唵婆嶽神社について
高千穂町岩戸の土呂久地区、折原には唵婆嶽神社があります。
唵婆宮とも言うそうです。
高千穂八十八社の1つで、祖母嶽大明神の拝み所八社のうちの1つと言われています。
御祭神は豊玉姫命、日子穂穂手見命。
昔はかなり大きな宮だったそうですが、道路拡張などにより、前側は切り取った為、奥行きのない宮となっています。
昔は大変気性の荒い神様で川向かいの畑中集落を馬に乗って通るものならたちまちに蹴落とされたとの事で、村の人は恐れていたと言われています。
ある時、村人たちは石の像を二体刻んで一緒にお祀りしたところ、それからはおとなしくなったそうです。
見えずらいですが、神像になります。
昭和初期、近くに住む人がひょいと神棚をみると御神体が二体共、壁際に倒れていた。
それを起こして真ん中に置くと、神様は後ろの壁際まで動かれた。
それに驚いたが、もう一度やってみるとまた後ろへ退いた。
怖くなったが、無意識のうちにまた直したところ動かなくなったと言う。
その夜のこと、村の上の方の樫の木森の中で木挽きが板を弾く音を何人かの村人が聞いたようで、その後、いまだかつてない悲惨な出来事が起こったと言う。
この惨事を神様が事前に知らせてたのではないかという、ミステリアスな話もあるそうです。
この横には石燈籠が積み重ねられていますが、安政年間に黒葛原(つづら)鉱山主の西出幸之進が寄進したようで
黒葛原より峠を越して運んだものと伝えられています。
ちなみに、唵婆嶽神社。
姥嶽神社とも読めるが、姥嶽信仰は豊後側、大分側の信仰で高千穂側では祖母嶽大明神となっているので、大分からの何らかの関係性を感じさせられます。
また、岩戸は祖母山ではなく、古祖母山信仰であったと思われます。
祖母嶽信仰については、またいつの日か。
参考文献
※ 伝承 あまのいわと より引用
高千穂の民家 他歴史資料 小手川善次郎著