城山通り付近を歩く
三田井氏48塁の1つ『淡路城』別名(花見城)
現在の高千穂高校裏の山、道の駅『高千穂』の横の山を中心に武道館、警察署付近まで城域があったとされています。
武道館付近の信号を高千穂の街の方へ下る道、通称『城山通り』を下って行くと『瀬戸口(せとぐち)』には尾羽根皇神が祀られています。
その『瀬戸口』という地名、高千穂神社の祭神『三毛入野命』が『鬼八』を追い詰めた所であると伝えられています。
また、尾羽根皇神は1858年(安政5年)に三田井の商人達が恵比須の大黒の石像として祀ったのが始まりとされているそうです。
由来の説明文の通り、三田井の街の大火災によりいくつか場所を変えながら元の場所に戻ったとされます。
さて、城山通りの途中から高校の剣道場の方へ下る道を行くとこっぱ杜社があります。
だいぶ劣化してきていますが、ここは高千穂神社建立時に残った木材で作ったとされています。
また、警察署東隣りには藩政の遺物として石垣が残されています。
日之影町の宮水役所を三田井村へということで、延岡藩の舟の尾代官所が宮水に移転し更に嘉永2年(1849年)に移そうとしましたが、反対も多くでたようです。
反対の経緯を経て、明治4年(1871)に三田井に普請が始まり、この時にはすでに石垣は築造されて、庁舎の普請が始まったものと推測されると高千穂町史にに書かれてあります。
次にまた尾羽根皇神に戻り、更にbarber『N iko niko』さんの方へ下ると石灯籠があります。
この灯篭を見てみると文字が書かれてあります。
本組庄屋村 興梠と読めるのですが、本組とは『荒立神社』付近で興梠発祥の地とも言われている集落です。
神代川もあり、水があった為、土器等も発見されており古くから生活していた形跡が残されている集落です。
荒立神社の宮司さんはここからどういう経緯か分からないが、移ったものだろうとおっしゃられています。
今回はこの地図を元にさるいて(歩いて)みました。
まだまだ知らない事を実際目にする事はよりリアルに感じられて面白いですね。
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