山中様について
向山地区、尾峰と狩底の2集落を併せた通称『尾狩』の神社で【山中神社】があります。
昔から疱瘡の神様として遠方からの参拝者も多かったようです。
疱瘡(ホウソウ)とは天然痘(てんねんとう)とも呼ばれ、200年以上前から世界的にも流行した伝染病で、死亡率が非常に高かった病気です。
http://www.machida2.co.jp/topics/tanso/tennento1.html
予防接種として、種痘(接種した痕跡)も今ではしなくていい程絶滅した病気です。
僕自身もあまりピンとこなかったです。
病気にかかり、生き残っても『あばた』と言われ顔いっぱいに膿疱の跡が残り、凸凹だらけの顔になってしまうということで、惚れた女は『あばたもえくぼ』という諺も生まれた程であるとのことです。
さて、この山中神社の御祭神【山中様】はその疱瘡の神様として、予防や治療に霊験があったようです。
ところが、この神社の御祭神は【〜の命】という神様ではないのです。
山中某(なにがし)という山伏(修験者)であるという、他とは少し違う神社です。
伝説によると、向山秋元に住んでいたが、訳あって秋元を逃れ旧正月の13日の晩にこの狩底に来て、2間4方の茅葺の観音堂に住み着いたが、重い病気にかかってしまいます。
そこで、尾峰、狩底。そして、対岸日之影町の乙女、草仏(そうぶつ)地区の4集落の人々が交互に飲食を運び死水をとって往生させたといいます。
山伏が命尽きる事を悟り、
「この部落の人々の親切は忘れない。死後、我を祀ったら、この4部落には疫病の流行から必ず私が護り、法力を以て末永くこの村を守るので、今いるこの観音堂の近くに、この観音堂より床を低くして祀ってくれ。参拝するにも、先ずは観音様を拝するのが良い」
と言ってお亡くなりになりました。
村の人達は堂の左側に一宇を建て、【山中様】として祀り以後、流行病や疱瘡の神様として霊験あらたかで信心を集めたといいます。
高さ90センチの石像で口を結び、右手に錫杖(しゃくじゃう)を左手にホラ貝を持つ修験像であるそうですが、まだ拝見する事はできていません。
お札は拝見する事ができました。
毎年年明けの1月、第3土曜に夜神楽が行われていましたが、人手不足により、今年から同じく第3土曜に日神楽として、何番か舞われるそうです。
ここでは、田植え神楽という珍しい神楽が舞われます。
尾峰、狩底、乙女、草仏の4集落で神楽をされるそうですが、尾峰の地元の方が昔は乙女の方へ行って神楽の練習をしたと言っていました。
昔から交流があったようです。
今では日之影の方で田植え踊りというのが伝承されていったとのことです。
機会があれば、この像を拝見しに神楽に行きたいものです。
なお、来年の1月18日に日神楽が行われます。
この日は直会もなく神楽奉納だけなそうですが、13日に山中様を偲んで飲み会をすると地元の方がおっしゃっていました。
参考文献
甲斐畩常著 高千穂村々探訪