端午宮さま
三田井、中川登地区にある高千穂八十八社の1つである、年大明神である、端午宮歳神が祀られている。
通称『だご宮』といわれている。
中川登地区は、桑水流、島戸、栃又の3集落をあわせた場所で、この島戸というのが、川登の発祥ともいわれている。
年大明神とは、素戔嗚命、神大市比売命(大山津見神の娘)との間に生まれたといわれ、ざっくり説明すると稲作、農業に関係の深い神様である。
春に種を撒き、夏、秋と過ぎて初冬に収穫するまでの1年で稲のことを年とも言い、大年神は農村の至る所に祀られている。
また、3人の妻と結婚し、16神の子を生み、一族で大国主命に協力し国土づくりした神様で古事記にも記されている通り、豊年を司る神である。
さて、この『だご宮』様は三田井より岩戸方面へ県道7号線を行くと左手に鳥居が見えるのだが、ちょっと高いので、岩戸方面からの方が見えやすいと思われる。
さて、『だご』とは一体なんなのか??
高千穂ではあまり見られない高千穂神社の主祭神『三毛入野命』が高千穂へ降臨された際、老人夫婦が喜び、『丸だんご』を捧げ奉ったことにより、社を建てたとの事。
この辺では『だんご』を『だご』と言う。
明治の始め廃社となるも、戦後再建され、今現在の場所に建立された。
それまでは県道下、旧高千穂線の天岩戸駅方面へ行く途中に石祠だけが残されていた。
つまりは、元宮ということになる。
それは現在も残されており、丸い『だご』が置かれてある。
真ん中の丸いものがだんごというわけである。
延宝2年の神明帳には「古よりの御神なり、この宮山東上る、西北南下するなり。縦30間あまり、横3、40間あまりの宮山なり、前に小川流る」とあり、当時の地形がイメージされるとの事である。
また、ここ中川登には大賀さんが何件か見られるが、豊後大神氏の長男で高千穂太郎こと三田井氏の流れも汲んでいるようで、最後の城主三田井親武とその弟親貞、共に滅びるが、この弟親貞の子が家臣佐藤十郎武基に伴われ、川登に逃れ仏門に入った。
その子孫ということになっている。
名も改めて、大神の『神』を今の『賀』としたものである。
名前こそ変わったが、三田井氏の流れとは非常に興味深いものである。
参考文献
甲斐畩常著 高千穂村々探訪
佐藤光俊発行 高千穂八十八社社名録