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尺間様とは

高千穂町内にいくつか尺間様がお祀りされている箇所があり、どれも険しい山の上にある。

そもそも、尺間様とは一体!?

豊後の国尺間山の研究を発表されている林尚史氏の論文を参考にした。

大分県佐伯市弥生町、尺間山に鎮座する尺間神社。

開創は諸説あり、1説は養老元年(717)。

もう1説は天正元年(1573)。

そして慶長元年(1596)。

大神惟敏が延元、興国年間(1336~1340)の中で

「朝夕仁人皆仰邪登与久邇能尺間能神能健伎御稜威乎」

と詠んでいることから、室町時代初頭には尺間山が神の山であると信仰されていたことが分かることから、少なくとも室町時代初頭以前には開創されていたことが証明できると思われる。

よって、林氏は養老説として論されている。

尺間神社の祭神は、軻遇突智神(カグツチ)、武甕槌神(タケミカツチ)、經津主神(フツヌシ)。

宝暦11年(1761)、尺間山に関する最古の文献「尺間神社由来記」を佐伯藩寺社奉行 土屋六左衛門、中根佐治馬が書いた。

その中で、「当社は養老元年6月の鎮座にして、山城国愛宕郡愛宕神の分霊を勧請す。弥治右衛門なる者が、篤く軻遇突智の神を尊信し、足を山城国愛宕郡に運び、神社に参拝するもの前後7回、一夕参籠の暁、霊夢に依り、豊後国釈魔嶽に垂る可しと神託を被り、帰国後、彼の峰に登り、松樹の金幣の懸けられているのを見る。その霊夢に感激した弥治右衛門は村民に告げ相謀り石祠を頂上に建設あい、修験者を招き入れ遷宮の式を執行する」とある。

弥治右衛門が、篤く軻遇突智神を尊信していたことから、愛宕信仰(火伏信仰)がこの地区に入ってくる以前から火神信仰が存在したという。

豊後国は鶴見岳、由布岳、九重連山、そしてその延長線上に阿蘇山もある火山国であり、噴火現象を火神の怒りと解していた。

現在でも、大分市、臼杵市、三重町等に善神王信仰(宇佐信仰と阿蘇高良信仰が合体した信仰とされている)ものが残されているという。

これは、以前書いた高千穂神社の中での門主神にあたる。

これは高千穂と宇佐と阿蘇の結びつきにも関連していることが分かるのではないだろうか??

高千穂も火の神信仰が山に囲まれた場所では自然と生まれてもおかしくはないと思う。

火の神信仰で関係性があるのは、鍛冶製錬である。

尺間山近辺には鉄片や銅環などが発見されており、鉱物資源に恵まれていた。金山彦命(鉱山神)を金毘羅神社や愛宕神社に合祀した神社が数多く存在しているという。

ちなみに土呂久地区惣見にはお堂があり、ここは金屋子神が祀られており、これは鍛冶屋に信仰される神で、土呂久は鉱山があったので、そこから来ていると思われる。

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鉱山神は豊前地方に見られる香春町にも関係しており、帰化人とされる秦氏、漆島氏、辛島氏とも関連がありそうで興味深い。

高千穂の方へ入ってきてもおかしくはない。

やはり漆島氏との関連があるのだろうか??

さて、尺間山の話に戻ると、熊野信仰が九州地方へ入ってきた。高千穂にもかなりの影響があり、熊野系の神社が今でも町内には多い。

尺間神社に残る修験道の土俗宗教とも言うべき鎮火祭を折衷した尺間ゴマというものが、尺間山中教院に伝わっているという。

陰陽道の思想と、密教を習合し、熊野修験の一形態を示したという。

以前押方地区にある愛宕将軍地蔵を書いた記録がある。

大将軍地蔵信仰は愛宕信仰として、悪霊を降伏させる荒神の姿である。

塞神としての意味があり、村々の堺、入口にあることが多く、伝染病などを防ぐ意味があったと思われる。

柳田国男氏は「シャグジ」の転訛ではないかという。

「シャグジ」とは「石の神」や「木の神」のことで、大陸系の帰化人の古信仰であるといわれる。

確かに「臼杵」や「佐伯」など、「き」がつくのも関連があるのかもしれない。

尺間という名も、この転訛ではないかとのこと。

九州には英彦山、六郷満山、求菩提山など、大陸からの帰化人によって開かれた修験山が多い。

そういった修験者が高千穂へ入ってきて、修行するにいい山を求めていたのであるからこそ、険峻な山の上に尺間様をお祀りする箇所が多いことが分かる。

まだまだ尺間信仰については分らないことだらけだが、町内で今のところ(2021年3月時点)で行った尺間様を紹介する。

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ここは、上岩戸、野ノ尻地区。

だいぶ整備されたそうで、片道15分程度と言われたものは、約半分ほどでたどり着くことができた。

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尺間様とお大師さんと、馬に乗ったのは武将であると思われる。

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野ノ尻内の地名には、「堀」「引陣の背戸」「矢の先」「上城山」等々がある。

お城があったことは定かではないらしいが、この地は、なんとなく山城跡っぽい感じがし、また見晴らしもいいので、ここはその可能性がある。

ここに来たのは秋だったが、高齢化が進み、山下に降ろすと、地元の人から聞き、なくなってしまう前に拝ませていただいた。

今現在は道上に見ることができるようになり、参拝しやすくなった。

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いつか、他の箇所も見に行きたいと思っている。

尺間信仰は防疾であり、山信仰であり、豊作の神であり、古くからの信仰として、村々を守り、また村人たちが大切にしてきたのだろうということで締めくくらせていただく。

参考文献

豊後の国尺間山の研究・・・・・林 尚史

高千穂村々探訪・・・・・甲斐畩常

伝承あまのいわと・・・・・伝承天の岩戸編さん委員会

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平井俊徳
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