高千穂八十八社鞍岡編
高千穂郷八十八社を紹介していく。
五ヶ瀬町鞍岡地区には八十八社のうち2つの神社がある。
まずは、祇園神社。
創始の年代は明らかではないが、欽明朝時代と云われており、欽明天皇時代というと509年頃からの事を言い、29代天皇である。
貞観11年山城國八坂神社より素戔嗚命を勧請し祭祀し、伊邪那美命、大巳貴命、奇稲田姫命を合祀し、五穀豊穣の守護神とし現在に至る。
貞観とは859年からであり、11年なので、870年頃と思われる。
天正6年(1578)に大友宗麟の兵により焼失。宝物文献等は焼失したが、御神体は北の殿に移し、享保5年まで142年の間祭祀され、享保5年、そして更に天保6年に神殿を再建した。
大巳貴命と素戔嗚命を合祀し、旧称『祇園大明神』と云ったが、明治4年日陰神社と改める。
その後ら明治43年まで、熊野三社権現と称した後に紹介する折立神社、冠八面大明神と称した清水神社(祭神 八岐大蛇命)、浜砂妙見と称した長司神社(祭神 水波女命)の3社を合祀し、昭和10年2月に祇園神社となった。
次に同じ鞍岡地区折立にある折立神社。
道沿いにあるバス停とお大師さんのちょうど背後の山に折立城があったようだ。
道路沿いの赤い鳥居から入り、山を登っていく。
本当にあるのだろうかと不安になるが、なんとなく道ができており、そこを登っていくとこの写真の所がでてくる。
更にのぼるとだいぶ風化してしまったが、神社がある。
熊野三社権現として、伊弉諾命、伊奘冉命、速玉男神を祀っている。
祇園神社へ合祀されているが、年に一度お祭りはあるそうだ。
ちなみに速玉男神とは日本書紀にしか出てこない神で伊弉諾命と伊奘冉命が黄泉の国にて離縁を約束した際に吐き出した唾から生まれた神とされている。
さて、鞍岡の由来だが、平家の残党討伐の際に鞍岡へ訪れた椎葉村の民謡『ひえつき節』で有名な那須大八朗が馬の鞍を付けたまま霧立越を越えるのは困難だということで、この地に鞍を置き、椎葉村へ抜けたという。
そこで、鞍を置いたところを鞍置村となり、それが訛り、鞍岡村となったという説がある。
那須姓がいくつかあるが関係があるのかもしれない。
また、鞍岡城は高千穂48塁の1つで阿蘇家が鞍岡山へ戦に敗れると非難し勢力を蓄えていたケースが度々見られ、山深き鞍岡であるが、それほど高千穂の一族が支えていたのかということが分かる。
揚地区と折立地区に城跡が2つあるが、阿蘇殿屋敷がある古賀村落にあり、そのところが鞍岡山ではないかと思われる。
押方の芝原の興梠氏と関係のある伝説もあり、鞍岡地区にいくつかある興梠氏とも関わりがありそうだ。
参考文献
高千穂太平記 西川功著
日本民族発祥の地 高千穂郷八十八社名録
佐藤光俊編集
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