時を超えて神戸で出会う

11月18日。今日の仕事は神戸医療産業都市(KBIC)にて、シアトルからの代表団の視察通訳でした!

神戸市はシアトル市と姉妹都市提携しており、すでに65年もの歴史があるようです。僕の仕事は視察の中でも、医療産業都市の中にあるスタートアップの研究開発についてのセッションでした。

神戸医療産業都市は医療のワンストップサービスができるよう、企業や病院、大学が隣接しています。その為にポートライナーで降りる人が一番多いのは、医療センター駅か神戸学院大学のキャンパス前駅でしょう。KBICで12,000人もの雇用が生まれているようです。

KBICは地元神戸っ子なのによく分かっていなかったのですが、この仕事で少し全体像が掴めて親近感が湧きました。

後半は場所を変えて、医療機器の紹介ツアーに参加し、そこで手術支援ロボットを実際に触って体験するというセッションで通訳しました。

両セッションとも、実は事前の予定には無く、当日現地入りしてからクライアントより「これやってくれる?」と(笑)。事前の資料は全く無し。しかも医療の話だから、「絶対分からない単語は出てくるので聞き返すかもしれないけど良い?」と確認し、できる限りの通訳をしました。

次の会場に移動中、代表団から「どこで英語を学んだの?」と聞かれたので神戸市外国語大学ですとフルネームで言ってみました(笑)。アピールしておかないと。そいうえば代表団の中には元知事の方もいらっしゃり、すごい人を前に通訳していたんだなと。

最後はコーディネーターの方からお土産をもらったのですが、シアトルではなくワシントンとかいてあるのか謎(笑)。何はともあれ、また神戸市の通訳ができて嬉しい!

移動中のバスでコーディネイターらしき人と一緒になり、話をしていると、この方は昔、阪神大震災の時に神戸市役所に勤めてらしたんだとか。そこでドイツ語が話せることから、神戸に応援に来ていたスイス人の通訳をしていたそうです。

僕はその頃、まだ小学校2年生でした。世代は違うけれど、神戸という場所が二人をつなげてくれました。震災で水も電気も止まって、20リットルの水を家族みんなで歩いて運んだあの日。この神戸にコーディネイターの方もいたことを知り、1995年の震災時、神戸の為に働いてくれた外国人が目の前にいることに感謝したのでした。

「当時はおにぎりが〜だったよね」とその方は笑いながらおっしゃって、僕は通訳なのに何て言っていたのか分からなかったけど、多分震災当時の食糧不足のことを思い出して言っているんじゃないかなと思いました。確かに当時は炊き出しとかおにぎりとかをもらった記憶があります。こういう単語だけでも20年以上前のことをありありと思い出せるんだから、言葉の力はすごい。

仕事後、大学で後輩に会い、数分立ち話をしていました。母校の神戸外大には語劇という伝統があって、外国語で劇をするんです。彼はそのスペイン語劇で大役を演じるので、覚える台詞がまるで一冊の本のように分厚い。毎日夜9時まで練習をしているんだとか。またコロナ禍のせいで、通常は新開地あたりに大きな会場を借りて語劇をするのに、今年は大学の小ホールでやることになった。そのことを聞いて、本当に今の大学生はかわいそうだと同情します。

と同時に、今この瞬間、僕はさっきのコーディネイターの方の側に立っていることに気づきました。こうして世代と世代は繋がっていくんだなと。何気ないキャンパスでの会話が、何年か後に思い出すと「ああ、そういえばあの後輩とはあそこで立ち話してたなぁ」と思い返す日が来る。彼にもいつか「神戸であんな先輩がいたなぁ」と思い出してくれるかもしれない。うまく言えないけど、こういう何気ない会話が自分と将来の神戸の世代を繋いでいるのかなと。

仕事も論文執筆もうまくいかない日もあって、落ち込む時もあるけれど、こうして仕事や学業を通じて神戸で異世代と繋がっていられることは、すごく幸せだと思いました。

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