるってことでしょ?

これは正しく、思春期を過ぎると教育によって知能を伸ばすのは難しくなるが、自己コントロール力の半分は環境の影響で、それを鍛えるのはいくつになっても可能と示されている。

しかし、問題はまだまだ根深い。

意志のちからで欲望を抑えようとすると、勉強や練習の成果が落ちてしまうというのだ。理由は、「意志力をふりしぼることで脳のリソースを使い果たしてしまうから」。

さらに悲しいことに、貧困家庭に育った若者が高い自己コントロール力を使って成功したとしても、さまざまな病気を発症し老化が早まるとの研究まで出ている。

つまり、無理すればハンディキャップは乗り越えられるかもしれないが、心身への代償はめちゃめちゃでかいということ。

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上の話をまとめると。

1.本人にはどうにもならない要因による成果の違いはかなり大きい
2.ハンディキャップは乗り越えられるかもしれないが、心身への代償はめちゃめちゃでかい

ということになる。

この問題(というかパラドックスというか)を世間の人が知らないとどんな問題が起きるのだろう?

第一に、できる人が過剰に賞賛され、できない人が過剰に虐げられる問題が起きる。

この問題は、ハーバード大学のマイケル・サンデル教授が一冊の本を丸々費やして論じている。

タイトルは、ズバリ『実力も運のうち 能力主義は正義か?』。

できない人は、学校でも塾でも親からも、サークルでも会社でも配偶者からも「できないのはおまえのせいだ。努力不足だ、勉強の工夫が足りない、やる気がない。だから成績が伸びないのだ」と責任を自分に押しつけられてしまう。不条理な苦痛を背負うことになっちゃう。

たとえ周りにとやかく言われなくても、「僕ができないのは、努力が足りないからだ。やろうと思えば何歳からでも、誰にでもできるはずなのに…。どうしてこんなに変われないんだろう」と自分で自分を責めることになる。

反対に、できる人は「自分の地位・財産は自分の努力がゆえに手に入れたものだ」と確信し、驕る。できない人を「できるのにやってない人たち」として見下してしまう。

でも、さっき見たようにできるかできないかはかなりの程度運(遺伝とたまたま出くわした環境)によるものだから、これは差別と言っていい。

第二の問題は、たまたまできない人を教育することになった人への軽蔑が生まれる問題

第一の問題と似ているが、できない子を抱えた親は周りに無能のレッテルを貼られる。つまり、「ちゃんと教育できないのはお前のせいだ」という圧力にさらされるわけだ。

そのせいでストレスが溜まり、子供に当たり散らしてしまうといった連鎖反応が起きたりする。

これについては『どうしても頑張れない人たち』で詳しい対処法とともに触れられている。


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では、逆にこの問題が世間の人に広く知れ渡るとどんな問題が起きるだろう?

一応はじめに断っておくと、世間に広く知れ渡るときには細部をすっ飛ばされ、極端に拡大解釈されてしまう(「努力しても無駄」とか、「頑張らせるのはかわいそう」とか)と想定してみる。

そうすると、ここまでの文章を読んですでに打ちのめされた人もいるかもしれないけど、そのように「希望を奪われて頑張れない問題」が起きてしまうと思うんだ。これが1つ目。(2つ目まである)

目の前にあんまりやりたくないタスクがあったとする。それで、ちょっとでも「できないかも」と感じたとしよう。

この人が次に考えるのは「私にはどうせやってもできないから(サボろう)」ってことになりやしないか。

あなたが教育者(子育てする親か先生)だったとしよう。目の前で子どもが何度も同じ問題につまずくとする。この子にこれをやらせるのは、不条理なことなのかも。そう思うかもしれない。

これによって、子どもに挑戦させること、期待することをやめるとどうなるか。教師に期待された生徒たちの方が成績が伸びるみたいな環境要因まで潰してしまうことになる。誰にも期待されずに、今できない自分を信じ続けるなんて難しいよね。

同じようなことがいろんな場で起こりそうだ。

あなたが貧しい人のパトロンになろうとするとき、会社で採用担当として面接を行うとき、上司として部下に接するとき、あまりに早く相手のことを諦めてしまうかもしれない。

大昔から誰が何度言おうと上手く浸透しないことからもわかるように、バランスを取ることは難しいんだよね。

(ちなみに、友人が僕らに与える影響は遺伝と並んで大きい。たとえば、ある人のメンタルの弱さを決めるのは、遺伝と友人関係がほとんど半々なんだって。逆に性格に関して、遺伝以外の親の影響はどれもたった数%なんだ)

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2つ目の問題は「頑張る理由がなくなる問題」

それなりに頑張って成功したとしても、周りには「スッゲェ運が良かったんすね」としか言われないとして、それでも頑張れるだろうか。

現実問題として、経済的に成功している人たちの中で「自分の地位・財産は自分の努力がゆえに手に入れたものだ」と固く信じている人たちの割合は高い。

だから彼らは、「君たちもこうすれば成功できる」と言いたがる。そういう本をたくさん出版するし、そういうことを教えるYouTubeやnoteを始めたがる。(僕はそういう人のライターである)

でも、それを見聞きして同じように成功する人なんてほとんどいない。少しの人にわずかなヒントを与えたり、遅かれ早かれ自分から行動する人の背中を一押ししたりするだけ。

この事実を彼らだってよく知っている。しかし、「成功の半分以上が運のせいだからだ」とは考えない。「俺の教えを行動に移せばいいのに、言い訳して移さなかったからだ」と結論づけちゃうんだよね。おもしろいことに。

要するに、彼らにとってそれくらい「自分の成果は(ほぼすべて)自分の努力によって手に入れた」という信念が大事なんだ。

たぶんそれが頑張る理由になっているし、仕事のために犠牲にした時間や体や人間関係の供養になっている。

社会全体として見ても、多くの人が「自分の人生は自分でどうにかできる」「努力次第で成り上がれる」と信じている方が上手く回りそうだよね。世界一それを信じている人の多いアメリカがトップに君臨しているわけだし。

だから、僕はそういった信念を悪いとか無駄だとは思えません。むしろ、上手く信じさせれば、みんなで幸せに暮らせそうだと考えています。

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あまりまとまりがありませんが、今日はこの辺で。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。


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久高 諒也(Kudaka Ryoya)|対話で情熱を引き出すライター
サポートいただいたお金は、僕自身を作家に育てるため(書籍の購入・新しいことを体験する事など)に使わせていただきます。より良い作品を生み出すことでお返しして参ります。