「断れない。頼めない。誰かの期待に応えることに疲れた」を考察する
学生さんから「本当は嫌なんだけど断れない」という相談をよく受けます。
それと同じくらい「人を誘えない/人に頼れない」という相談も受けます。
相談してくれるのは、たいてい物腰柔らかな“いい人”で、他人からの期待に応えるのをがんばり続けてきた人が多いです。
もうパンクしそうでどうにかしたいというのが相談内容になります。
人によっては、もうパンクしてバイト先やサークルに何の連絡もせず、ぷつりと音信不通にしてから相談に来ます。
断れない/頼れないから、本当に大事にしたいことに回す時間やエネルギーがない。嫌々やる、不快に耐えるみたいな時間が多く、だんだん感覚が麻痺して自分の好きなことや何がしたいかがわからなくなってきた。
こうした状態が深刻化しすぎて、表情が全然動かなくなった社会人の方も見かけます。
というわけで、今日は「断れない/誘えない」について考察してみます。
僕的には、この2つの問題はコインの裏表の話で、実際に両方抱えている人が多い印象です。
<問題の根っこにある世界観>
断れない/誘えないのはなぜか?
当事者に理由を説明してもらうと、「嫌われたくない(二度と誘われなくなる)」「迷惑をかけたくない」「ひどいやつだと思われたくない」といった言葉が出てきます。ニュアンス的には、強い不安、そうなったらもう自分はおしまいだくらいの感じでそう伝えてくれます。
これらを一言で言うなら、「誰かの期待に応えられないことが死ぬほど恐い」となるでしょう。
その恐怖の根っこには「自分の存在価値は他者からの評価で決まる」という世界観が横たわっています。
僕はその世界観こそが問題の根幹だと思っているのですが、要するに成績や、親・友人・恋人など周囲の反応が自分の存在していい証拠を示してくれると感覚的に信じているんですね。
もちろん、他者からの評価は大事です。恋人や親友に嫌われたと思ったら不安にもなります。が、冷静に考えれば、それで自分には価値がないと結論するのはおかしな話です。
他人がどう思うかなんて、気まぐれです。友人の嫌な反応も、たまたま腹が減ってたり、眠かったり、別のイライラすることがあったからの可能性もあります。合わなかっただけかもしれません。
そんなものに自己評価を委ねるのは、他人に遠隔リモコンを渡して「私の生きる意味スイッチ、好きに押していいよ」と言うようなものです。
そんな状況では、いくらポジティブな言葉を自分に言い聞かせても、たまたま好評をもらうが続いても、全く安心できません。
リモコン自体を取り返すことでしか、この不安定さは解消できないのです。
<「私、他人に期待しないんで」>
こういう話をすると、必ず「だから、私って人に期待しないんですよね」と言う人が現れます。
「私は人に期待しない。だから傷つかない!」なんて、まるで無敵の鎧を着たような雰囲気ですけど…。
ちょ待てよ、と僕は言いたい。
それって本当に無敵なんでしょうか?
実はその鎧、けっこう薄い段ボール製じゃありませんか?
というのも、「人に期待しない」って、実際には「人の反応に怯えている」ことの裏返しだったりします。
たとえば、あなたは違うかもしれませんが、こういう人がいます。
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