御番所をめぐって
延岡藩有馬時代に始まったという「御番所」
その中で有馬氏が設置したのは領内11カ所。
その内、高千穂郷内では高千穂で2カ所、五ヶ瀬に3カ所となる。
そもそも番所とは、警備や見張りの為に設置された番人が詰めていた施設であり、重要な地点に設けられ、通行人の荷物の検査、徴税などを行ったとされている。
高千穂は肥後、豊後との国境になる場所であるから、常に10人内外は番士として役人が務めていたという。
豊後路に対して、ここは三本松。
上岩戸の中之内にある。
以前紹介した浄光寺跡がある三ツ合にあると私はずっと勘違いしていたので、なかなか見つける事ができなかったが、登尾に住む高齢の方に教えてもらった。
その人曰く、「ワケモンは知らんじゃないかなぁ。」という事で、忘れられる可能性があるが、大分方面へ行く道に入って分かれ道の所にあって、特に難しい訳ではなかった。
通行者からの物資の移出移入に対して、口銀を徴収しており、諸口銀取上後勘定帳によると、その時代の物の動き、庶民の生活が見えるという。
例えば、米一斗で口銀5分。椎茸一斗で口3分。タバコ三升で3分。塩いわし百で1分など。
この地区は延岡よりも豊後との物の交流が深かった事がわかる。
次に肥後国と境の要所となる河内地区の夕塩集落。
熊本方面へ行くループ橋の手前を左に入った集落で、高千穂芝園の看板がある付近にあったとされている。
その近くには延岡藩より赴任中の番士のお墓、そして、家族のお墓も数基あり、庄屋日記にも名前などが確認できるそうだ。
五ヶ瀬では三カ所地区廻渕にある。
川曲集落へ行く途中にある。
そして、蔵岡道の上地区の飛瀬国。
また、桑野内地区の波帰。
しかしながらここは私はまだ見つけきれていない。
このように、ちょっと趣向を変えた廻り方も面白いと思う。
参考文献
甲斐畩常著 高千穂村々探訪
高千穂町史