ルーツに想いを馳せたら誰だってやさしくなれる気がした
両親、祖父母、祖父母の両親、祖父母の祖父母…
みなさんはどこまで自分のルーツとなる人たちの歴史を知っているでしょうか?
僕は祖父母止まりです。先祖のことを全然知らない。
家族に聞いたこともあるのですが、僕の両親も祖父母も知らないと言ってました。
だからまあ想像でしかないわけではありますが、それでも先祖に想いを馳せることはできます。時代背景くらいはざっくり地元史や日本史で知っていますしね。
なんで急に先祖のことを考えているのかと言いますと、こんな問いを投げかけられたからです。
あなたが先祖から受け取ったものはなんですか?
正確にはその前に「あなたのご先祖様はどんな人たちですか?ご先祖様の印象的な一場面を想像してください」と言われました。
そういうワークなのです。
先ほど述べたとおり、僕は先祖のことを全然知らないので本当に想像だけで200年くらい前の先祖の一人の様子を想像しました。
先祖のことを想像すると、線香の香りを思い出します。
イメージの中では仏壇がタイムスリップの引き金のようです。
1820年頃、場所は琉球。
ご先祖様は、農民…。たぶん。身長は僕より低い。色黒な沖縄男性の顔。歳は40歳くらい。
当時は薩摩支配下ではあったようですが、思ってるより厳しい世界ではなさそうです。
もともと、農業国ではなく、大きな川もないので、
灌漑も難しく、旱魃、台風に事欠かない琉球では、
真面目に農業するより、海に出て魚を取る方が、
遥かに効率がいいと考えて、役人の目を盗んでは、
野良仕事を放り出して、一日、海に出ている農民が多くいました。
元より地割制で畑の私有が出来ないのも大きいですが・・
こうして、年貢のノルマを達成できないと、
真っ先に叱責されるのは、耕作筆者という役人と、
その手足である世持ち人という平民出身の人でした。
だからと言って厳しく監督すると村人に恨まれ、
田地奉行が村を巡回する時に、わざと家を締めきって
出迎えに出ないというサボタージュをして、
耕作筆者や世持ち人に逆襲する村もありましたから、
農民は、何でもお上の言う事はホイホイ聞く
というわけでもなく、なだめたりすかしたり、お役人も大変だったのです。
引用元:https://okireki.muragon.com/entry/144.html
僕の先祖(男性)も農作業は時々やる程度で、海に行っては魚を取ったり、近所の人と駄弁ったり、役人と仲良くなって食べ物を分けてもらったりしていました。今と違って治療のしようのない病気や飢饉の心配はあったかもしれませんし、今より密な人間関係に苦労することもあったでしょうが、基本歌って踊って駄弁って楽しく暮らしています。
僕が浮かべたワンシーンは、このご先祖様を含む10名くらいの家族・親戚、近所の人が焚き火を囲んで語らい、歌い、踊っている様子。楽しそうですが、琉球の言葉なので何を言ってるかはわかりません。
どうやら年に何度かこんな宴会を開いている様子。
僕のご先祖様は、人との繋がりを育むのが楽しく、面白がって新しい繋がりを受け入れ、どんどん輪を広げていくような人だったようです。
さて。
そんなご先祖から僕が受け取ってたものは何でしょうか?
それは、遺伝子もそうですが、一番は”イチャリバチョーデー”の心ではないかと思います。
イチャリバチョーデーとは
沖縄の「黄金言葉」(クガニクトゥバ)、すなわち、人の道を指し示し良き事柄へと誘う、沖縄の先人たちの深い洞察と知恵に基づいて語られた数々の格言のひとつにこの言葉があります。
イチャリバチョーデー ヌーフィダティヌアガ
「行逢ば 兄弟、何 隔てぃぬ あが」
(行き逢えば兄弟、何の隔てがあろうか。)
たとえ見ず知らずの人であったとしても、縁あって知り合い親しくなれば、兄弟のようなもの。そこには何の隔てもありませんという意味です。
この世の中、社会というものはみんなが助け合ってこそ成り立つものであり、みんなが仲良くなっていかなければやっていけません。
ですから、出逢いがあったら、その人を自分の兄弟のように受け入れて大切につき合いなさいという教えです。
僕の祖母はこれを僕にしつこく教えてくれましたし、母も同様でした。でしたというか、今も言われます。
沖縄に帰るたび、祖母は「すぐに役立つとは思えないかもしれない。自分は一人でも生きていけるさと思えるかもしれない。それでも、出会う人出会う人を大切にしなさい。先に与えなさい」(もっと沖縄の方言を交えつつ言います)とその時だけ真剣な表情で伝えてくれます。
それで、先祖も大事にしていたことなんだろうと想像しました。
いつもは緩みきった表情の僕の先祖たち。しかし、次の世代にこの言葉を伝える時だけは真剣な顔をする。「イチャリバチョーデー ヌーフィダティヌアガ」。
さもありなんです。
もっと想像すると…複雑…
面白かったので、一人の先祖だけでなくもう少し想像を広げてみました。
沖縄戦を乗り越えた祖父、曽祖父母。
沖縄に芋が伝わる前の、飢饉ばかりの時代を乗り越えてきた先祖たち。
遥か昔、中国か本土から島に渡ってきた先祖たち。
当時は陸続きか?何を思って遠くまでやってきたんだろう?
その胸に去来するのは希望だったのか、絶望だったのか。
先祖だってたくさんいますから、光る人ばかりではなかったでしょう。夢に破れ自殺した人もいれば、復讐心に心を支配され生きてきた人もいて、中には人を殺した人もいるだろうし、たくさんの人を悲しませた人もいるはず。
それでも、彼ら彼女らがいて僕がいるわけです。
僕がすべての人を許せる人でありたいと時々まじめに悩むのは、
僕が許せないような性質の人だって自分のルーツの中に一人や二人必ずいると思っているからなのかもしれません。
「我が先祖に罪人(怠け者、飲んだくれ、ろくでなし)なし!」と言い切れる人なんてたぶんいませんよね。
・・・・。
感想
リラックスできる環境で、たっぷり時間を取り、本当かどうかはともかく自らのルーツに空想を広げ、壮大な時の流れに思いを馳せる。
こんな贅沢な、豊かな時間の使い方があるだろうかというのが率直な感想です。最高のワークでした。
想像をたくましくするほど、先祖たちの顔や暮らしが解像度の高い映像として生き生きしてくるほど、腹の底からパワーがみなぎってくる。不思議な体験でした。
僕は今、ご先祖の彼ら彼女らが生きたかった50年後、100年後、1000年後の世界を生きています。そういう今の中で、悩み、遊び、学び、愛しながら僕も未来の土壌となっている。
そう思うだけで、なんだか見える世界が変わってきますよね。
すべてが愛おしい。
この気持ちが日常の中でずっと続くとも思えませんが、忙しくなっても時々は時間をとって思い出したいものです。
祖母の家で仏壇に手を合わせることが引き金になるかもしれませんね。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。